第16話 シルヴィ、父との対面
「それじゃ、ボクは適当にそこらで時間潰してるからね~」
そう言いながら、どこからともなく取り出した白いハンカチを振るピリアに見送られながら、シルヴィはリューヤとクロードを引き連れ、レストナックインダストリー本社ビルへと入っていく。
シルヴィの顔を見た受付嬢はぎょっとした表情を浮かべたが、すぐに表情を取り繕うと丁寧な口調で言う。
「こ、これはシルヴィお嬢様、本日はどういったご用件でしょうか?」
そんな受付嬢の様子に、クロードは改めてシルヴィは本当にこの大会社の会長令嬢なのだと実感させられたのだった。
「パパ……会長のフレデリックに会いたいのだけれど」
シルヴィの言葉に、受付嬢は僅かに困ったような表情を見せる。
その様子にシルヴィはしまったと心の中で舌打ちをした。
考えてみれば、父は会長なのだ、いくら娘とはいえ、会いたいと言って即会えるような立場ではないのである。
そのことを失念していた自分を恥じた。
だが、リューヤがすっとシルヴィの横に立つと、受付嬢に向かって口を開く。
「アポは取ってあるんで、通してもらえますか?」
その言葉に受付嬢は一瞬驚いたように目を見開いた後、慌てて頷くと、手元の端末を操作し始めた。
「え、あ、はい。た、確かに会長に面会の予定がございますね……少々お待ちくださいませ……」
そう言って受付嬢は再び端末の操作を始めるのだった。
「ど、どういう事?」
戸惑った様子のシルヴィだったが、リューヤはこともなげに言う。
「昨日、この町に着く前にフレデリックさんに連絡を取り、お前が会いに行くと伝えておいたのさ」
シルヴィはリューヤの抜かりのなさに舌を巻く、ただ漠然と会いたいという気持ちでここまで来てしまった自分とは違い、彼はしっかりと先々のことまで見据えていたのだ。
その周到さに感心していると、受付嬢が再び顔を上げる。
どうやら手続きが終わったようだ。
「お待たせいたしました、それではこちらへどうぞ。会長は会長室でお待ちです」
促されシルヴィとリューヤは職員用のエレベーターに乗り込む。
(オレってなんか場違いだな、来なきゃよかったかも……)
シルヴィは当然として、リューヤもこの大企業の本社ビルという一種異様な迫力を持つ場所に対して一切気後れすることなく堂々としている。
クロードは自分だけがこの場において浮いているような気がしていた。
「早く乗ってよ、クロード」
シルヴィに急かされ、クロードも慌てて乗り込むと、ボタンを押すことなくドアが閉まり、そのまま上昇を始めたのだった。
(すげえな……こんなハイテクビル見たことないぜ)
クロードが驚いている間にもエレベーターはすさまじい速度で上昇していき、ほどなく会長室のある最上階へと辿り着いたのだった。
(やべぇ、緊張してきたぞ)
クロードは自分の心臓の音が聞こえてくるような気がした。
そんなクロードの様子を見て取ったのか、リューヤが言う。
「お前が緊張してどうする……」
突っ込まれクロードはシルヴィへと視線を向ける。案の定というべきか、彼女の緊張はクロードのそれとは比べ物にならないようだった。
その証拠に、先程から顔色が悪いように見えるし、呼吸も少し荒いように思えるのだ。
「シルヴィ、大丈夫か?」
声を掛けるのはリューヤだ、クロードはしまったと舌打ちする。ここでシルヴィに優しい言葉を掛けポイントを稼ぐ大チャンスだというのにそれをみすみす逃してしまったのだから。
「だ、大丈夫……平気だから……」
そう答えるシルヴィの声は明らかに強張っていた。そんな様子を見て取り、リューヤが溜息を吐くと口を開いた。
「……どうしても無理そうならここで引き返すか? フレデリック氏には悪いがな……」
リューヤの言葉にシルヴィは慌てて首を左右に振ると必死に言う。
「ううん! あたしは大丈夫だから、このままパパに会いに行きましょう!」
その言葉には、もう逃げないという強い意志のようなものが感じられたため、リューヤは小さく頷くと、ドアの前に立ち扉をノックした。
コンコンとドアをノックする音が室内に響くと、ややあって中から声が聞こえてきた。
『誰だ?』
その声は紛れもなく父親の声だった。
それを聞いた瞬間、シルヴィは思わず身震いしてしまうのだった。
父親を怖いと思ったことは一度もない、実際彼はシルヴィに対して怒ったりするようなことは一度もなかったのだから。
それが逆に自分に対しての無関心さを表しているようで、複雑な感情を抱いていたのだ。
(でも、結局それはあたしがパパを遠ざけたからなんだよね……)
そう思うと自分がとても情けなく思えてくるのだった。
だが今は感傷に浸っている場合ではない、気持ちを切り替えて目の前のことに集中すべきだろうと考えたシルヴィは口を開くと自分の名を名乗ったのだった。
「パパ、あたしよ、シルヴィよ……」
ほんの少しの間を置き、中から『そうか、扉は開いている、入ってくれ』と返事があった。
その声を聞いた途端、シルヴィは一瞬ビクッと体を震わせたがすぐに意を決して中へと足を踏み入れたのだった。そしてリューヤ達もその後に続くように入室するのだった。
クロードは相変わらずシルヴィに負けず劣らずおっかなびっくりではあったが……。
部屋の中はかなり広く、応接用のソファーやテーブルが置かれている他、壁際には巨大なモニターが設置されていた。また壁には大きな絵画が飾られており、その前に置かれた花瓶には豪華な花が活けられていた。
そして、正面には会長の机が置かれており、普段はそこで仕事をしているのだが……
(いない……?)
