第17話 謎の女科学者

 二人がいることなど忘れたかのように、親子の抱擁を交わしていたシルヴィとフレデリックであったが、やがてどちらからともなく身体を離すとお互いに見つめ合い微笑み合ったのだった。

 しかし、シルヴィはすぐに表情を引き締めると、真剣な面持ちで言った。

「パパ、今なら教えてくれるよね? 全部、何もかも。パパが何よりも仕事を優先するようになった理由、パパが会っていた女の事も。そして、さっきパパは言ったよね、あたしと向き合うことを怖れていたって、それはどうして?」

 その言葉に、フレデリックの表情が強張るのがわかった。しかし、それでも彼は黙って娘の目を見返していた。

 やがて意を決したように口を開く。

「……わかった、話そうじゃないか……お前が知りたい事をすべてな……」

 そう言うと、フレデリックは来客用のソファへと向かい、腰を下ろした。

 シルヴィはその後を追うようにして机越しに向かい合わせになるように座ると、真っ直ぐに父の顔を見つめる。

「俺たちは席を外すべきですかね?」

 親子の間に入るのは心苦しかったが、このままでは存在を忘れられかねないと思ったリューヤがそう尋ねるが、フレデリックは首を横に振ると言う。

「いや、それには及ばん。それに、君たちには娘の事で苦労を掛けただろう? 事情を聞く権利はあるはずだ……」

 それを聞いたクロードが驚いたように言う。

「えっ!? いやしかし……いいんすか?」

 その問い掛けにフレデリックが頷くことで答えを返すと、クロードも納得したのかそれ以上は何も言ってこなかった。

 そして、フレデリックに促されるままに、彼らもまたソファへと腰を降ろす。

 ちょうどシルヴィを挟む形で左右にクロードとリューヤが座ったのを確認すると、フレデリックは再び口を開いた。

「……さて、何から話したものか……そうだな、まずは私が何故お前を避け続けていたかという事について説明しようと思う……」

 そこで一旦言葉を切ると、フレデリックは大きく息を吸い込むとゆっくりと吐き出してから話し始めた。

「事の起こりは17年前、シルヴィが生まれた日から始まる」

「あたしが生まれた日……」

 ポツリと呟くように言う娘に頷き返すと、フレデリックは静かに語り始めた。

「あの日のことは今でもはっきりと覚えている。当然だ、初めて授かった我が子なのだからな。しかし、それは私とレイナにとって長い闘いの始まりでもあった」

 そう言って遠い目をすると、フレデリックは当時のことを思い起こすようにしながら話を続けるのだった。

「レイナが病弱だったことは当然お前も知っているだろう? 彼女の妊娠が判明した時、医者からは猛反対されたよ、出産には耐えられないかもしれないとね。私もその意見に賛同し、堕胎させようとしたのだが彼女は頑として受け入れなかった……『この子は私が必ず産みます!』と言って聞かなかったんだ……そこまで言うなら好きにさせてやろうと思って見守ることにしたんだ、そして彼女は頑張ってくれた。母子ともに命を失うことなく、出産という大仕事をやり遂げたのだ」

 感慨深げに言うと、彼は再び話し出した。

「私もレイナも幸せの絶頂の中にいた、しかしすぐに突き落とされることになる、生まれた赤子に問題があったのだよ……」

 その言葉を聞き、シルヴィの目が見開かれる。フレデリックがそれに気づかぬわけはないだろうが、構わず言葉を続けるようだ。

「赤子は生まれながらに重篤な疾患を抱えていたのだ。つまり先天性の遺伝子病だな、そこから私とレイナ、そして生まれた子供との病との闘いが始まったわけだ」

「ちょ、ちょっと待って!」

 そこまで聞き、混乱したようにシルヴィが叫んだ。

「その子供ってあたしの事よね!? あたしが生まれた時から病気があったってどういう事!?」

 今の自分は健康そのものだ、風邪すら引いたことがないのだ。そんな自分が幼い頃から重い病気を患っていたと言われても到底信じられるものではなかったのである。

 そんな娘の様子にフレデリックは僅かに目を伏せると言った。

「黙って聞くんだ。焦らずとも一つ一つ話してやる……」

 そう言われてしまえば黙らざるを得ない、渋々ながらも頷くとシルヴィは大人しく続きを待つ事にしたのだった。

(一体どういうことなんだろう……?)

