第9話 思考の夜

 今後の話は明日することにし、一旦シルヴィ、クロードと別れ自分のホテルに戻ってきたリューヤ(とピリア)は依頼者であるフレデリックに連絡を入れていた。

 彼らが泊まっているのはシルヴィたちが泊まっているのよりも格上のホテルである、防犯対策もしっかりしており、盗聴や盗撮の心配もない。

 フレデリックは電話に出ると、開口一番にこう言った。

「娘は、娘は無事だったのか!?」

 その声は震えており、明らかに動揺している様子だった。

 リューヤはその声に安堵する、やはりフレデリックという人物はシルヴィを愛している、それも溺愛している。

 自分は愛されていないというシルヴィの主張はおそらくなんらかの誤解の末のものであると。

 リューヤはフレデリックを落ち着かせるように答える。

「ええ、無事です、怪我などもなくピンピンしていますよ」

「そうか……よかった……」と、フレデリックは安堵の息を漏らと、幾分落ちつた声音で尋てくる。

「それで、娘はなんと?」

「今は考える時間が欲しいと、シルヴィはあなたが自分を心配しているとことに戸惑いを感じていた様子でした」

「そうか……やはりシルヴィは私のことを憎んでいるのだな、無理もあるまい、事情があったとはいえ私は結果的に彼女の母親を、自分の妻を死に追いやってしまった、そして、そのためにシルヴィから憎まれ、余計にどう接していいか分からなくなってしまった」

 フレデリックは自嘲するように笑うと、深いため息をつく。

「しかし、あなたの想いは伝わったと思いますよ、そうでなければ考える時間が欲しいなどとは言わないでしょう」

「だと良いのだが……」

 フレデリックは自信なさげに呟く。

「娘は今どこに?」

「今はまだ町にいますよ、明日になればもう一度彼女の気持ちを確認してみます、その結果どうするのかはわかりませんが」

 フレデリックはしばらく沈黙していたが、やがて意を決したように口を開く。

「わかった、たとえシルヴィがどんな結論を出したとしても、私は受け入れよう、彼女の自由にさせると决めていたことだ、シルヴィが無事でさえいれば、私はそれでいい」

 フレデリックはそう言うと、「報酬は振り込んでおく、では失礼する」と言って通話を切った。

 フレデリックとの会話を終えたリューヤは、ベッドに腰掛ける。

 その表情はどこか暗い。

「フレデリックさん、本当にシルヴィの事を大事に思ってるんだね……」

 ベッドの上で通話を聞いていたピリアが悲しそうに呟く。

 フレデリックの娘に対する強い思いが痛いほど理解できたことで、シルヴィが彼を拒絶していることに、ピリアも心を痛めているのだ。

(シルヴィの母親を死に追いやった、か……)

 リューヤは心の中で呟きつつ思案する。

 さっきの会話からしてフレデリックにとってそれは決して本意ではなかっただろうことは明らかだ、しかし、おそらく事実ではあるのだろう、シルヴィがフレデリックの言っていた『事情』というのをどの程度把握しているのかは不明だが、母の死には父が関係しているという事実は彼女に父を憎ませるには十分だったはずだ。

 そして、フレデリックはそんなシルヴィと対することから逃げてしまったために、より二人の関係は拗れてしまったのだ。

「だが、今回の家出と捜索以来の件でシルヴィはフレデリック氏の自分に対する想いの一端を垣間見ることができた、ならば、雪解けは案外近いかも知れん……」

 ピリアの方を見つつリューヤはそう言った。

 先程より幾分明るい表情を見せたリューヤにピリアも顔を明るくする。

「そうだね、きっとそうなるよね!」

 ピリアに微笑むリューヤ、ふいにその顔が真剣なものに変わる。

「シルヴィとフレデリック氏についてはいいとして、俺たちには考えなければならない別の問題がある」

「別の問題?」

 首を傾げるピリアにリューヤは一つ頷くと続ける。

「廃工場にいたモンスターのことだ、ピリア、もう一度確認するが、あれは本当にバイオモンスターだったんだな?」

 ピリアはリューヤの言葉にハッとする、そして目を伏せながら言う。

「間違いないよ……あれはバイオモンスター……それも、ドクターRが設計したやつだよ……ボクが、間違えるわけが、ないもん……」

 その声は震えていた。

 にいた時のことやドクターRのこと、それはピリアにとっては出来るならそれまでの記憶のように消し去りたい出来事だったのだ。

 そんな様子のピリアを見て、リューヤは慌てて謝る。

「すまん! 嫌なことを思い出させたな……」

 その言葉にピリアは首を振る。

「いいんだ、バイオモンスターが出てきた以上、いつか向き合わなきゃならないことだったから……」

 そして、小さく笑うと、声を低くして続ける。

「だけど、ドクターRはもういない、リューヤとボクがしっかりと倒したはずだよ? それに、バイオモンスターだって全滅させたはずだし、その研究資料だって、跡形もないぐらいに破壊したんだよ? なのに何故あんな場所に……」

