『里』の恋愛事情




「オババオババー! 連れてきたわよ!」


 アニタに連れられる形でリヒトとクラースの二人がやって来たのは、『里』の中央部に位置するお屋敷だ。

 主に『里』の大人達が集まって会合を行ったり、宴会等も行う用途もあり、大体が似た造りとなっている『里』の建物の中でも大きく、広々とした広間が用意されている。


 土間に踏み入れ、履いていた草鞋を脱ぎ捨てながらアニタが声をあげ、無遠慮に足音を立てて屋敷の中へと入って駆けていく。

 お淑やかさとは無縁なアニタに置いていかれる事になったリヒトとクラースも首巻きと頭に巻いていた手拭いを外して草履を脱いでから、それぞれ屋敷の中へと入っていく。


 この『里』に共通する木造を基礎とした建物で、壁は粘土質の土と魔草と呼ばれるものを塗り固めた土壁が木枠に張り付いて固められており、白に近く僅かに茶色がかった色合いをしている。

 冬場である事もあって長い廊下沿いの戸は閉じられているが、採光用に設けられている窓から外の光が入っていて、薄暗く感じるものの視界は充分に確保できた。


 そんな廊下を真っ直ぐ奥の座敷に向かって二人が進んでいると、ちょうど前方の廊下を曲がってきた一人の女性と目が合った。


「あらあら、見回りお疲れさま」


「やあ、トゥーラさん。ただいま」


「ただいま」


 女性はアニタの母親であるトゥーラであった。

 この屋敷は『里』の女衆が女中のように掃除やオババの世話などを行っているのだが、どうやらトゥーラが今日の当番であったらしい。


 アニタと同じ赤い髪を持ち、しかし金色の瞳を持ったアニタとは異なる茶色い瞳を持つトゥーラは、十一年前、クラースやリヒトの両親が命を落とした大型の魔物との戦いで夫を亡くして以来、アニタをたった一人で育てている。

 もっとも、『里』の大人達が構いすぎて一人で育てているという額面通りの意味とは少々事情は異なるが。


 トゥーラはこの『里』でも上から数えた方が早い程度には腕の立つ〝術〟の使い手だが、当時はアニタをそのお腹に身籠っていたために戦いに参加できなかった。

 そんな自分が戦いに参加できなかったせいで犠牲が増えたのではないかと悔やんでも悔やみきれない気持ちを抱えていたが、アニタが生まれ、先立った近い世代の仲間達が遺していった愛する子供達であるクラースとリヒトを守り、育てる事によって立ち直っていったという経歴の持ち主であった。


 そうした経緯から、リヒトとクラースにとってもアニタの母親であるトゥーラは母親のような存在である。当時五歳になったクラースと、まだ三つになったばかりのリヒトもまとめて面倒を見てくれているのだから。


「もう、クラース。トゥーラ母さん、でしょう?」


「いやいや、もう子供じゃないんだから……」


「いいえ、あなたは私の子よ。もちろん、私の子とは言ったけれど、血の繋がりはないのは事実なのだし、アニタを貰って本当に私の子供になってくれるならありがたいけれど」


「あー……、それはその……。ほら、アニタだってまだ子供だし、そういうのは……」


 苦い笑みを浮かべて困ったように笑ってみせるクラースに、トゥーラはくすくすと笑ってからリヒトへと目を向けた。


「リヒトはどうかしら?」


「気が早いよ。僕もクラースも『成人の儀』を迎えてないし、アニタだってまだまだ先の話じゃない」


「それはそうだけど、あの子と一番歳が近いのはあなたでしょう?」


「別に十や十五程度の歳の差でも娶る人はいるんだし、歳の近さは関係ないんじゃない?」


「う、それは確かにそうね……」


 もともと『里』の人数は少なく、歳の差というものはあまり重要視されていないのだ。もちろん、年甲斐もなく若い娘に手を出せば袋叩きに遭うという事もなくはないが。


 今の里で最も多い年齢層は五十前後。

 その下の世代であったクラースとリヒトの両親の世代が強大な力を持った魔物との戦いで命を落とし、もうすぐ三十になるトゥーラや、戦いに不向きな女衆が生き残った。

 当時の戦いに参加できなかった今のリヒトと同じぐらいだった歳の子が今では二十代前半となったが、この構図がこの十年程も続いていて、アニタが『里』の中でも最年少だ。

 そのため世代毎に人数の差も大きく、男女比も元は半々程度であったが戦いで命を落とした事もあり、今は女性の方が多い。


 成人の若い男衆は現在五人、女性は二人。

 この男衆の五人が『里』の少々年上の世代を娶り、子を産ませてくれれば『里』の人口問題も回復すると言いたいところではあるが、実はこの五人、『里』の女衆からはかなり嫌われているとまでは言わないものの、あまり良く思われていない。

