第27話 守るべきもののために

「いい格好ですね」

 ブリュンヒルデは冷酷な微笑を浮かべながらピリアを見下ろす。

「さあ、これでとどめです。安心なさい、一瞬で楽にしてあげますから」

 そう言いながら、剣を振り上げるブリュンヒルデにピリアの背中を悪寒が駆け抜けたその時。

「や、やめろぉ……」という声とともにクロードが立ち上がった。

 恐怖しているのか、その声は震えていたが、それでも彼は一歩ずつ踏み出していく。

 それを一瞥しブリュンヒルデは呆れたようにため息をつくとクロードの方に向き直り言う。

「焦らなくとも、このお嬢さんを殺したら次はあなたを殺して差し上げますよ、ふふ、あなたの絶望した表情を見るのが楽しみですねぇ……」

 ブリュンヒルデはクスクスと笑うと再びピリアの方に向き直った。

 そしてゆっくりと剣を振り下ろす。

(ああ……ボクはここで死ぬんだ……)

 覚悟を決めるピリアだったが、再びクロードが今度は絶叫に近いほどの大声で叫んだ。

「やめろおおおお!!」

 そして、ピリアへと意識を向けていたブリュンヒルデに体当たりを食らわせ彼女を弾き飛ばした。

「きゃっ……」と年相応の可愛らしい悲鳴を上げるとブリュンヒルデはそのまま地面に倒れ伏した。

 しかし、即座に立ち上がろうとする彼女を見て、クロードはピリアを庇うようにその身体の上へと覆いかぶさった。

「クロード……なんで逃げないの……」

 身体の下で非難に近い声を上げるピリアに対してクロードは言った。

「逃げるわけねえだろ! お前を置いていけるか!」

 その言葉にピリアは思わず言葉を失う。

「目の前で殺されそうになってる奴がいるってのに見逃したとあったら、ご先祖様に顔向けできねえんだよ……!」

 その悲痛な叫びを聞いてピリアはハッとさせられる思いだった。

(そうか……そうだね、ボクはまだ君の事を見くびってたみたいだよ……)

 未熟でも、普段はふざけていても、彼もまた誰かを守るために戦える男なのだということを改めて認識させられた気がしたのだ。

(だけど、この場では君のその判断は間違いだよ……だって……)

 次の瞬間、ブリュンヒルデがゆらりと起き上がるのが見えた。その表情には笑みが浮かんでいる。まるでこの状況を楽しんでいるかのようにすら見えるほどだ。

「素晴らしいですねぇ、しかし、無意味です。どうせ二人とも殺すのですから」

 ブリュンヒルデがピリアに気を取られている隙に逃げていればクロードは助かった可能性がある。

 しかし、逃げなかったことでその可能性は潰れ、二人とも死ぬという最悪の選択をしてしまったのである。

 だが、クロードはその選択を後悔などしていなかった。

 むしろ、ここでピリアを見捨て生き残っていた方が後悔するだろうと確信していたからだ。

(だけど、出来ることならオレはこの子だけでも助けたい……!)

 クロードは思った、そのためなら命だけでなく自分の全てを投げ打っても構わないと。

「一つだけあなたたちに慈悲を与えてあげましょう。二人同時にこの剣で貫いてあげますよ」

 そう言って笑うブリュンヒルデだったが、クロードはそんな言葉には耳を貸さず、ただ心の中で願っていた。

(力が欲しい……すべてを守れる力じゃなくてもいい、ただ目の前の誰かを助けられる力がほしい……!)

 これほどまでに何かを願ったことはかつてなかったかもしれないというほどに強く願う。

「さあ、死になさい!!」

 ブリュンヒルデは剣を振り被り一気に振り下ろす。

「くそおおおおっ!! オレが本当に勇者の血を引いているなら、今ここで奇跡を起こせえ!!」

 クロードは叫ぶ。彼は初めて心の底から思った、勇者の力が欲しい、この状況を覆せる力を欲しいと。

 そして、その願いは言葉通りに奇跡を起こす! いや、それは奇跡ではなくおそらく必然なのだ。

 今まで彼は自分の中に眠る勇者の力というものにどこか懐疑的でいたのだ。

 勇者の血を引いていると聞いていたし、実際それは本当のことだと思ってはいたが、それでも自分に他人と比べて秀でた才能があるとは思えなかったのだ。

 彼はその意識によって、自分で自分の力を押さえつけてしまっていたのかもしれない。

 だが、今彼は心の底から願った、自分を縛り付けていた鎖を解き放ちたいと。

 だからこれは奇跡ではなく当然のことだったのだ。彼が心からそう願うことによって生じた必然的な現象なのだから。

 しかし、ブリュンヒルデはそんなクロードの中での変化など知る由もなく口元を歪め願いによる力の覚醒などという奇跡に頼ろうとするクロードをあざ笑った。

 そして、彼女が振り下ろした剣がクロードの頭に触れる寸前だった。

 ガギッ!!