 ピリアの疑問はもっともだ、リューヤも同じことを考えていた。

 ピリアはさらに続ける。

「念のために調べたけど、あの廃工場は元は工業部品の製造工場で、ドクターRとかバイオモンスターとかとは何の関係もなかった、だから、昔のバイオモンスターの生き残りって可能性は限りなく低いと思う」

「つまり、もう存在しないはずのモノが現れた、ということになるな……」

 考え込むリューヤにピリアが言う、体を震わせ、怯えを含んだ声で……。

「まさか……ドクターRは死んでなかったんじゃ……?」

 そんなピリアの言葉にリューヤはあえて呆れたような口調で肩をすくめる。

「流石にそれはあり得ないな、奴は間違いなく死んだ、それだけは断言できる」

「そう、だよね……」

 ピリアは幾分安心したように息を吐く、しかし、謎は深まるばかりだ……。

「やはり一番高い可能性としては、誰かが何らかの方法でドクターRの研究を受け継いだ、というところだろうな……」

「やっぱり、それしか考えられないよね……でも、一体どこの誰が……? ドクターRにボクたちの知らない仲間でもいたのかな……」

「分からん、しかし、考えてみれば俺もお前もドクターRのすべてを知っているわけではない、もしかしたら俺たちが知らないだけで、他にも協力者がいた可能性もあるかもしれんな……」

「うん……そうだね……」

 顔を伏せ不安げな表情を浮かべるピリア。リューヤはそんなピリアを励ますようにわざとらしいほどの明るい口調で言った。

「まあ、誰が相手だろうと、俺とお前が負けることはありえない、そうだろう?」

 その言葉にピリアは顔を上げ、明るい表情を取り戻す。

「そうだよね! ボクたちが組めば最強だもんね!」

 リューヤはそんなピリアの様子に内心安堵しながら言葉を続ける。

「そういうことだ。とりあえず俺たちは今まで通りハンターとして依頼をこなしていけばいい、いずれまたバイオモンスター絡みの事件に巻き込まれることもあるだろうからな、その時にこそ黒幕の尻尾を掴んでやるさ!」

 そう言って不敵に笑うリューヤを見て、ピリアもつられて笑顔になる。

「よーし、元気が出てきたよ! それじゃ、明日に備えて、ボク、寝る!」

 そう言うとピリアはそのまま布団に潜り込んでしまった。

 その様子を見てリューヤは苦笑する。

「やれやれ、相変わらずだな……」

 そして、自分も寝支度を整え、ベッドに横になった。

「おやすみ……相棒……」

 早くも寝息を立てるピリアに向けて小さく呟くと、リューヤもまた眠りに落ちていった……。

 *

 リューヤたちが彼らのホテルの部屋で会話をしている頃、シルヴィはリューヤたちとは別のホテルの自分の部屋で、今日のこと、今後のことを考えるのであった。

(パパがあたしを心配していた……? お金にしか興味が無いと思ってたのに、あたしのことなんか、愛してくれてないとずっと思ってたのに……)

 父フレデリックは自分のことなどどうでもいいと思っている、そう思い込んでいたシルヴィにとってリューヤとピリアから聞かされた話はまさに衝撃だった……。

 自分より金が大事なのだと思っていた、しかし、シルヴィの捜索のためにハンターに1000万もの大金を払うという行為によって、もしかしたらその考えは間違っていたのかもしれないと疑念を抱かされた。

 そして、家出した娘がハンターをやってるという体面の悪さから大金を掛けてでも探しているのだという考えすらも、依頼の備考欄――無理にシルヴィを連れ戻す必要も、ハンターをやめさせる必要もない――を突き付けられてしまったことにより崩れ去ったのだ。

(本当にパパはあたしのことを心配してくれてるの? 愛してくれてたの? 違う、違う! 何か、何か裏があるはずよ……!!)

 父は金の亡者で自分のことなど愛していない、そうでなければ困る、そうでなくてはならない……! シルヴィは自分に言い聞かせるように何度もそう繰り返す。

 だが、どうしても考えてしまう、自分は愛されているのだ、と……。

(もし、あたしが、本当はパパに愛されてたんだとしたら……?)

