第30話 見下ろす少女

 ピリアやクロードがいる場所から離れたビルの屋上、人気のないその場所のへり、まさにギリギリのところに1人の少女が立っている。

 風にポニーテールにまとめた銀色の髪を靡かせるその少女の名はティアリス。

 ブリュンヒルデの襲撃前、ピリアと邂逅したピリアの人間体とよく似た容姿を持つ謎の少女であった。

「もしもの時は手助けしてあげようと思ったのですが、必要ありませんでしたね……」

 とある一点に視線を向けながら、無表情でそう呟く。

 彼女の視線の先にあるもの、それはピリアの姿であった。見えるはずのない距離だというのに、まるでそこに彼女がいることが分かっているかのようにじっと見つめている。

「それにしても、『カオスソウル』だけでなく『セイヴァー』もいるとは……なかなか面白いことになっていますね」

 ティアリスは僅かに視線を動かす、その遥か彼方にはヴェルナー・クランツのライブに満足した表情を浮かべるシルヴィの姿がある。

 そして、さらに視線を動かしクロードがいる地点を見つめる。

 繰り返すが、とても見えるはずのない距離である。仮に人外レベルの視力を持ち合わせていたとしても絶対に見えない位置だ。

 しかしそれでも彼女はクロードたちの居場所を正確に把握しているようであった。

 ティアリスの口元にわずかに微笑が浮かぶ、それはよほど注目していないと見落とすほどの小さな変化だった。

 しかし、彼女のことをよく知る者ならわかっただろう、彼女は心の底から楽しそうに笑っていることを。

「セイヴァーの力は……を惹きつける性質を持っています。おそらくピリアはクロードさんに対して、恋に近い感情を抱いたかもしれません」

 彼女は目をつぶり、先ほど『視ていた』クロードとブリュンヒルデの戦い。そしてクロードへと向けたピリアの視線を思い出す。

「もっとも、それはあくまでも力に惹かれているだけ。本当の恋とは違いますけどね……」

 精神的に幼いピリアにはその違いは分からないだろうとティアリスは思う。だがそれでいいのだとも思っていた。

 これはピリアの成長のきっかけとしては悪くない出来事だ、と。

「そう、あの子には成長してもらわないと困るのですよ。にやられているようでは…………として、あまりに情けないですからね」

 ティアリスの頭の中に浮かぶのは、ブリュンヒルデにいいようにあしらわれて敗北したピリアの姿だ。

「まさかあそこまで弱体化しているとは思いませんでした。あの子、もしかしたら『マンイレイザー』レベルにも達していないのではないでしょうか?」

 ティアリスの言葉には隠しきれない落胆の色が滲んでいた。

「……まあ、いいでしょう。これからです。これから先、あの子はどんどん強くなるでしょうから」

 期待に満ちた表情で、そう呟くのだった。

「そんなところに突っ立ってブツブツ言ってると変な奴だって思われるぜ、ティーちゃん」

 ふいに、後ろから声をかけられた。

 声とその『気』だけで、それが誰か分かったティアリスは振り向きもせずに無表情のままで答える。

「ほっといてください。好きなんですよ。こうやって高い場所から見下ろして謎めいた言葉を呟くの。大物感があって格好良いじゃないですか」

 そんなティアリスの言葉に、背後の人物はプッと吹き出すような反応を見せると、そのまま続ける。

