〝闇梟〟
リヒトとクラースがアニタに連れられている、一方その頃。
――『最果ての辺境』と呼ばれる町、メレディス。
ここは魔境として名高い『逢魔の森』と呼ばれる深い森に最も近い町だ。
それ故に厳重な防御壁が町を覆うように二重になって築かれており、石畳も綺麗に敷かれて整備が行き届いている。
有事の際――つまり『逢魔の森』から魔物が溢れ出てきた際に備えて、バリスタや魔法砲台の補充のための移動を素早く実行できるよう、大通りは他の町に比べても広く造られているというのもこの町の特徴だ。
そんなメレディスの大通りは活気に満ち溢れていた。
左右に分かれて露店が立ち並び、商人は声高に民衆へと声をかけ、人々がそれぞれの露店を見定め、時には値切ってみたりと喧騒に包まれている。
有事の際に備えて広く造られた大通りだというのに、露店が道の端に広がっていては即座に動けないのではないかと思う者もいるかもしれないが、この町の露店は見た目は確かにどこの町でもよく見かけるものと変わりないようにも見えるが、簡素な木造の露店とは少々異なった造りをしている。
実のところ、この町の露店の本質は荷車であった。
有事の際にはすぐに店を畳んで動けるよう車輪が取り付けられており、移動時には折り畳んでいる荷車の裏についている脚を立たせる事で平行を保たせている。万が一の際にはこの脚を折り畳めば、大事な商品と共にすぐに移動ができるのだ。
そんな露店がずらりと立ち並び、喧騒に包まれた大通り。
しかしその喧騒は徐々に静まり、何事かに気が付いた者達が大通りの中央の道を開けるように隅へと寄って、視線を向ける。
そこにいたのは、黒ずくめの服を着た奇妙な集団であった。
荷車を曳いた屈強な馬を操る御者もまた同じような服を着込んでいて、そんな男と荷馬車を守るように黒ずくめの男たちが左右に二名、後ろに一名という形で大通りの中央を進んでいく。
昼下がりのメレディスの町で、『逢魔の森』へと続く門から入ってきた一団。
その光景を遠巻きに眺めながら人々はひそひそと言葉を交わしていた。
「……相変わらず不気味な連中だな」
「また顔の半分を隠してやがるな。ったく、気味が悪いったらないぜ」
「おい、声がデカいって。聞こえちまうだろうが」
「――失礼、少々よろしいですか?」
他の人々同様、仲間内で言葉を交わし合っていた三人の男が、突然背後から声をかけられて思わずびくりと体を震わせ、ゆっくりと振り返る。
そこにいたのは身なりに気を遣っているであろう、清潔感のある一人の男性だった。
歳は三十代中盤といったところか、大人の男らしい落ち着きと自信を持っているような印象を受ける。
今しがた話していた件の不気味な連中とは見た目からも無関係の一般人である事がひと目で理解できて、三人は密かにほっと胸を撫で下ろしつつ、男の言葉の続きを促すように視線を向けた。
「ありがとうございます。あの一団について何かご存知な様子でしたので、よろしければ何者か教えていただけないかと思いまして」
笑顔でそう言いながら手にしてみせたのは銀貨が三枚。
一人一食、酒もつけて楽しめる程度の情報料であり、この程度の情報に対しては破格とも言える報酬であった。
「おいおい、大店の旦那か? ずいぶんと気前がいいじゃねぇか」
「ははっ、そのような事はありませんよ。ただ、見たところ御三方も冒険者でいらっしゃるご様子。商売柄、冒険者の皆様との縁や繋がりは大事にしておきたいという気持ちの表れです。ささ、どうぞ遠慮なさらず」
「へへっ、そうかい? 悪いな」
冒険者とは、魔物の討伐や貴重な素材の採集、行商人や町から町への魔物や盗賊からの護衛など、いわゆる荒事を仕事として行っている者たちだ。
冒険者ギルドと呼ばれる国家の枠組みを超えた組合に所属している根無し草が多く、腕っ節で成り上がる事もできるものの、ほんの二十年程前までは荒くれ者たちばかり、品もなく見た目にも気を遣わないような者が多かった職業であった。
もっとも、今では『ダンジョン攻略』という〝戯神〟が用意した一大コンテンツのおかげで人気の職業となっているが。
ともあれ、手に入れた代物を売ってお金を得たい冒険者と、そんな冒険者が手に入れてくる希少な素材や需要のある品々を買い取りたい商人の関係は、言うまでもなく持ちつ持たれつの間柄である。
この商人を名乗る男はそれをよく理解しているからこそ、こういう場所で
そんな商人から差し出された銀貨を受け取った男が、商人にも見えるように大きな図体を横に僅かに避けてから、ゆっくりと口を開いた。
「アイツらはこのメレディスに、季節毎に一度だけ現れるっつー集団でな。持ってくる素材なんかを見る限り、どうにも『逢魔の森』の最奥に近い場所――それこそ、『竜哭山脈』の真下あたりまで探索してるんじゃねぇかなんて言われてる化け物連中だ」
「な……ッ!?」