 そう思いながらも彼女は父の言葉を待った。すると彼は静かに先ほどの話の続きを語り始めたのだった。

「私は方々手を尽くしてシルヴィの治療方法を探した。しかし、そんなものが簡単に見つかるわけもなく、時間だけが無為に過ぎていった……しかし、それでもシルヴィはよく頑張ってくれたのだ、3年生きられないと言われていたところを6年もの時を生き延びてくれたのだ……だが、運命とは残酷なものでな……ある日の朝、お前の容態が悪化したのだ……」

「そ、それで……どうなったの……?」

 恐る恐る聞きながら、馬鹿な質問だとシルヴィは思っていた。どうなったも何も、結果的には助かるから今自分はここに居るのだ……それが分からないほど愚かではないつもりだったのだが……しかし、それでも聞かずにはいられなかったのだ……もしかしたら自分の知らないところで何か取り返しのつかないことが起こってしまったのではないかと思うと不安に駆られてしまったのだ……

「死んだ……。そう誰もが思っただろうな……事実、医師達ですら匙を投げていたのだからな……」

 その言葉に、シルヴィの身体がビクリと震えた。自分が死んだと思われるほど危険な状態だったと聞いて恐怖を感じたのだろう……そんな彼女の様子を知ってか知らずか、フレデリックはさらに言葉を続ける。

「だが、悲嘆にくれ泣き叫ぶ私たち夫婦の前に現れた女がいた……彼女は言ったよ、『その子を助けてあげる』とね」

 そこで一旦言葉を切ると、フレデリックは大きく息を吸い込んだ後、ゆっくりと吐き出した後で話を再開したのだった。

「……彼女はドクタールーラーを名乗り、自分の持つ技術なら救うことが出来ると言ったんだ。ただし、条件として自分の研究に力を貸すことを求めてきたがな……」

(ルーラー……rulerか? 『支配者』とはふざけた名前だな……)

 フレデリックの話にリューヤは嫌な感覚を感じていたが、それを振り払うように頭を左右に振ると話の続きを促したのだった。

「……それで?」

「私たちは藁にもすがる思いで彼女を頼ることにしたんだ、娘の命を救うためにな……」

「そんな事があったんだ……」

 シルヴィは初めて聞く自分の過去話に驚きつつも、どこか他人事のように感じていたのだった……それはそうだろう、彼女にはその当時の記憶が一切ないのだ。

 どうして忘れてしまったのだろうかと疑問を抱くが、その答えは次の言葉で明らかになる事になるのだった。

「ドクタールーラーがシルヴィに施した治療の効果は素晴らしいものだった、完全に死んだと思われていた彼女の心臓は再び鼓動を始め、血液も正常な循環を始めたのだ……だが、問題があった……シルヴィは健康体になるのと引き換えに、それまでの記憶を全て失ってしまったのだ……」

 そこまで言うとフレデリックは小さく息を吐き出した後に続けたのだった。

「ドクタールーラーはこうも言っていたよ……『この子には今までの記憶なんて必要ないわ……だってこれからは幸せな人生を送るんですもの』とな。確かにそれは正しいのかもしれない。辛い病気の記憶などない方がよかったのかも知れん。しかし、記憶を失いそれまでとは別人のように明るくなった娘を見て私は思ってしまったのだ、彼女は本当に私の娘のシルヴィなのだろうかとね……それからというもの、私はシルヴィに対してどう接していいのかわからなくなってしまったんだよ」

 そう言って自嘲気味に笑うと彼は再び大きく息を吐き出すと言った。

(そうか……そうだったんだ……)

 シルヴィの中ですべてが繋がり、ようやく納得がいったのだ、自分に6歳以前の記憶がない理由、父が自分に対してどこかよそよそしい態度をとっていた理由が。

「しかし、今思えば馬鹿な話だ。お前は間違いなく私の娘だというのに、そんなことにも気付かないとはな……」

 自虐的に笑うフレデリックを慰めるように彼の手を握ると、シルヴィは言った。

「ううん、悪いのはあたし……。パパはあたしのことをこんなに愛してくれてたのに、それも忘れてあたしは酷いことばかり言ってたんだもん……」

 先ほどの話でシルヴィは父が仕事に没頭していた理由と時折女と密会していた理由にも思い至ったのである。

 つまりその女はドクタールーラー、彼女の研究に協力するためにより会社を成長させなければならなかったというわけだ。そしてそのために父は家族との時間を削っていたというわけなのである。

