第29話 一先ずの幕切れ

「さあ、刮目せよ! ユグドラシルがヴァルキリー、ブリュンヒルデの真の力を!!」

 ブリュンヒルデにエネルギーが集中していく……。

 ピリアが、クロードが息を飲み込んだその時――

「お、お姉さま、何故ですか!? 彼らをこの場で始末しておかないと後々大変なことになるのですよ!?」

 唐突に、ブリュンヒルデが虚空に視線を向けてそんなことを叫ぶ……。

 一体どうしたというのか? ピリアとクロードは口をポカンと開けて呆然としていた……。

 そんな二人を無視し、ブリュンヒルデの言葉は続く。

「う……それは、確かに……私の力はこんなところで使うべきものではないことはわかっております……との『ラグナロク』を前に力を使うのは……」

 ブリュンヒルデの声のトーンは徐々に落ちていくが、クロードは困惑するばかりだ。

「テレパシー……」

 ポツリ、とピリアが漏らした呟きに、クロードはブリュンヒルデから視線を外さないままに尋ねた。

「テレパシーって、あの超能力で遠くの人と会話できるっていうやつか?」

「たぶん……。今あいつはそれを使って誰か――あいつがお姉さまと呼ぶ存在と話してるんだと思う……」

 ピリアの言葉になるほどなとクロードは得心する。

 誰でも使えるものではないが、そういう能力が存在することはクロードも知っていたのだ。

(あいつのお姉さまとやらが、力の使用を止めてるって事か……。正直ここからさらに力を上げてこられたらオレは間違いなく死ぬだろうな……)

 冷や汗をかきながらそんなことを考えるクロード。

 この自分たちの耳には聞こえてこないやりとりに、自分たちの運命が掛かっているのかと思うと気が気ではなかった……。

 だが、どうやらブリュンヒルデは『お姉さま』の言葉に従うことにしたようだった。

 彼女はクロードたちの方へと視線を向けると口を開く。

「命拾いをしましたね。今日のところは見逃してあげましょう。今我らも大事な時期でしてね、あまりあなたたちに構っている余裕はないのですよ」

 その言葉にホッと息を吐くクロードだったが、ブリュンヒルデはびしっと指を突き付けると続ける。

「しかし、我らユグドラシルは邪魔者を決して逃がしません。必ずあなたたちの前に現れ、その時こそあなたたちの命を刈り取って見せましょう」

 ゾクンとクロードとピリアの身体に悪寒が走る。

 ブリュンヒルデの瞳には殺意が宿っていた。その言葉が冗談ではないことは嫌というほど伝わってくる……そして、彼女が本気で自分たちを殺そうとしていることも……。

 そして、最後に彼女はこう告げてきた。

「とはいえ、この町を離れられても面倒なので一つ釘を刺しておきましょう。あなたたちが町を離れれば私たちはこの町の住民を皆殺しにするでしょう……そのことをゆめゆめ忘れないようにお願いしますよ?」

 そう言い残すとブリュンヒルデは空中に浮かび上がると、あっという間に姿を消してしまったのだった……。

 後に残された二人はしばらく呆然としていたが……やがてクロードが大きくため息を吐く。

「とんでもないことになったが、とりあえず終わったか……」

 奴がもう一度来ると思うと気が重くなるが、来るとわかっているなら対策を考えることができる。

 リューヤやシルヴィと合流すれば、優位な戦いが出来ると考えるクロードでもあった。銀髪少女の正体を知らない彼の計算の中にはピリアも入っているのだが……。

 そのピリアはクロードと同じく安堵のため息を吐きつつ、クロードへと視線を向けた。

(なんとか助かってよかった……。それにしても、あのクロードがあんなに強くなって、そしてカッコよく見えるなんて思わなかったなぁ……)

 ピリアの胸は未だにドキドキと高鳴っていた。これは危機的状況を乗り越えたという興奮だけはないだろうということはピリアにもわかっていた……。

 その時、ピリアの視線に気づいたのかクロードがこちらを振り向き笑顔を見せてきた。

 一瞬ドキリとするピリアだったが、次の瞬間クロードが「うわっ……」という呻きとともに自らの顔を手で覆ったのを見たことで、今の自分の格好を思い出し慌てて両手で体を隠すのだった……。

 そして、恥ずかしさのあまり、思わず叫んでいた……。

「み、見ないでっ!」

 そう、戦闘に気を取られていたせいでピリアもクロードも完全に失念していたのだ。ピリアが先ほどブリュンヒルデに服を引き裂かれていたことを……。

 クロードからしてみれば、あの温泉での覗き(?)以来の彼女の裸体との再会であるが、今回は当人を目の前にしたうえでの目撃だ。しかも相手は羞恥心から涙目になっているのだ。

