第6話


 甘かった。私は本当に甘かった。

 社畜として心を殺して生きてきた。それは誇れるものではなくて、同情されたいものでもなくて、駄目な人間の例だとしても。それでも、どこかで自分で自分を褒めていた気がする。こんなにも私は頑張っているんだって。社畜という言葉に自嘲気味に自分は偉いんだ、すごいんだって言っていた気がする。

 村の人達が逃げない私を気持ち悪いといっていた。逃げる気力が湧かないからだと言いながら、どこかでそんな自分が、他とは違う自分がすごいと思っていたんじゃないか。


 そんなくだらない考えが、いとも容易く打ち砕かれた。


「我が姿に声をあげぬその胆力は、賞賛に値しよう」


 私はあまり背が高い方ではない。相手と話すときに顔をあげることはままある話だ。だけど。これはそうじゃない。そういう次元の話じゃない。


「誇るがいい」


 胆力。

 物事を恐れたり気おくれしたりしない気力。度胸。を現わす言葉。

 違う、そうじゃない。そんなものはない。そんなものが備わっているなら私は社畜なんか逃げだしている。それは、私にとって一番ほど遠い言葉。

 彼(?)は分かっていない。本当の恐怖を目の前にして、人間は悲鳴を上げない。声をあげることさえ忘れて見入るのだ。


 爬虫類を思わせる体を覆う紅色の鱗。

 巨大な体躯を支える四肢の先端には人間如き撫でただけで切り裂いてしまいそうな鋭く爪。

 体躯から比べると幾分小さな背中に生えた二対の翼。

 長く伸びる太い首、そしてトカゲとも鰐とも言えない凶悪な頭。

 美しさすら感じてしまうほど立派な黄金に輝く二本の角。


 それは漫画の世界でしか見たことがない、ドラゴンという存在。絶対的な強者が、鱗と同じ紅色の瞳で私を見つめている。それは猫の瞳のように瞳孔が細くなっており、明らかに人間ではない生き物から人間の言葉が飛んでくるのはそれだけで恐怖でしかなかった。


 動けないだけの私を胆力のある娘だと勘違いした竜が、機嫌を良くしたままに、恐ろしい牙を剝きだしに、口を再度開いた。


「我が名は、シャルル=オン=ダックス。これより、貴様は我が妻となる」


「……」


「……」


「……」


「……」


「……」


「……聞こえたか?」


「はへ?」


「んンっ! 我が名は」


「あ、聞こえました! すいません、ごめんなさい、申し訳ございません! 聞こえております! 聞こえておりました!!」


「そ、そうか。ならば、いい」


 硬直していた身体が、最初に取った行動は渾身の土下座だった。せっかく着せてもらった服がまた土に汚れることも気にしない。相手に先に名乗らせたどころかもう一度名乗らせるなんて、これが会社であれば怒鳴られ、殴られているところだ。


「私は三浦楓と申します! 三浦が家名で楓が名前です! 誠心誠意シャルル様の妻として仕えて……妻?」


「うん? 村の猟師にはちゃんと伝えたはずだが」


「生け贄としか……」


「竜への生け贄といえば貴様達の世界では嫁という意味になるのだろう?」


「そう、なのでしょうか?」


「……違うのか?」


「申し訳ございません! 存じ上げておりませんでした!」


「そこまで謝らなくてもいいぞ? そ、そうか……では、あれか? もしや、文字通りの生け贄……的な伝わり方をしていたのか?」


「お、おそらくですが」


 的な?

 私の勝手なイメージだけど、我が一人称の割には随分と砕けた言葉を選択したな。いや。じゃあ別の言い方が何かと言われたら私にも思い浮かばないけれど。


「そうか……そうかぁ……。うぅむ……いや、そうか……」


「あ、あの……質問してもよろしいでしょうか」


「申せ」


「私が妻で宜しいのでしょうか」


「質問の意図が分からん」


「妻ということは、若くて綺麗な女性のほうがいいのではないかな、と……」


「貴様は若くないと」


「二十、七です……」


「二十七っ!?」


「ひぃッ!?」


 や、やっぱりドラゴンからしても二十七歳は年取りすぎ!? いや、だってこればっかりは私のせいではないと言いたいんですが、駄目でしょうか、駄目ですよね、ごめんなさい!!


「随分若いな……」


 セーフ!! ドラゴン的歳の数え方でいってくれている! セーフ! よし、よし、よぉっし!!


「それだけ若いと子が産めんのではないか」


「人間の二十七は、それなりの年齢ですので、その産むことは出来ます……かと……」


「そうか。ならば問題なかろう」


 まだ綺麗という方の条件が残っているのですが。むしろそちらのほうが重要ではないのでしょうか。

 というか、子どもか。やっぱり産むの? 私が? ドラゴンの子どもを? いや……体格差が……。


「さすがの貴様を戸惑うか。そうだろう、そうだろうとも、竜の子を産むはまさに名誉であることよな」


 そこじゃない。そこではないんです。

 あと、この世界の人間ではないのでそれが名誉かどうかとか分かりません。そもそも私は現代人なので子どもを産むことが名誉とか言われても時代錯誤も甚だしいといいますか、そういう文句が言えるなら言いたいものですが言えないからこそ私なわけでありまして、心の中では雄弁に語るわけなんですよ。


「そして人如きが竜の子を成すことができる神秘の技を見せてやろう。本来であれば親好を深めてから見せるものであるが、なに、我は寛容であるがゆえな」


 これは知ってる。

 これは、自慢したいことがある人の話し方だ。正直、こういう時に碌な事が起こった試しはない。自分勝手な自慢ほどつまらないものはないのに、こちらが興味がなかったりつまらない反応を示したら怒ってくるんだ、こういうタイプの人は。いや、竜だけど。


「これこそが、魔法に絶対的な適性のある竜であるがゆえに使用することができる高難度の魔法“人化”だ」


「え?」


 人……化……?

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