「おっと、あんま声をあげないでくれよ。いくら俺らでも、あんな連中と事を構えたくはねぇからな」
「し、失礼しました……。いえ、まさか『逢魔の森』の最奥に近い場所、そんな場所と行き来できるような方がいらっしゃるとは思わず……」
「特級冒険者が組んだチームですら命を落とした、魔境の中の魔境だからな。そんな場所からやって来る黒ずくめの連中。もしかしたら『逢魔の森』に住んでるんじゃねぇか、なんて噂もあったな」
もう十年近くも昔の話ではあるが、当時の特級冒険者たちが『逢魔の森』攻略を目指し、いくつかのチームが合流して探索に出た事があったのだ。当時はついに『逢魔の森』の全容が解明されるのではないか、などと騒がれたものであったが、結果は冒険者の男が言う通りのものであった。
二十名、四つのパーティが合流して、帰ってきたのはたったの一人。メレディスの門番に全滅したことを伝えたところで、毒を受けて命を落とした。
その情報は瞬く間に知れ渡り、『逢魔の森』の危険性はこの国どころか他国にまで知れ渡った。
「……あの森は、到底人が住めるような場所ではないのでは……?」
「あぁ。だが、追跡した連中がいたんだが、アイツら凄まじいスピードで『逢魔の森』を進んでいくんだとよ。んで最終的には見失っちまったって話だ。『逢魔の森』に消えて、季節が変わればまた『逢魔の森』からやってくる。追手を撒いただけってのも考えられるが、『逢魔の森』の奥地からやって来るところを見かけた冒険者もいる。あながちただの与太話って訳でもなさそうだぜ」
「それはまた……」
冒険者の男から聞かされた内容については、商人にとっても俄には信じられない発言だった。
件の『逢魔の森』は、浅い位置であっても上級冒険者と呼ばれる三級以上、二級や一級、あるいは等級外と呼ばれる特級冒険者でなければ半日とて生き抜く事もできない。大量に現れる、個としても厄介な魔物が住まう場所、それが『逢魔の森』である。
日帰りならばいざ知らず、夜を迎えれば格段と生存率が下がり、五日以内に戻らなければもう帰ってこれないものと思った方がいい、などとも言われている。
そんな『逢魔の森』の最奥に住まう、黒布に身を包んだ者達。
頭には手拭いを巻いていて、首巻きが鼻先までを隠している鍛えられた肉体を持った集団。
その異質さに対する畏怖を込めて、このメレディスで彼らは〝
「〝
「やめておけ。領主サマ直々のお達しで、アイツらから持ちかけてこない限り交渉や商談の一切は禁じられてるのさ」
「……なんと勿体ない……」
「いいや、むしろ命拾いしたって喜ぶトコだぜ?」
「え?」
「〝
「っ、それは……」
「商品としての価値が高すぎる。そんなものを奪おうとする連中はごろごろいる。そんな連中から手に入れた商品を守り、しかも奪われずに捌ききれるか?」
そこまで言われて、商人の男は理解し、肩を落とした。
現実的に考えて無理だ、と。
「分かったみてぇだな。そう、正確な鑑定能力を持つような学者を抱えていて、しっかりと捌けるようなコネを持ったお貴族サマでなきゃ無理だ。つまり、ここの領主サマだけって訳だ。運良くアイツらに関わって万に一つも何かを手に入れたりでもしてみろ。その品を奪いたいって輩に狙われ、アンタは翌朝を迎える事さえなく物言わぬ姿になってるだろうぜ」
冒険者の男が言っている事は何も大袈裟に脅かそうという物言いではなく、あくまでも善意の忠告である事が窺えた。
実際、〝
故に彼らが商談を行える相手は領主のみと厳命されており、この町のルールとして他所からやってきている者達にもこの町のギルドに立ち寄ればしっかりと伝えられる。商人の男はこの町につい先程到着したばかりで、商業ギルドに挨拶しに行くところであったため、まだそうした話をまだ聞いていなかったのだ。
もっとも、この商人の男と同様に話を聞いていなかった者や、そうした決まりを守ろうとしない者達も過去にいなかった訳ではないのだが、運良く〝
冒険者の男が言う通り、〝
そんな〝
もっとも――――
「……超見られてる」
「町に来るといつもこれだもんな。ついでだから嫁に来たいって言ってくれる女いねぇかな」
「いや、いねぇだろ。顔だって隠してんだぞ、俺ら」
「え、じゃあこの首巻き外せばワンチャンある?」
「ねぇよ。顔隠してる方が見れた顔だ、ってアニタに言われてただろ、お前」
「おいやめろ、心が痛い。ガキには俺の魅力が伝わらないだけだし」
「アイツ、リヒトとクラースにはべったりだぞ。二人とも系統は違うけど女ウケする顔だし」
「……泣きそう」
「やめろ、可愛くもねぇ。森に捨てるぞ」
「ねえ、ひどくない??」
――――見られている当人達の会話は、周囲から向けられた畏怖や畏敬に比べ、あまりにも残念……俗っぽすぎるものであったが。
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