 これには流石のクロードも参ったようで慌てて顔を背けた。

(やっちまったなこりゃあ……だけど……)

 クロードはとあることに気づいていた、それは、少女の肌に刻まれたはずの痛々しい裂傷と流血がいつの間にか消えていることだ。

 確かに少女は裸なのだが、その体に目立った外傷はなく綺麗な肌を晒しているのだ。

(自己治癒能力でもあるってのか……? やっぱりこの子は普通の人間とは違うんだな)

 森の妖精という自分の推測は当たらずとも遠からずだったのかもしれないと改めて思うクロードだった。

 そして、あの綺麗な肌に傷が残るようなことがなくて良かったとも思っていた……。

(それはともかく……)

 クロードはキョロキョロと周囲を伺う。

 何か彼女の身体を隠すものを探しているのだ。そして、クロードはちょうどいいものを見つけた、それは先ほどブリュンヒルデが脱ぎ捨てた彼女の全身を覆っていた黒いマントだった、ピリアより上背のあったブリュンヒルデの全身を覆い隠すほどの大きさがあったマントである、これならピリアの身体全体を覆い隠すことが出来るだろう……

 そう思いながらそれを拾い上げるとピリアの方には視線を向けないまま、「ほら、これで身体を隠せよ」と彼女に手渡したのだ。

 そしてピリアはそれを受け取るとすぐさまそれを羽織り全身を隠したのだった。だがそれでもやはり恥ずかしいものは恥ずかしかったらしく、その頬は赤く染まっていた。

 とりあえず肌が隠されたことで、振り向くクロードだったが、素肌の上に黒いマントだけを纏ったその姿は逆に扇情的に見えてしまい、彼はゴクリと生唾を飲み込んだのだった……。

 それに気づいたピリアは思った。クロードはやっぱりクロードだ、何も変わっていないスケベな少年だ。

 こんな奴にドキドキさせられて自分はバカみたいだ! そう思った瞬間、ピリアの身体はいきなり近づいてきたクロードに抱きかかえられていた。しかも横抱き、所謂お姫様抱っこというやつである。

 突然のことに驚くピリアだったが、腕の中の彼女を見下ろしながらクロードは言った。

「さっきそのマントを探すとき周囲を見回したんだけど、オレたちが叩きのめしたあいつの部下たちの姿も消えていた。そろそろ奴らが張った人払いの結界も消える頃だ、その前にこの場を離れる」

 ハッとするピリアだったが、「わかるけど……!」とクロードの腕の中でもがく。

「それならこんな格好しなくてもいいじゃん!」と叫ぶが、それに対して返ってきた言葉は彼女への気遣いを含んだものだった。

「お前、まだ歩けないだろ? それにその格好だ、せめて人気がなくなる場所まではこのまま我慢してくれ」と言われてしまえば反論できないし、実際その通りなので仕方ないと思いなおすしかない。

 渋々といった感じではあるが大人しくなったピリアを見てクロードは精一杯格好つけた笑顔を向けて続けた。

「しばらく大人しくしていてくれよ、お姫様。オレが必ず守ってやるからさ!」

「お、おひめ……」

 人からそんな扱いを受けたのは初めてだったので、戸惑いつつもなんだか嬉しい気分になってしまうピリアであった。

(クロードのくせに生意気だよ!)心の中で毒づくものの、顔は自然と綻んでしまうのだった……。

 それからしばらくして、街外れにある人気のない路地裏へとやってきたピリアとクロードはそこでようやく一息ついた。

「も、もういいでしょ、降ろしてよ!」

 抱えられている状態が恥ずかしくなってきたピリアはクロードの胸を両手で押して抗議する。

「大丈夫なのかよ、お前」

「だ、大丈夫! もう、動けるくらいまでは回復したから!」

 心配そうに言ってくるクロードにピリアはいい加減恥ずかしすぎるこの状態から解放してほしいと願いながら言った。

 とはいえ嘘は言っていない、まだ少し痛みはあるが、自己回復能力で、ある程度回復していた。

 ピリアはクロードの腕の中で両腕を上に上げてポーズを取り自分がもう大丈夫であることをアピールした。

 それを見て安心したのか、クロードはゆっくりと彼女を地面に降ろす。

(くそう、もう少しこの感触を味わっていたかったぜ……)

