第15話 アルミシティ

 河原を後にしたリューヤたちは森を抜けるべく林道を歩いていた。

 先頭をクロードが歩き、そのすぐ後ろをシルヴィ、少し離れてリューヤという順番で歩いているのだが、リューヤは雑談をしながら歩いている前の二人の背中を見ながら、自分の肩の上に乗るピリアに向かって小声で話しかけた。

「そう言えば、バイオモンスター騒動のせいで話が途中になってしまったが、さっきクロードが言ってた『銀髪の子』とやらのことだが……」

 その言葉にピリアの体がビクリと震える、しかし、そのまま目を逸らしつつ、「そ、そんな子がいるんだねぇ」などとすっとぼけた返事を返してきたので、リューヤは思わずため息をついた。

 だが、すぐに顔を上げて、ピリアの瞳を見据えて言う。

「お前……人間形態に変身したな?」

 静かな声で尋ねてくるリューヤに、ピリアはもう誤魔化しは効かないとばかりに、小さく首肯するのだった。

「う、ご、ごめん……。つい……」

 そう、あの温泉でクロードが目撃した美少女、それはピリアが変身した姿であった。

 ピリアはリスに似た小動物のような姿を基本形態としているが、人間の姿になることが出来るのである、しかし……。

「まったく、むやみに変身するなと言ってあるだろう……。おまけにクロードに姿を見られてしまったようだな」

 リューヤの口調にはピリアを咎めるような響きがあった、様々な理由でピリアの人間形態への変身は控えるように言ってあったというのにホイホイ変身をし、クロードにその姿を見られてしまうとは……迂闊すぎるにも程があるというものだ。

「だ、だってさあ、せっかくの温泉だよ? こんな姿で入るより人間の姿で入りたいじゃん」

 言い訳するように言ってくるピリアにリューヤは目を見開く。

「何? つまり、お前は温泉に入るために変身したのか? まさか、クロードが見たのはお前の入浴シーンじゃないだろうな?」

 リューヤの言葉にピリアは一瞬ぎょっとした表情を浮かべる。言われて初めてピリアはその可能性に思い至ったのだ。

(ま、まさかぁ……。温泉に入っている間にはクロードの気配なんて感じなかったし、服を脱ぐときも周りの気配には常に気を配っていたから大丈夫なはず……)

 そう結論付けて一つ頷くと、両手を振りながらピリアは言う。

「流石にお風呂覗かれちゃうほどボクは間抜けじゃないよぉ」

「油断して姿を見られた奴の言うことか? まあ、お前が大丈夫だと言うのなら大丈夫だと思うしかないが……」

 半眼で言ってくるリューヤに対して、ピリアは、「あはは」と苦笑いで答えることしかできなかった。

 とりあえずピリアの入浴はクロードには覗かれていないと結論付けた二人だったが、ピリアは気づいていなかった。

 実際はクロードに見られていたことを……しかも、全裸の姿をばっちり見られてしまっていたということを……。

「ともかく、今後は気を付けてくれよ。特にクロードには注意しろ」

 そう真剣な顔で言ってくるリューヤに、ピリアは首を傾げる。

 人間形態を見られてはいけないと言うのは理解できるが、そこまでクロードを警戒しなければならない理由がピリアにはわからなかったのだ。

 なので、「なんで?」と素直に疑問の声を上げるピリアだったが、リューヤは大きくため息を吐くと言った。

「さっきのクロードの様子見て気づかなかったか? どうもあいつは、お前の人間形態に対して一目惚れに近い感情を抱いているようだったぞ?」

 その言葉にピリアは思わず目を見開き驚愕の表情を見せる。

「ほえ?」

 間抜けな声を上げるピリアに対してリューヤはもう一度ため息を吐く。

「お前は自分の人間形態が他人からどう思われるのかに関してもう少し自覚を持った方がいいな……」

 そう呆れ気味に言うリューヤに対してピリアは小さく「うっ」と呻く。

 ピリアにとって人間の姿は、一時のかりそめにすぎない。なのであまり意識することはないのだが、自分の人間形態が他人、特に男の目を惹くものであることは薄々感じていたのだ。

「いや、ボクの人間形態は確かにちょっと可愛いかも知れないけど、だからってちょっと見かけた程度の相手を好きになったりする? ふつー」

 恋や愛というものをまだよく理解してはいないピリアであるが、好きという感情は相手をよく知ってこそ初めて生まれるものだと考えていた。

 性格も何もわからない、ただ森で見かけただけの相手に恋心を抱くというのはあり得ないことだと思えたのだ。

 しかし、リューヤは肩をすくめつつ言う。

「一目会ったその日からってことはままあることだ、それに、こう考えることもできる、森で見かけた素性もわからない神秘的な美少女、謎は少年の心を駆り立てる……、ってな」