 彼らは自分の上に立つ若い世代がいない中で十代中盤の思春期を迎え、若い男が自分たちしかいないが故に同世代の女性にしつこく言い寄ったり、調子に乗ったりと、有り体に言えば思春期真っ盛りの痛い行い・・・・を十全に発揮してしまったのである。

 女衆の風呂を覗こうとしたり、時には夜這いまでしようとして女衆から吊るし上げられた経験がある者もいるのだ。


 もちろん、今となっては男衆の行いは若気の至りとして多少なりとも理解しており、女衆とて決して男衆を毛嫌いしている訳ではないのだが、立場的に女衆に頭が上がらないのである。

 果たしてそんな相手をお互いに夫に、嫁にしようなどと思うかと言われれば、誰もが首を左右に振る。


 そのため、大人になった男衆がようやく山を降りて森を越えた先にあるという町まで買い出しに出られるようになった事で、あわよくば嫁を探して連れてくるか、婿を探している女を連れて帰れ、などと年寄衆から口煩く言われている状態であったりもするのだが、リヒトやクラースは与り知らないところでの話であった。

 ちなみに、アニタが将来クラースとリヒトのどちらを選ぶか、なんていう賭けが年寄衆の中で行われている事もまた、二人の知らぬ話であった。


 もっとも――――


「……はあ。トゥーラさん、いつまでも子供扱いしてるんだもんな……」


 ――――アニタの恋の行方、その賭けの対象である一人のクラースは、仕事があるからと二人の前から去っていったトゥーラを名残惜しそうに見送りながら、ぽつりと零している。


「……相変わらずだね、クラース」


「ぐ……っ」


 兄のような存在であり、親友でもあるクラースの初恋。

 その相手が母親の代わりに育ててくれた相手であるという事実を知るのは、リヒトだけであった。


 トゥーラは確かに美人だ。

 おっとりとした性格で、大きな瞳は優しげで目尻が垂れていて愛らしく、胸も大きい。

 見るからに包容力に溢れていて、〝術〟の使い手としてしっかりと身体を鍛えていて、身体も引き締まっていて、魅力的な女性である事はリヒトも理解している。

 しかしトゥーラがクラースを子供としてではなく男として見るかと言われれば、おそらく難しいだろうな、ともリヒトは思う。

 昔は「トゥーラ母さん」と呼んでいたのに、想いを自覚してからは「母」という言葉を使わなくなったクラースの小さなアピールとて、トゥーラには「男の子って背伸びしたい時期もあるものね」としか見られていない事を知っているからだ。


 そしてそれは、クラースとて誰に言われなくても理解はできている。

 それでも諦めきれない想いがあった。


「……『成人の儀』を終えたら、想いを告げるつもりだ」


「そっか。がんばって」


「おう」


 その告げた想いが散る事になるだろう事を理解していても、それが一つの区切りになる。

 クラースも上手くいけばそれに越したことはないが、十中八九は散る事を理解していて、それでも想いを告げようとしているのだ。良くも悪くも、前に進むために。


 なんとなく、そんな日も近いのだ、と。

 子供ではいられる日もそう長くはないのだなと改めてリヒトがしんみりと実感していたところで、遠くから子供が――アニタが駆けてくる足音が聞こえてきた。


「――まだこんなトコにいた!」


「あぁ、ごめん、アニタ。今トゥーラさんがいて少し話してたんだ」


「ホント!? 母上どこ!? 蜂蜜持って帰ってもらうわ!」


「あっち行ったよ。オババは奥の座敷か?」


「そうよ! 待ってるんだから早く行きなさいよね!」


 そんな事を言いながらトゥーラさんを追いかけるように廊下を駆けていくアニタを見送って、クラースとリヒトは視線を交わして小さく苦笑し、改めて奥の座敷へと向かった。


 座敷の出入り口の襖は開いたままになっていた。

 この屋敷でオババと呼ばれている長老の世話をする女性陣ならばまず間違いなくこういった無作法な真似はしない。アニタが嵐のように飛び出して行ったせいだという事が窺い知れる。

 しかし、本来アニタがそんな真似をしたとしても、部屋に控える女性が代わりに襖を閉めるものだ。リヒトとクラースがすぐに来るとしても、開けっ放しになって放っておかれる事はまず珍しい。


 物珍しいものを見ながら座敷の中に入れば、奥に座った老婆が二人に目を向けた。


「――入りな」


 挨拶もなく真っ直ぐと二人を見つめ、どこか真剣な表情で口を開く姿にリヒトもクラースもただ事ではない何かが起こったのかと思い、身構えつつも座敷の中へと足を進める。

 テーブル越しに向かい合うように置かれた座布団の上に座るよう顎で示され。それに応じる形で腰を落としたところで、ようやくオババは口を開く。


「……アニタはもうちょいどうにかならんのか?」


「いや、それをするのはアンタの仕事だろ、オババ」


 表情の割にまったくもって緊張感のない一言に、クラースの鋭いツッコミが炸裂した。







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