 そんな音を立て、クロードの背中を切り裂くはずだった剣が、見えない壁にぶつかったかのように弾かれる。

「なっ!?」

 ブリュンヒルデは慌てて距離を取り、驚愕の表情を浮かべた。

「ク、クロード……?」

 彼の腕の中からピリアがクロードを見つめつつ呟く。

 突然の現象に彼女の目は大きく見開かれていた。

 クロードはそんなピリアから腕を離しゆっくりと立ち上がると、ブリュンヒルデの方に体を向ける。

(こ、この力は何? 確かにクロードは勇者の子孫を自称してたけど……でもこんな力があるなんて……)

 ピリアはクロードの背中を呆然と見つめながら思った。その頭の中を渦巻いていたのは困惑だった。

 その時、視線に気が付いたのか、クロードが顔だけをピリアの方に向けて言ってきた。

「へ、へへ。どうやら奇跡って奴が本当に起こったみたいだぜ。安心しろ、お前のことはオレが必ず守る!」

 ドクンッ……その言葉と自分を射すくめるような視線を受けた瞬間、ピリアは心臓が大きく跳ね上がるような感覚に襲われた。そして、同時に顔が熱くなるのを感じた。

(なにこれ……こんなの知らない……なんでドキドキしてるの……? ボクは一体どうしちゃったんだろう……)

 自分の変化に戸惑いを覚えつつも、ピリアは顔を赤らめつつ、コクコクと頷くことしかできなかった。

(わからない……わからないけど……)

 困惑の渦の中にいるピリアだったが、一つだけ確かなことがあった。

(今のクロードは……すごくカッコいい……かも……)

 ピリアの精神年齢は幼い、マセた調子で喋ることもあるが、今のこの人間形態の見た目以上に彼女は子供であった、幼児と言ってもいい。

 しかし、それでもピリアも女の子なのである。

 お調子者とはいえ、それなりに整った容姿を持つクロードが、そのお調子者としての仮面を脱ぎ捨てて真剣な表情を見せればどうなるか……答えは明白だった。

(うう、変だよ……ボクにはリューヤがいるのに……)

 それが恋とか愛とか呼べるものかどうかはともかくとして、ピリアには自分はリューヤが好きだという自覚がある。

 彼より素敵な男などこの世にいないと思っている、いや、思っていたはずだったのだ。それなのに……

(なんでクロードなんかに……。ハッ、そうだ、クロードはいつもふざけてるから、たまに真面目になるとビックリしちゃうんだ! きっとそうだよ! うん!)

 普段不真面目な奴が少しでもいいことをすると真面目な奴がいいことをするよりずっと称賛されるアレだ! そうに違いない! などと自分に言い聞かせるように考えるものの、心臓の音が鳴り止むことはなかった。

 ピリアはぐぐっと手で胸を押さえつけるが、その時クロードがブリュンヒルデに斬りかかる姿が目に映ったので慌てて視線を戻す。

 するとそこにはブリュンヒルデの攻撃をかわしながら攻撃を加えているクロードの姿があった。

(す、すごい……! 本当に勇者の力とかに覚醒しちゃったんだ……)

 自分が彼にドキドキしてしまう要因はこの力にもあるのだとピリアは思った。

 この力を見せられて何かを感じない者はいないだろう。女も、男も、子供も、老人でも、果ては魔物の類でも魅了してしまいそうなほどに今のクロードは輝いていた。

 そして、それは比喩的な意味だけではなくピリアには確かに見えた、クロードの身体に神々しい光が纏われているのが……

 しかし、恐るべきはそんな覚醒クロードと互角以上の戦いを繰り広げているブリュンヒルデである。

 ピリアは改めて彼女の恐ろしさを知ると同時に、自分が一方的にやられてしまったのも仕方ないと納得してしまったのだった。

 ピリアが知る限り、今の二人に並ぶものなど、リューヤしか思い浮かばない。

 力も足りず、受けたダメージのせいでまだ動けない。今のピリアに出来ることは、ただクロードの無事を祈ることだけだった。

(お願い……負けないで……)

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