 確かにそういう考え方もあるかもしれないと納得しかけるピリアであったが、それでもやはり腑に落ちない点はあった、最も大きな理由は……。

「大体クロードはシルヴィのことが好きなんじゃないの?」

 言って前方を歩くクロードとシルヴィに目を向ける。さっきから二人は談笑を続けているのだが、元はと言えばクロードの方から話を振ったのである。

 その事を考えても、今までのクロードの態度を見ても、彼がシルヴィに対して特別な感情を抱いているのはほぼ間違いないと言えた。

「だからだよ」とリューヤは一本立てて首を傾げるピリアに言い聞かせるように続ける。

「クロードは確かにシルヴィに惹かれている。しかし、お前が変身した『謎の銀髪美少女』にも惹かれてしまった。そんな状況でお前が再び人間形態をクロードの前に晒せばどうなるか……」

 そこでリューヤは言葉を切る。想像してみろと暗に言われた気がして、ピリアは思考を巡らせてみることにする。

(それは……なんか、ひたすら面倒臭いことになりそー……)

 辟易とした表情を浮かべるピリアにリューヤはさらに続ける。

「クロードはシルヴィとお前の間で心を揺らすことになる。だが、それは無駄かつ無意味な悩みだ。クロードが惹かれた『銀髪の少女』は言ってみれば、存在しない架空のキャラクターのようなものだ、そして、いつかその正体がお前だということに気づくかもしれない。結局お前はただクロードの心を惑わし悩ませるだけの存在になってしまうんだ」

 そこまで言われてようやくピリアの中で話が繋がったのか、ポンっと手を叩くと言った。

「そっかー、そうだね……それにしても、ちょっと人間形態に変身しただけでこんな面倒臭いことになるなんて、リューヤがボクにむやみな変身を禁じてる理由がよくわかったよ」

 リューヤはピリアに対して常々人間形態への変身を控えるように言っているが、その理由については「色々と厄介なことになる」としか言わなかったので、今ひとつ理解していなかったのだが、意図せずクロードに姿を見られ、惚れられてしまうという出来事があって初めてその意味を理解したのだった。

「お前に変身してほしくない理由はもう一つあるんだがな……」

 言ってリューヤは片手を頭にやるが、ピリアは再び首を傾げる。

 しかし、リューヤはこちらの方こそが重大な問題だとでも言うように、声を低くして見せる。

「変身には結構なエネルギー使うだろ? またお前の食費がかさみそうだと思ってな……」

 そう言ってやれやれと肩をすくめるリューヤを見てピリアは思わず苦笑するのだった。

「あ、あはは。今後は気を付けます……色んな意味で……」

 頭を掻きながら殊勝なセリフを吐くピリアのおでこをピンと軽くはじくと、「頼んだぜ、相棒」とリューヤは笑うのだった。

「さっきから二人で何をこそこそ話してるわけ?」

 突如前方から掛けられた声にリューヤとピリアはビクリと体を震わせる。見ると、シルヴィが腕を組み面白くもなさそうな顔でこちらを睨んでいた。

 リューヤは慌てて弁明を試みる。

「いや、別に大したことじゃないさ……なあ?」

 同意を求めるようにピリアに視線を送ると、ピリアもまたこくこくと頷く。

「ふぅん、ま、いいか。それより早く行きましょ、アルミシティはまだまだ遠いのよ?」

 言って歩き出すシルヴィの背中を見ながらリューヤは考えていた。

(早く行きましょう、か……。父親に会うのを躊躇ちゅうちょしていたというのに。やはり河原で死に掛けたことで心境に変化があったのだろうか……?)

 もしそうならそれは良い兆候である、アルミシティで繰り広げられるである『親子の対話』にも確実に影響してくるだろう。

(後は二人次第だな、むう、自分の事じゃないのに緊張してきたぞ……)

 心の中で呟きつつ、リューヤは足を動かし続けるのだった。

「うおー、すっげー!!」

 クロードが目の前に広がる光景に思わず声を上げる。

 リューヤたちはそんなクロードに苦笑を浮かべた。

「恥ずかしいからあんまりキョロキョロしないでよ」

 そう言ったのはシルヴィだ。

 森を抜けてからさらに数日後、リューヤたちはついに目的地である大陸一の都市である『アルミシティ』にたどり着いたのだった。

 大陸一の都市というだけあり、アルミシティは高層ビルの立ち並ぶ大都市だった。

「そんなこと言ったって、あまりにでけえ都市だからつい見入っちまったんだよ」

 そう言って頭を掻くクロード。田舎育ちで、今までの旅でも都市部に出たことがなかったクロードにとってこのアルミシティは初めて目にするものばかりで溢れていたからだ。

 少年の心を躍らせるには十分すぎるほどの光景である。

 しかし、この町で生まれ育ったシルヴィからしてみれば、特に珍しい事などないので、田舎者丸出しのクロードの態度が恥ずかしく思えるのである。

「リューヤたちはあんまり驚いてないみたいね? もしかして、この町来たことあるの?」

 クロードに呆れた視線を送りつつ、リューヤに目を向けながらシルヴィは尋ねる。クロードの反応は過剰だが、そこまでいかなくともアルミシティに初めて来た大抵の人は驚きの声をあげる、しかしリューヤたちは落ち着いているように見えたので気になったのだ。

