第2話
いつから私は、自分を殺して生きてきたんだろう。
「悪く思わねえでくれよ……。俺らだって生きていくのに精一杯なんだ」
「はぁ……」
「……俺が言う台詞じゃねえけど、もうちょっと抵抗するべきなんじゃねえか?」
「すいません……」
「謝る……のはこっちの方なんだけどなぁ……」
「あんた! 何をくっちゃべってんだい!!」
「お、おう!」
悪い人じゃない。きっと。たぶん。
誰が誰を大切にしているかというだけのこと。それが、私ではないだけということ。それだけの、こと。
※※※
三浦楓という人間の人生は、不幸というには平凡で、幸せというには遠すぎた。
母は再婚相手との間に生まれた弟を優先して可愛がる。戸籍上の父は血の繋がらない娘よりも愛した妻の顔を伺っている。愛されていることを自覚している弟は姉への優越感を隠そうとしない。
弟が中学受験用の塾に通わなければいけなかったので、高校受験を控える私は塾には通わせてもらえなかった。仕方がないことだと独学で県内でも有数の高校に入学してもそれほど褒めてもらえることはなく、結局不合格になって地元に中学に通うことになった弟は、その努力を褒められ続けていた。
どんな場所でもそこに人間がいる以上は差別は生まれてくると知ったのは高校でのことだった。虐められていた子に手を差し伸べた理由は、もう覚えていない。覚えているのは、助けたことが失敗だったという事実だけ。次の日から見事に虐めの対象は自分へと変わっていった。親は元々期待していなかったが、担任という女性教師すら私の言葉を信じてはくれなかった。むしろ、嘘をつくなと説教される始末である。今にして思えばもっと外の大人に助けを求めれば良かったと思うが、パソコンはおろかスマフォさえ持っていなかった私ではその考えには至らなかった。勉強していることが頭が良いとは繋がらないという良い例である。それでもなんとかしたいという気持ちは、私が助けようとした子まで私の虐めに加担した時に消えてしまった。
誰に助けを求めることは、意外に難しい。それを愚痴と言われれば、その先には進めない。親身に話を聞いてくれる相手なんて、どうやって見つければいいというのか。とどのつまりは暗い性格な私が悪いのだと言われ続ける辛さは、言われ続けた身だからこそ実感できる。向こうはこちらを傷つけるつもりなどはなく、アドバイスのつもりで言っているからこそどうしようもないのだ。わかり合えないことは、そんなにも私だけが悪いのか。
だから、大学時代が、一番楽しかったと思う。誰とも、話さなかったから。
「…………明日の会議資料……」
見たこともない巨大な植物が鬱蒼と茂るジャングルで、ただ一人立ち尽くしている状態で出てくる言葉がこれとは、我ながら社畜がすぎる。仕方がない。仕方がないじゃないか。怒鳴られることは嫌なのだ。慣れてはいるけれど嫌なのだ。慣れてしまったことすら嫌なのだ。
学歴という名の武器は、書類選考では通用しても、そのあとの面接ではコミュニケーション能力こそが本領を発揮する。頑張って入った有名大学の名前でも誤魔化しきれないほどに対人能力に劣った私がどうにか入れた会社は笑えてしまうほどにブラック企業で、おかげで、段取り能力が上がった気はする。そう思っていなければちょっと……やってられない。
ここはどこだ。
私は誰だ。それは分かる。
帰り道のはずだった。終電に乗って、最寄り駅で降りて、そこから……覚えていない。
日本じゃない。だってこんな植物見たことがない。それに、太陽が昇っている。私は、だって、終電は真夜中のはずだ。眠っていたのか。それならもっと眠気が取れていてほしい。明日の会議資料はもう今日の会議資料ということだろうか。朝一の会議には間に合わない。
「圏外……」
そろそろ充電が切れるスマフォの悲しそうだった。切れてはいない。切れそうなだけ、じゃあ、やっぱり電車を降りた時から時間は経過していない。太陽が昇っているけれど。
「ここが死後の世界なら……なんか、嫌だなぁ……」
日本人としては、三途の川を見てみたい。ここはどう見ても日本風じゃない。せめて、中華風なら納得もできたけど。
うるさいくらい甲高い鳥の声、はらってもはらっても近づいてくる羽虫、じんわりと汗が湧き出してくる高温多湿の気温。最後の一つは、日本じゃない理由にはならないか。
「きるる……」
「え?」
目があった。
二つ、四つ、六つ。どんどん増えていく目とあった。茂みの向こうから、顔を出す何かと目があった。
それはまるで小型の恐竜のようだった。トカゲのような顔で、二足歩行で近づいてくる。私の膝くらいまでのサイズは小さいけれど、大きくて。
それの名前を私は知らないけれど。それが私にとって危険な存在であることは。
「きしゃぁぁぁぁああ!!」
「いやぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁ!?」
よく分かった。
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