 そんなことを思っていたクロードだが、もちろんそんなことは口に出さない。

 しかし、その腕にはピリアの身体の柔らかさがしっかりと残っており、彼はそれを反芻するように思い出しながらニヤニヤしていた。

 そんな彼にピリアが言う。

「何ニヤけてるの?」

「え? ああいや、なんでもない」

 慌てて取り繕うクロードだったがピリアは半眼で彼を睨むと小さく「すけべ」と呟いた。

 それにギクリとした様子を見せるクロードの姿にピリアはため息を付く。

(やっぱりクロードはクロードだ……でも……)

 ピリアは小さく笑う。この方が彼らしい、突然の力の覚醒と変貌にもしかしたらいつぞやのシルヴィのようにクロードも何か別の存在に変わってしまったのではないかと不安に思ったこともあったのだが、それは杞憂だったようだ。

「さてと、それじゃボクは行くよ。君の意外な一面見れてよかった。それと、言ってなかったけど、ありがとう、助けてくれて……」

 そう言うとピリアは素早く背を向けてその場から走り去って行く。

「あ……ま、待ってくれよ!」

 クロードは慌てて追いかけるが、すでにその姿はどこにもなかった……

「また名前聞きそびれちまった……」

 残念そうにつぶやくが、すぐに気を取り直す。

「だけど、今回の事であの子とグッと近づいた気がするし、まあよしとするか」

 先ほどの姫抱っこ、明らかに『まんざらでもない顔』をしていた少女の表情を脳内再生してクロードは一人満足げにうなずく。

「それに、何故か知らないが、あの子とはまた必ず会える。そんな予感がするんだ……」

 今はまだ多少の好意でも何度も繰り返し会ううちにそれはやがて恋心に変わるかもしれない。

 そんなことを考えるとクロードのテンションはさらに上がっていった。

「よしっ、そのためにもオレはもっと強くならなくちゃな!!」

 そう決意を新たにし拳を天へと突きあげるクロードなのであった。

「やれやれ……今回はとんでもないことになっちゃったな……」

 クロードの元を去り、大分離れた場所までやってきたピリアは、意識を集中し再び普段の小動物――リスに似た姿――へと戻り息を大きく吐き出した。

 とさっと、先ほどまで纏っていた黒いマントが地面へと落ちる。人間形態の時に着ている服は変身すると同時に出現し、戻れば消えるものであるが、このマントは元々ピリアの物ではないので消えはしないのだ。

 彼女は地面に落ちたマントを見つめながらぼんやりと考える。

(そう言えば、普段のボクって裸なんだよね……。なのに、なんで人間の姿で誰かに見られちゃうと恥ずかしいんだろう……?)

 素朴な疑問だったが、別にどうでもいい事なのでそれについては考えるのをやめた。

 それよりも、ピリアの頭の中にあるのは、人間形態の裸をクロードに見られたことだった。

(うう……思い出すだけで恥ずかしくなってきたよ……)

 赤面しつつ両手で頬を抑えながらその場にしゃがみ込むピリア。だがすぐに立ち上がると気持ちを切り替えて歩き始めるのだった……。

(それにしても……クロードの覚醒にはびっくりしたな……結局クロードはクロードだったけど、ちょっとカッコよく見えたかも……)

 思わずそんな事を考えてしまい、ピリアはふるふると首を振る。

(まずいなこれ、このままだと妙なことになっちゃいそうだ……)

 今回人間形態でクロードと顔を合わせてしまったのは大失敗だとピリアは心の中でため息を吐く。

 クロードは自分の人間形態に対してますます興味を持ってしまっただろうし、もし次に会ったときに正体がバレてしまえば確実に面倒なことになる。

(そもそも、リューヤから安易に人間形態になるなって言われてたのに……)

 とりあえず今後は言いつけを守り、もう二度とクロードの前では人間形態にならないと誓うピリアである。

(だけど……クロードの前では人間形態にならないにしても、今後ボクはまた人間形態にならざるを得ない時が来る……)

 ピリアの脳裏にブリュンヒルデの笑い顔が浮かんで消える。

 やられっぱなしでは気が済まないし、このまま負けたまま引き下がるのは癪だった。

(あいつを相手にするなら人間形態になる必要がある。それも、今までよりも強くなって……)

 ピリアは自身の小さな手を見つめるとギュッと握りしめる。

(弱いままじゃいられない……のほほんとしてられないんだ!)

 そして決意に満ちた目で空を見上げると再び歩き出すのだった……

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