「ティーちゃんってやっぱり結構子供っぽいところあるよな」

「私も一応年頃の少女ですからね。そんな事よりも、いいんですか? こんなところに顔を出して、お仕事の最中でしょう?」

 相変わらずティアリスは背後には目もくれず、ただ前だけを見つめ続けている。

 だがその人物は気にする様子もなく話を続ける。

「つれないねぇ、せっかく休憩中に会いに来てやったのによ。が聞いたら、どんな顔するかな~」

 そんな言葉に、ティアリスは小さくため息をつく。そして呆れた口調でこう返す。

「プライベートで会いに来てくれたのでしたら少しは笑顔でも見せて差し上げますが、どうせについての確認でしょう?」

 彼女の言葉に、相手は満足げに頷く。そしてニヤリと笑うとこう言った。

「流石ティーちゃん、察しが良いな。それでどうだったんだ?」

 その質問に、ティアリスは相変わらず無表情のまま答える。

「大体のことは把握出来ました。組織規模的にはなかなかのものですね。伊達に新たな秩序の創造とかほざいてるわけではないようです」

 その言葉を聞いた瞬間、相手の男は嬉しそうに顔を綻ばせる。

 その表情を見て、ティアリスは再び小さくため息をついた。

(全く……この人は……)

 心の中でそう呟くと彼女はさらに続ける。

「とはいえ、私たちと同等の戦力はフカシすぎですね。もちろん、私たちにとっては気にするような相手ではありません」

 ティアリスが最初に口にした私たちと、二度目の私たちでは同じ言葉でもニュアンスが異なっていた。

 相手もそれが分かっているのかニヤニヤしながら答える。

「ま、そりゃそうだろうな。しかし、俺たちはともかくとして、アマンダあたりでもなんとかなりそうな相手って事か。もなんでそんな奴ら相手にお前を投入なんてしようと思ったんだろうな?」

 相手の言葉に、ティアリスは小さくため息をつくと言った。

「慎重を喫してるんじゃないですか? あるいは、そろそろ本格的に仕事をさせたい時期なのかも……」

「なるほどな……」

 納得したように頷く相手に、ティアリスは「でも……」と続ける。

 そして、初めて相手へと顔を向けるとこう言った。

「ある意味では感謝してますよ。おかげでこうしてあなたとお話できるわけですから」

 その言葉に、相手はポリポリと頬を掻くとこう返す。

「ティーちゃん。よく恥ずかしげもなくそんなこと言えるよなぁ……。まぁ、そこがお前の良いところなんだけどさ」

 その反応を見て、彼女は悪戯っぽく微笑むと続けて言った。

「ふふ……ありがとうございます♪」

 そしてこう続けるのだった。

「まあ、ともかく。私はとりあえずはあの男の指令通りに動きますよ。私やあなたの目的とズレているわけではないですしね」

「ああ、そうだな。まあわざわざ言う必要もないだろうが、とりあえずは頑張れとでも言っておくぜ」

 その言葉に対して彼女はニッコリと笑うと答えた。

「ええ、言われなくても頑張りますよ」

 そんな彼女の反応を見て、彼は苦笑すると言った。

「ったく……相変わらず可愛げのない奴だな……」

「何を言ってるのですか。冷血女、鉄面皮などとあだ名される私の笑顔を唯一見ることができる立場のくせして……。これ以上を望むなら、そうですね……もう少し私に優しくしてください」

