第33話 学生術士大会開幕

 アルミシティの郊外に立つ一棟の建築物。一見すると工場のようにも何かの研究施設のようにも見えるこの建物の実態について知る者は少ない。

 ただ、ユグドラシルという非営利団体が所有管理する建物であるということと、一部の選ばれた者達しか立ち入ることのできない場所であるということだけは知られているのみである。

「不服そうだな……」

 その建物の中の一室、広い室内にポツリと置かれたデスクの上に腰掛けた一人の男が、目の前で跪く少女に向かって言葉を発する。

「い、いえ……決してそのような……」

 男の言葉を受け、額に冷や汗を浮かべながらそう弁明する少女はブリュンヒルデであった。

“お姉さま”からの帰還命令を受け、渋々このユグドラシルの秘密基地へと戻ってきた、そして今回の任務について上司に報告に来たのだが、いきなり浴びせかけられたのが先ほどの言葉である。

 ブリュンヒルデはチラリと視線を動かし男の顔色を伺う。

 長い銀色の髪を後ろで束ねた端正な顔立ちのその男の名はオーディン。

 ユグドラシルのトップに君臨する男である。

 正確な年齢は不明だが、おそらく30は超えていないだろう。しかし、全身から醸し出される雰囲気は老練な政治家にも匹敵する。

 そのカリスマ性でもってユグドラシルを統括しその構成員を魅了しているのだ。そして、ブリュンヒルデも彼の魅力に取り憑かれた一人であった。

 相変わらず素敵なお顔をしておりますわなどと心の中で思いつつ、叱責されるのではないかとビクビクしながら彼の様子を伺うブリュンヒルデだったが、オーディンは特に怒っているという様子ではなかった。

「よい、お前の気持ちはわからんでもないのだ。もう少しで我らのバイオモンスターを撃破した一味の一人、クロード・トゥームスを始末できたところで呼び戻されたのだ、さぞ悔しいことだろうよ」

 その言葉にブリュンヒルデは思わず顔を上げるが、すぐに俯くと小さく首を横に振った。

「いえ……そんなことは……私があの者の始末を手間取ったのがいけなかったのです……」

 その言葉にはハッキリとした後悔の念が見て取れた。

 油断していた、というわけではないが遊び過ぎた、とブリュンヒルデはクロードとの戦いを思い返す。

 最初から任務に忠実に、クロードを一気に始末してしまえばよかったのだ。それを本来ターゲットでもないクロードの連れの少女を甚振り、その結果クロードの力を覚醒させ後れをとってしまった。

 あの時、もし本気でクロードを殺す気でいたのなら、クロードの力が目覚める前に決着を付けることは容易かったはずだ。

 つまり、ブリュンヒルデは自分の力を過信してクロードを侮り、結果的に彼を強化してしまった事になるのだ。

 だが、その事を反省しつつも、だからこそブリュンヒルデは戦い半ばで呼び戻されてしまった事が不服なのである。

 を使えば、クロードを瞬殺することなど造作もなかったのだから……

は小蠅を払うために使うものではない」

 ハッとブリュンヒルデは顔を上げオーディンの顔を真正面から見据えた。

 まるで自分の心を見透かされているかのようなその言葉にブリュンヒルデは驚愕すると同時に、目の前のこの男に恐怖すら覚えた。

 確かにそうだ、あの力は強力ではあるが代償も大きい、との『ラグナロク』も控えている今の状況でただ少し目障りなだけの相手に使うような代物ではない。

「今はラグナロクを成功させるのが急務だ。クロード・トゥームスらの始末はその後でも問題はあるまい?」

 オーディンの言葉にブリュンヒルデは小さく頷く。撤退する際にクロードには釘を刺しておいた。彼らがこのアルミシティから逃げることはおそらくないだろう。ならば彼らの始末は後回しでもいい。

 だがしかし……とブリュンヒルデは考える。果たしてそれでいいのだろうか。確かに今のクロードなら自分が真の力を使えば楽に倒せるだろう。ラグナロクが成功しある程度制約なしに使えるようになれば彼を始末することなど容易い。だが、それはクロードがだったらの話である。