 そんな父の苦労など知る由もなく、父のことを家族を顧みず仕事にのめりこみ、外で女を作って遊んでいるロクデナシだと思い込んでしまっていたのだ。

 それだけではなく、実際に父に対して、恨み言をぶつけたこともあっただろう。そんなことを思い出しながら彼女は申し訳なさそうに俯いてしまうのだった。

「いや、悪いのは私だ。お前ともっとちゃんと向き合うべきだったのだ。幼かったころならまだしも、成長し色々なことを自分で判断できるようになったお前にすら私はこのことを隠し続けてきたのだからな……」

 そんな娘を抱き締めながらフレデリックは懺悔するように呟いたのだった。

「違うの、違う、悪いのはあたし……」

「ストーップ!!」

 さらに言い募ろうとするシルヴィの言葉を止めたのは、今まで黙って話を聞いていたクロードだった。

 突然の声に驚いた様子で二人はそちらへと顔を向けると、そこには不満そうな表情をしたクロードの姿があった。

 そんな彼の姿に戸惑いの表情を見せる二人だったが、構わずに彼は続ける。

「二人とも謝りすぎ! どっちが悪かったも何もないだろ? ただ、お互い不器用で、ちょっとすれ違っちまってただけさ」

 そこで言葉を切ると、彼はニカッと笑みを浮かべる。

「それにしても、やっぱり親子なんだな~って思うぜ!」

 その言葉にキョトンとした表情を浮かべる二人に彼は続けて言った。

「だってそうだろ? お互いにお互いの事を想い合ってるってことなんだからよ」

 それを聞いてハッとした表情になる二人を見て彼は満足気に頷くと言葉を続ける。

「過去に対する後悔はもう止めようぜ? 大事なのは今とこれからなんだしさ、それに、過去よりも今の方が大事に決まってるじゃねぇかよ?」

「クロード……ふ……あんたって、単純ね」

 彼の言葉を聞いた瞬間、シルヴィは思わず噴き出してしまったが、すぐに笑顔になるとそう言ったのだった。

 そんな彼女の言葉にクロードは少しだけ不満げな表情を見せる。

「おい、せっかく人が良いこと言ってるっていうのにそりゃないんじゃないか?」

 拗ねたように唇を尖らせて抗議してくる彼にシルヴィは首を振る。

「褒めてるのよ、あんたのその単純さこそ今のあたしたちに必要なものだって思ったから……」

 そう言って微笑む彼女の表情はとても穏やかで、それを見たクロードもそれ以上は何も言えなくなってしまうのだった。

「パパ、あたしたち、これからはちゃんと仲良くやっていけるよね?」

 不意に投げかけられた質問に一瞬戸惑った様子を見せたフレデリックだったが、すぐに笑顔を浮かべると大きく頷いて見せた。それを見て安心したような表情を浮かべたシルヴィもまた同じように頷き返すと、二人は再び抱きしめ合ったのだった。

(よかった……これでもう大丈夫だな……)

 そんな二人を見守るクロードの顔にも安堵の色が浮かぶのだった。

(ふ、クロードもなかなか良いことを言うじゃないか……見直したよ)

 そんな二人の姿を見ながらリューヤは思っていたが、同時に彼の頭にはドクタールーラーという女に対する疑念が浮かんでいたのだった。

(もう少し詳しい話を聞かなければな……。もしかしたら、シルヴィの例の力とも関係があるのかも知れん……)

 元々彼がシルヴィに同行したのは彼女の父であるフレデリックなら、シルヴィがバイオモンスターとの戦いの中で見せた力について何かを知っているかもしれないと思ったからである。

(とはいえ、今は親子の時間を邪魔するのも野暮というものか……)

 そう考えて、リューヤはとりあえずは黙って二人を見守ることにしたのだった。

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