「ああ、何度かな、会長にこそ会ったことはないが、レストナックインダストリーの本社にも何度か行ったことがあるぞ」

 リューヤの肩の上で、ピリアがうんうんと頷いている。

 シルヴィやクロードよりハンター歴が長い二人は、様々な経験を積んできたのだろう、特に驚いた様子はないようだ。

 しかし、リューヤが何気なく出した、レストナックインダストリーの名にシルヴィはピクンと反応するのだった。

「……そう、なら案内は必要なさそうね……」

 改めてその名を聞いてしまった事でシルヴィは意識せざるを得なかった。

 これからそのレストナックインダストリーに赴き、会長――父フレデリックに会わなければならないということを……

(パパに会うんだ……)

 そう思うと心がざわつくのを感じた。不安にも似た感情が胸中を満たすのだ。

(心の準備をするために歩きで来たというのに、まだ整理がついたとは言い難いわね……)

 自分はなんて臆病なのだろうと自嘲してしまう。

 だが仕方ないではないかとも思うのだ、なにせ今まで嫌っていた、憎みすらしていた相手なのだ。

 愛されていないと思い込んでもいた、しかし、それは誤解だったかもしれないと言われても、もし実際に対面して冷たい態度をとられたらと思うとどうしても足がすくんでしまうのだ。

(……怖い)

 やはり会うべきではないのではないかと思ってしまうのだ。だがここまで来て引き返すわけにもいかないだろう。それにここで帰ってしまえばもう二度と会いに行く勇気が出ないような気さえするのだ。

(それに……あたしはハンターという危険な仕事をしている……。あの森でだって、一つ間違えれば死んでいたのかもしれない……)

 だからこそ、これ以上逃げていてはいけないと思うのだ。

 覚悟を決めなければならない、たとえそれがどんな結果になろうとも……

 小さく息を吐き、シルヴィは顔を上げた。

 見回すと、急に黙り込んでしまったシルヴィを気遣うように、リューヤが、ピリアが、そしてクロードがこちらを見ていることに気づく。

(あたしには仲間もいる、だから大丈夫!)

 自分に言い聞かせるように心の中で呟くと、決意を固めた表情で口を開く。

「それじゃ、早速行きましょう、レストナックインダストリーの本社に、パパの元に!」

 宣言してシルヴィは、まるで大魔王の城にでも向かうみたいねと思わず苦笑するのだった。

 歩き始めてから数十分後、三人は目的地、レストナックインダストリー本社に到着した。目の前にそびえ立つ超高層ビルを見上げながらクロードが言う。

「すげぇなこりゃあ……」

 そのビルの高さは300メートル以上はあるだろうか? 周囲の建物と比較しても一際高く聳え立っているように見える。

 そしてそのビルの正面には大きな文字で社名が書かれていた。

 その文字を見ただけで圧倒されてしまうようだ。そんなクロードのことは気にせず、ピリアは誰に対して言うともなく尋ねた。

「ところで、ここまで来たのはいいけど、みんなでシルヴィのお父さんに会いに行くの?」

 せっかくの久しぶりの親子対面である、出来れば二人きりで会わせたいと言うのがピリアの考えだった。

「え、えぇ……できれば、みんなにも来てほしいんだけど、ダメかな?」

 しかし、そう答えたのは当のシルヴィである。

 父と会うと決めたのはいいが、流石に一対一では不安があった。そこで仲間に緩衝材的な役割を期待しているのだ。

「本来なら一対一が望ましいんだろうが、まあ仕方ない、俺は一緒に行こう、フレデリックさんには少し聞きたいこともあるしな」

 そう告げたのはリューヤである、元よりフレデリックに会いに行くつもりだったリューヤとしては、これは好都合だったと言えるだろう。

「ボクは……どうしよっかな~」

 ピリアは腕を組んで考えこむ、リューヤと一緒にいたいという気持ちがあるし、シルヴィが父親とどんな会話をするのかも興味がある、しかし一つ問題がある。

 いくらシルヴィの父親とは言え、フレデリックという他人に対して、自分が人の言葉を喋れるということを悟らせるわけには行かない。

 となると、フレデリックの前ではピリアはリューヤの懐に入りっぱなしということになるのだが、そんな息苦しい状況は避けたいところだ。

 それに、そもそもの問題として、リスのような姿の自分がこんな大会社に入っていいのだろうか? そんな不安があったのだ。

「やっぱり遠慮しとくよ。ボクが行く意味なさそうだし」

 そう答えるピリアだったが、リューヤはその心中を察して、特に何を言うこともなく、「そうか」とだけ短く答えた。

 そして、残るクロードへと視線を向ける。

 視線を受け、クロードは考える、出来ることならば堅苦しい場所になど行きたくない彼である、しかし……。

(リューヤさんとシルヴィを二人きりにさせられるかぁ? それに、シルヴィの親父さんってことは、将来オレにとって義理の父親になるかもしれない相手だ、ここは腹を括って挨拶に行くべきだろう)

 そう結論付けたクロードは、顔を上げると「オレも行くぜ」と答えたのだった。

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