結末に変化なし

三鹿ショート

結末に変化なし

 高い建物の屋上から飛び降りることで、簡単にこの世から去ることができると思っていた。

 だが、此処に来てまたもや運の悪さを発揮してしまったのか、即座に生命活動が終了することはなく、激痛に苦しむ羽目になってしまったのである。

 野次馬が集まってくるが、私に手を差し伸べようとする人間は存在していない。

 恨むことは無いために止めを刺してほしいと叫ぼうとしたが、声が出ることはなかった。

 どれほどこの激痛を味わわなければならないのかと考えていると、不意に一人の女性が私の顔をのぞき込んできた。

「何故、あなたはこのような結末を選んだのですか」

 このような状況で、彼女は何を問うているのか。

 場違いにも程があるだろう。

 しかし、奇妙なことに、私に話しかけているにも関わらず、野次馬の目は彼女に向いていなかった。

 どういうわけかと考えていると、

「生者が私の姿を見ることはできないのです」

 どうやら、私が考えたことが伝わっているらしい。

 それでも不審に思っていると、彼女は息を吐きながら立ち上がった。

 そして、近くの人間の頬を平手で打った。

 突然の行動に驚いたが、さらに驚いたことは、殴られた人間が彼女ではなく、隣に立っていた見知らぬ相手を怒鳴ったことである。

 彼女の姿を生者が見ることができないということは、どうやら真実らしい。

「これで、あなたは先ほどの言葉を信じたことでしょう」

 再び近付いてきた彼女に対して、私は頭の中で同意を示した。

 同時に、超常的な存在ならば、私の激痛を消失させてくれるかもしれないという期待を抱いた。

 その思考が彼女に伝わったらしく、彼女は首肯を返した。

「先ほどの質問に答えてくれれば、あなたの希望を叶えましょう」

 そう告げられたために、私は頭の中で答えることにした。

 彼女には子細を語ったが、簡潔に言えば、生きることに疲れてしまったことが原因である。

 多くの人間に騙され、虐げられたことによって、私は明るい未来というものを想像することができなくなってしまったのだ。

 ゆえに、私は自らの意志で飛び降り、全ての苦痛から逃れようとしたのだった。

 それを伝えると、彼女は口元を緩めた。

「もしも、過去をやり直すことができるとするのならば、どうしますか」

 突然の言葉に、私は返答に窮した。

 本当にやり直すことができたとしても、自分の望む未来に向かって進むことができるのだろうか。

 私がそのようなことを考えていると、彼女は口を開いた。

「それを確約することはできませんが、記憶を維持したままやり直すことができますから、過去に経験した辛い出来事を避けることは出来るでしょう」

 確かに、その通りだった。

 思い出したくもない出来事を避けたことで、未来にどのような変化が生まれるのかは不明だが、今の私の人生よりは良いものであることは間違いないだろう。

 私は、彼女に過去をやり直したいということを頭の中で伝えた。

 彼女は頷くと、私の頭部に手を当てた。

 その瞬間、私の激痛は消え、何時の間にか立ち上がっていた。

 周囲に目をやったところ、私が倒れていた場所ではないようだった。

 一体、何時の時代に移動したのだろうか。

 そこで、私は近くの建物の窓硝子に映った自分を見た。

 それは、学生時代の姿だった。

 久方ぶりに目にした姿を懐かしんでいると、其処に一人の少女が姿を現した。

 その姿を見て、私はこれから何が起こるのかを思い出した。

 私は眼前の少女に愛の告白をされ、交際を開始したが、それは私にとって最初の躓きだった。

 少女が私と交際を開始した理由は、二人きりになったときの私の言動を仲間内で笑うためだった。

 そして、それを材料に、私は多くの人間に馬鹿にされるようになった。

 卒業した後は少女たちと関わることはなかったが、今度は会社で出会った女性に苦しめられることになった。

 会社での飲み会で酔った女性を自宅まで送り届けたとき、女性は私を誘惑してきた。

 阿呆な私はその誘いに負けてしまい、女性と身体を重ねたのだが、翌日、女性は私に襲われたと主張してきたのだ。

 誘ってきたのは其方ではないかと告げたが、女性は意地の悪い笑みを浮かべると、

「私とあなたのどちらの主張を、世間は信ずるでしょうか」

 後で知ったことだが、女性は同じ手段で多くの男性を脅していたらしい。

 だが、そのときの私が知っているわけもなく、私は女性に金銭を支払い続けた。

 その後も、私は異性に限らず、同性や家族からも騙され、生活するために必要な金銭のほとんどを失ってしまったのである。

 ゆえに、私が飛び降りるという選択をしたことも、仕方の無いことだ。

 しかし、それは過去の私の話である。

 未来を知っている私が、過去に敗北することはないのだ。

 少女の愛の告白を受け入れるなどということはせず、私はその場から去った。

 その選択によって未来が変化したのか、私が経験したことが無いことばかりに遭遇したのだが、慎重に慎重を重ねた結果、自らの意志で死を選択するかのような事態に陥ることはなかった。

 私は彼女に感謝しながら、この身が老いるまで生き続けようと決めた。


***


「どうやら、終了したようだ」

「この幸福そうな表情を見ると、そのようですね」

「だが、生命活動が終焉を迎えるまでのわずかな時間に、このような対応が必要なのだろうか」

「何を言うのですか。苦痛に満ちた人生を過ごしてきた人間が最期の最期まで苦しむなど、これ以上は無いほどに哀れではないですか。たとえ幻だったとしても、彼らには必要なものなのです」

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