一瞬疑問に思うシルヴィだったが、机のさらに奥、巨大な窓の前にこちらに背を向けるようにして立っている人影を見つけた瞬間、思わず息を呑んでしまうのだった。
「考えてみれば、この部屋にお前が入ってきたのは10年ぶりぐらいか……」
その人影は背を向けたまま言った。その声はシルヴィのよく聞き慣れたものであった。
頻繁にではないとはいえ父と顔を合わせることはあったし、最後に会ってからまだ数か月ほどしか経っていないというのに、それこそ10年ぶりに聞くかのような懐かしさを覚えてしまうのだった。
「……そうね……ママが……死んじゃってからは、この部屋には来なくなったわね」
そう答えるシルヴィの声は震えていたが、それでも彼女は気丈に振舞おうとしていた。
そんな娘の様子を感じ取ったのか、父は少し間を置いてから再び話し始めた。
「そうだな、どちらにせよ。こんな殺風景な仕事部屋など、お前にとってつまらない場所だっただろうが……」
父の声は相変わらず抑揚のない淡々としたもので、それがかえって不気味に感じられたが、同時に寂しさも感じずにはいられなかった。
(やっぱり、パパは……)
そう思いかけたところでフレデリックが続けて言葉を発したため、意識をそちらに向けることになった。
「……あの日、レイナが死んだあの日以来、お前は私に心を閉ざしてしまった。しかし、それは私も一緒だったのかもしれないな……」
初めて、フレデリックの口調に感情が籠ったような気がしたが、それが何なのかまではわからなかった。
だが少なくとも娘に対する負い目のようなものが感じられるような声色だったのは確かだった。
だからだろうか、それまで感じていた緊張感のようなものが和らいだ気がしたのだ。
シルヴィは何度もシミュレーションをした通りの言葉を口に出すことにした。緊張のあまり声が震えそうになるのを必死で抑えながら言うのだった。
「……パパ……ごめんなさい……まずは謝らせて……勝手に家を出て、心配かけて本当に悪かったと思ってる」
頭を下げるシルヴィだったが、フレデリックは背を向けたまま何も言ってはこない。
シミュレーションでは父はここで振り向いてくれるはずだったのだが……やはり駄目なのだろうか? そんな不安に駆られそうになるが、勇気を出して言葉を続けることにするのだった。
用意した言葉ではなく、今自分が思っていることを素直に話すために……。
「あたし……パパは、あたしのことなんてどうでもいいんだろうなって思ってた……でも、それでも、もしかしたら、家出したら少しは寂しい思いをしてくれるんじゃないかな……とか、そんな風に思ったの……だから、家を飛び出して……」
自分で言いながら、シルヴィは自分が家出という選択をした理由がようやくわかった気がしていた。
(そうだ、あたし、本当はずっとパパに構って欲しかったんだ……)そう思うと同時に、自分の心の奥底にあった本音に気付いたシルヴィの目から涙が溢れ出す。
母親のことが誤解の可能性が出てきた時点で、シルヴィの中にあった父を憎む気持ちは薄れていったがそれはあくまでも家出後の話である。
それまでは自分は父を憎んでおり、復讐のために家を出たと思っていたのだから当然だろう。しかし実際は違ったのだ、自分はただ父親に構って欲しくてあんな真似をしたのだということに今更ながら気付かされたのである。
そんな自分の気持ちに気付いてしまったことで涙が止まらなくなってしまったのだろう。
フレデリックは何も言わずじっと立ち尽くしているだけだったが、やがてゆっくりと振り返り、娘の姿をその瞳に映すのだった。
涙を流すシルヴィの姿にわずかに目を見開くものの、フレデリックは何も言わずにシルヴィの前まで歩み寄ると口を開く。
「シルヴィ……」
小さな声で名前を呟くと、そこで言葉を切り息を大きく吸い込むと叫んだ。
「この、バカ娘!!」
そして、腕を大きく振り上げる。
シルヴィがビクッと身をすくませ反射的に目を閉じ、リューヤとクロードは逆に目を見開いた。
バチーン! と音が響き、シルヴィの頬が叩かれる。その場にいた誰もがそんな光景を予想する。
シルヴィはやってくる痛みに耐えるべく歯を食いしばる。しかし、次の瞬間彼女が感じたのは激しい痛みではなく、コツンと軽く頭を小突かれた程度の感触だった。
彼女が恐る恐る目を開けると、目の前には父の顔。そして視線を上げ分かった、今のは父が自分の頭に軽く拳を当てた感触だったのだ。
「私は、ずっとお前と向き合うことを怖れていた……。レイナの事があってからは、余計にな……。だがもう逃げないと決めたんだ……」
そう言うと父は娘の肩に手を置き、しっかりと目を合わせて言葉を続ける。その表情はとても真剣だった。
「……今まですまなかったな……お前を悲しませた事を許して欲しいとは言わない……だがせめてこれだけは言わせてくれ……お前の事を愛しているよ……愛しているんだ……」
その言葉を聞いた瞬間、シルヴィの瞳から再び涙が溢れ出す。今度は悲しみや苦しみから来るものではなく喜びによるものだった。
父は自分のことをちゃんと見てくれていたのだ、愛情を向けてくれていたのだという事実を知ったことで、彼女は救われたような気持ちになったのだ。
だからこそ、彼女の方からも素直な気持ちを吐露することができたのだろう。
「……あたしもっ……! パパのこと愛してる……!」
嗚咽混じりにそう答えると、シルヴィは父の胸に飛び込んでいったのだった。
抱き合う親子の様子を部屋の入り口付近で見ながらリューヤは心の中で思っていた。
(心配する必要など全くなかったな……やはり俺の考え通り、この二人は最初からお互いを思いやっていたのだ)
彼の隣では、思わずもらい泣きをするクロードの姿があったのだった。
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