(ただ力を覚醒させただけであの強さ……。もしも、今後クロードがさらに強くなることがあれば……)そう思うとどうしても不安になってしまうのだ。

 だが、そんな彼女の思考は、オーディンが次に発した言葉によって一気に吹き飛ばされる。

「ブリュンヒルデよ。機は熟しつつある。いよいよラグナロクの第一段階を開始する時が来たようだ」

 その言葉を聞いた瞬間、ブリュンヒルデの表情が一変した。目を見開き、わなわなと身体を震わせながら、興奮を抑えきれないといった様子で口を開く。

「お、おお! ついに我らの悲願が……! 『古き神々』の支配から逃れ、この世に新たな秩序を打ち立てるという大いなる目的が……!」

 感極まったのか涙を流し始める彼女に向かってオーディンは言葉を続ける。

「ああ、その通りだとも。まずは、表社会に我らの名を轟かせる。そのためのターゲットはこの男だ!」

 そう言うと、オーディンは懐から一枚の写真を取り出し、デスクの上に乗せると片手に携えたナイフをそれに突き立てた。

「ヴェルナー・クランツ。世界最高の術士……。ヴァナヘイムで育て上げた我らの兵士がこの男を完膚なきまでに叩きのめせば、世界に対し我らの存在を知らしめることができるだろう」

 オーディンの言葉を受け、ブリュンヒルデはごくりと唾を飲み込む。

「ブリュンヒルデよ、貴様にはそのサポートの任を与える。5日後、術士大会に我らが送り込む刺客を陰から見守り、無事任務を果たせるよう補佐するのだ。いいな?」

 ブリュンヒルデは深々と頭を下げると、再び顔を上げる。その顔は決意に満ち溢れた表情であった。

「お任せください、必ずや任務を遂行してみせますわ。オーディン様……」

 そして、オーディンが差し出した手の指先をそっと掴み、手の甲に軽く口づけをするのだった。

「私の全てはあなたのために……」

 そう言って微笑むと、彼女は踵を返して部屋を後にする。スキップでもしてしまいそうなほどに足取り軽く歩く彼女の頭の中からは、もはやクロードの事など消え去っていた……。

 *

 5日後、リューヤたちは術士の学生大会の会場前にいた。

 この5日間、ユグドラシルについて調査はしていたものの、特にめぼしい情報はなく、本部とされている場所に聞き込みに行ってみたりもしたがやはりそう簡単に尻尾は掴ませず、自分たちは真っ当な団体だ、変な因縁をつけるなら訴えを起こさせてもらうぞと言われてしまったりなど散々だった……

 だが、幸いと言うべきか、ブリュンヒルデの襲撃もあれ以来なく、とりあえず無事にこの日を迎えたというわけである。

「ユグドラシルは『ラグナロク』とかいう大きな目的のために動いてるという話がある。俺たちに構ってる余裕はないのかもしれない。しかし、となるとそんなユグドラシルの息のかかった学校がこの大会に出てきたという事にはやはり何か重要な意味があるはずだ」

「大会で何かが起こる可能性が高くなってきたってことだな」

 リューヤの言葉にクロードが額に皺を寄せながら頷く。

「ま、とにかく客席に行きましょ? ユグドラシルの事も気になるけど、この大会自体も術士の端くれのあたしとしては見逃せないイベントだしね」

 そう言って笑うシルヴィに釣られてリューヤも笑みをこぼすのだった。

「どうやら、こちらの狙い通りに事は推移しているようですね。シルヴィさんなら絶対に私のアカウントをチェックすると思いましたよ」

 会場に入っていくリューヤから少し離れた場所、あの謎の少女ティアリスがいつもの無表情で呟く。

 そう、あのヴェルナーファンのアカウント【mysteriousgirl@ヴェルナー様LOVE】の持ち主は彼女だったのである。

 彼女はそれを使いユグドラシルと関りを持ったリューヤたちがここに来るよう誘導していたのだ。

「さて、私は高みの見物をさせてもらいますか……。それにしてもユグドラシルという組織、身の程知らずの上に情報収集能力まで欠如しているとは、あれでよく新たな秩序の創造などと言えたものです……」

 呆れた様子でため息をつくと、少女はそのまま姿を消したのだった……。

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