 自分が今までしてきたことは何だったのか……? そんな考えが頭を過り、思わず頭を振る……。

(愛してくれてたなら、どうして今まであたしの事を放っておいたのよ!! 広い食堂でたった一人で摂る食事の味をパパは考えたことがある!? 毎年の誕生日、ただ無機質なお祝いメールと豪華なだけのプレゼントを送りつけられてきてあたしがどんな気持ちだったかわかる!? 確かに、何不自由ない暮らしはさせてくれてた、きっと他の人から見たら羨ましいくらいかもしれない、だけど、ただお金だけを渡せばそれでいいと思っていたの? それがパパの愛し方だったとでも? そんなの……そんなの……)

 シルヴィは心の中で叫んだ、叫ばずにはいられなかった。

(そんなの間違ってるわよ! 豪華な食事じゃなくてもよかった、高価な宝石なんて貰っても嬉しくなかった、あたしは、ただ、パパと普通の家族みたいに一緒に過ごしたかっただけなのに……!)

 涙が頬を伝う、拭っても拭っても止まらない涙……。

(そうだ、あたしはパパに一緒にいて欲しかった……そして、思わせて欲しかった、パパがママを死に追いやったというのは誤解だと、パパは本当は家族のことを愛していたんだと……なのに、なのに……)

 元々身体が弱かったシルヴィの母、レイナ。フレデリックはそんな彼女を気遣うことなく仕事に明け暮れた――少なくとも、シルヴィを含めた周囲の目からはそう見えてしまっていた。

 口さがない使用人たちの無責任な噂話はシルヴィの耳にも届いていた。

 曰く、フレデリックは妻の身よりも仕事が大事なのだ。

 曰く、フレデリックには妻以外の愛人がおりレイナのことを疎ましく思っているのだ。

 当初はそんな噂話に腹を立てていたシルヴィだったが、事実はどうあれフレデリックが彼女の目から見て家族より仕事を優先していることに変わりはなかった。

 そして、確かにフレデリックの周囲には女の影もチラついていた、休日に家族旅行の約束を反故にしてまで、どこぞの女と逢い引きをしているという噂もあった。

 そんな日々が続く中で、ついに決定的な事が起こる、レイナが倒れたのだ……。

 誰もがこう思った、レイナが倒れたのは夫フレデリックの裏切りによる心労が原因だ、と……。

 病院に運び込まれた彼女の命が長くないのは誰の目からも明らかだった……しかし、フレデリックはそんな時ですら、仕事を優先したのだ。

 フレデリックが仕事を終え病院に駆け付けた時にはすでに遅く、彼女は息を引き取った後だった……。

 シルヴィは父を責めた、激しく罵り涙を流しながら責め立てた……しかし、フレデリックはただ一言、すまない……とだけ言ったきり何も語ることはなかった……。

 シルヴィにはフレデリックの真意はわからない、しかし、それを聞いて思ったのだ、ああ、噂は本当だったんだな……と……。

 そして、それを肯定するかのようにフレデリックはますます仕事に没頭するようになった……もはやそれは病的とも言えるほどに……。

 何が真実か分からないまま、シルヴィは父への愛情と憎しみの板挟みになり苦しみ続けた……。

 このままでは自分は完全に壊れてしまう、そう思ったシルヴィは家出をすることにしたのだ。

(パパはあたしを愛してない、あたしもパパを愛してない。ようやくそう割り切ることが出来たのに……)

 割り切ってからは、今までのように苦しむことはなくなった、むしろ清々しい気分で毎日を過ごせるようになった……。

 だというのに、今さら父は本当は自分を愛していたのだと知らされても困る……今更そんなことを言われてもどうすればいいのか……。

 それに仮に自分に対する愛情が本物だったとしても、やはり母のことがある、それがある限りシルヴィはフレデリックを心から許すことは出来ないだろう……。

 だが……もしも、そのことにもシルヴィが想像もつかないような事情が隠されているとしたら……?

(真実はどこにあるの!? あたしは愛されてたの? ママのことは愛していたの? 分からない、分からない……ママなら、ママなら答えが分かったの? ねぇ、ママ、教えてよ……)

 シルヴィは懐にしまっていた母の写真が入ったロケットペンダントを取り出し握りしめる。

 しかし、当然のことながら写真の中の母は何も答えてはくれない……ただ微笑んでいるだけだ。

(もう、どうしたらいいのか分からないよぉ……!)

 涙が再び溢れてくる……いくら考えても答えは出ないし、かといってこれ以上考え続けることも辛い……。

 シルヴィは泣き疲れいつの間にか深い眠りに落ちていった……。

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