第3話


「無理むり無理ムリぃぃぃいい!!」


「きしゃぁぁぁ!」


 ああ。私もまだこんなに大きな声が出せるんだ。

 なんて冷静に馬鹿げたことを考えている自分がいる。それをヒトは現実逃避と言うのだろう。ありがとうございます、とても勉強になりましたのでどなたか助けてくださいお願いします。


 歩幅に大きな差があるので逃げ切れているが、それも時間の問題だ。学生時代に体育以外で運動をしなかった社畜の体力ほどか弱いものはない。すぐに息があがる。肺が痛い。目がくらむ。死ぬのか。わけのわからない場所で、わけのわからない生物に食べられて。あんな小さい口じゃ一口で食べてももらえない。きっと生きたままで食べられるんだ。


「それだけは嫌ぁぁ……ぁあ……あ……あぁ?」


 足は動いている。

 だけど、身体が進まない。前には進まない。足が地面を蹴っていない。


「嘘でしょぉおぉぉおお~~!!」


 茂みの向こう側が崖になっていることがあるので、急に飛び出すのは止めましょう。心のノートに刻み込む。それが……今後活かす機会があればいいなと祈りながら。

 崖というには坂のようで、坂というには崖のような急勾配を転がり落ちていく。私に出来ることはせめて頭を守るように小さくまとまることだけだった。


「うぐ……っ! ……痛……い」


 何度も転がって、何度も宙に浮いて、その何倍も身体を痛めてようやく私の身体は転がり落ちることをやめた。

 パワハラ上司にさえここまで暴力を振るわれたことはない。安物のスーツはボロボロで、至る所に赤い染みが出来ている。だけど、痛いということは生きているということ。


「はや、く……逃げないと……ッ」


 私にとっては急勾配な崖が、あの恐竜モドキにとってもそうとは限らない。もしも彼らが強靱な足腰の持ち主で、軽やかに降りてこられたらそのまま食べられてしまうだけだ。

 腕を伸ばして、身体を引き寄せる。自分の身体が岩のように重かった。身体をひきずる度に全身が痛い。それでも、少しずつでも私は前へと進み続けた。


「はぁ……あぁぁ……はぁ、はぁ……あ~……あぁぁ……!」


 一息つけたのは、大人数人が腕を伸ばしても足りないほど立派な胴回りを持つ大木の陰に身を潜めてからだった。静かにしていないといけないことは分かっているのに、私の口は勝手に音を出す。

 いつまでもここに隠れているわけにはいかない。夜になればもっと危険になることは馬鹿でもわかる。だけど、分かっているけど、身体が動こうとしない。


「なんでよ……なんでよぉ……」


 理不尽は飲み込んでしまえばいいと私が言う。これはさすがに飲み込めないと私が言う。私と私が私の上で私を放置して私のことを話し合う。


 ――ポタ。


「……雨……」


 最悪だ。

 雨に濡れれば体力が消えていく。これだけ災難が続いて、まだ続くのか。これ以上はもう、さすがにないと思いたい。


「…………嘘でしょ……」


 思いたかった気持ちは。

 大木と目が合って打ち砕かれた。私が身を隠していた大木に顔がある。禍々しい顔がある。そういえば、こういう魔物がゲームでいたな、と。逃げる力もなく、私はただ見つめるしかできなかった。


「は、はは……」


 大木の牙? が私に迫る。この大きさなら、一口で食べてくれるだろうか。それなら、さっきの恐竜モドキに殺されるよりは。


「どっちにしろ……嫌だなぁ……え?」


「チュン」


 ――ばきばきばきッッ


 窮地を救ってくれたのは、一匹の雀。ただし。


「チュン」


 三メートルはあろうかという、巨大な雀。

 私を食べようとしていた大木に巨大な雀が襲いかかる。おなかにずんっとのし掛かる重く鈍い音を立てて、大木が雀に粉砕されていく。


「ははは……はは、ははは……」


 乾いた笑いしかでない。

 大木と雀が戦っている間に、私はおぼつかない足取りでその場をあとにした。


 ここはもう日本じゃない。いや、地球ですらない。

 死後の世界かどうかまでは分からないけれど、ろくでもない世界なことは間違いがなかった。だから、なんとか日が沈みきる前に村を見つけた時は涙がこぼれた。村に居た人間が、人間だったことにも涙を流した。ボロボロの身体で、混乱する頭で、必死に自分の境遇を説明して、助けを求めて。


「…………はぁ……」


 私は縄で縛られていた。

 やっぱり、助けを求めることは……難しい。

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