 言われて彼は僅かに思案するが、ふっと笑うとこう言った。

「……じゃあ、仕事が終わったらなでなででもしてやろうかね。ただし、完璧にこなさないとしてはやらんがな」

「ふふっ……楽しみにしてますね♪」

 そう言って笑うと彼女は再び前を向いた。

 その背後では、現れたときと同じく唐突に、男はその気配も残さず消え去っていた……

 ティアリスはしばらくその場にたたずんでいたが、やがてビルのふちに足をかけるとそのまま跳躍する。

 ティアリスはそのまま空中で二、三度回転すると、とある建物の屋根の上にふわりと降り立った。

「さて、とは言えどうしましょうかね。完璧にこなさないとなでなでしてもらえないと言われてしまった以上は、いい加減な仕事はできませんし……」

 ティアリスは顎に手を当てて考え込む、その時。

「おーいあんた、そんなところにいると危ないぞー」

 下から声が聞こえてきた、それは今ティアリスが屋根の上に乗っているコンビニの店長の声だった。

 謎の美少女が屋根の上で難しい顔しながら考え事をしているのを見かけてしまった彼は心配になって声をかけたのだ。

 つうっとティアリスの頬を冷や汗が一筋流れる。

 そして、店員の方を見ると言った。

「すいません、すぐ降ります……」

 ティアリスは屋根の上から飛び降りると、そのままコンビニの店内に入っていく。

「いや、店内に入るんかい!」

 店長は思わず突っ込んでしまうがティアリスは気にしない様子だ。

 しばらくしてドサッとカウンターに置かれたのは写真週刊誌とスポーツ新聞、サングラスにアンパン、牛乳。

 そしてなぜか禁煙パイポ。

「すいません、後肉まんと、ピザまんとチキンとソフトクリームと……」

 さらにレジ前のホットスナックコーナーにある商品を次々と注文していくティアリス、どう見ても1人分ではない量だ。

 その量に店員は思わず尋ねる。

「え? そんなに?」

「はい、支払いはポイントでお願いします」

「はあ、わかりました」

(まあ、友達と食べるのかもしれないし別にいいか)

 勝手に納得しながら店員はティアリスが差し出した携帯デバイスのポイントカード機能のバーコードを読み取る。

 するとかなりのポイントが溜まっていた。

(見かけによらずポイ活の鬼か……)

 屋根の上にいたり少し変わったものを購入したりホットスナックコーナーの商品を大量に購入したりと不思議な客だったが、この大量のポイントを見て店員はティアリスのことを少しだけ好きになった。

 会計が終わるとティアリスは袋を受け取りコンビニを出る。

「さて、では行きますか」

 購入したサングラスを装着し、ソフトクリームをペロペロ舐めながらティアリスは歩き出す。

 その時だ、プルルルと携帯デバイスが鳴った。

 懐に手をやりそれを取り出し表示された名前を見た瞬間、ティアリスの顔があからさまに嫌そうに歪む……。

 相手は彼女が心底嫌いな数人のうちの1人だったのだ。よっぽど無視してやろうかと思ったが仕方なく通話ボタンを押すことにした。

 その前に、ソフトクリームの残りをコーンまで食べ尽くすことも忘れない……。

 ピッ!

「もしもし……。何の御用ですか? よほどのことがない限りは掛けてこないで欲しいのですけれど」

 不機嫌さを隠そうともせずに言い放つティアリスに対して電話の主はそれを上回る不機嫌な声で答える。

 ティアリスはため息を吐きつつも、苛立つ気持ちを抑え電話の相手との会話を続ける。

「ええ、はい。その件に関しては順調ですよ。厳しいかも知れませんがなんとか頑張ってみますと、総帥にもお伝えください」

 心にもないことを言ってみるも相手はそれで納得する様子はなかったようだ。

 それどころかさらに不機嫌そうな声色になる。どうやらお説教モードに入ったらしい。やれやれと思いながら適当に相槌を打つことにする。

 しかし、このままではいつまで経っても終わらないだろうと判断したので強引に話を戻し本題に移らせることにした。

「そんなことより用件は何なのですか?」

 そう尋ねると相手は思い出したかのように話し始める。

「はい……。ええ、どうやらそうらしいですね。それが何か? え……? それは本当ですか?」

 適当に相槌を打っていたティアリスだったが、相手が口にしたある情報に幾分興味を惹かれたようで食い入るように聞き始めるのだった。

 そして一通り話し終えると電話を切ったのである。

「これは……少々面白いことになりましたね」

 先ほどの電話によってもたらされた情報、それは今の彼女にとって非常に興味深いものだった。

「これを利用すれば私の考えていたことが実現できるかもしれません」

 そう言うと彼女は小さく口元を歪める。そして、ガサッと先ほど購入した品が入ったビニール袋に手を突っ込むと中から肉まんを一つ取り出し口にくわえる。

「ユグドラシル、実に身の程知らずな連中ですが、おかげで良いアイデアを思い付きました……」

 そう呟くとそのまま食べ歩きをしながら街へと消えていったのだった……。

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