第43話

 ──それから数日後の朝。俺は会社に向かうため、玄関に向かって廊下を歩いていた。そこへ後ろから「亮ちゃん」と結香が声を掛けてきて、足を止める。


「どうした? 結香。俺、何か忘れ物をしたっけ?」

「うぅん、そんなんじゃないよ」

「じゃあ何で呼び止めたんだ?」

「えっと……」


 結香は何故か、そこで言葉を詰まらせる。結香の運命の赤い糸が妙に落ち着かない様子で左右に動いているから、何か言いたいけど言い出せずにいるのは分かる。だけど、何を言い出せないんだ? とりあえず俺は──。


「なんだ結香、久しぶりに行ってらっしゃいのハグでもしてくれるのか?」

「バッ、バカッ! そんなんじゃないわよ! 私はただ、久しぶりに玄関まで付いて行って、行ってらっしゃいって言ってあげようと思っただけ!」

「お、おぅ……そうだったのか」


 久しぶりにツンデレ結香が出て来て、ちょっと戸惑いながらも俺は結香と一緒に玄関へと向かう。


「──それじゃ行ってくるよ」

「うん、いってらっしゃい。気を付けてね」

「うん」


 笑顔で手を振る結香に見送られながら、俺は玄関を出る。いってらっしゃいのハグは無かったのは残念だったけど、新婚生活に戻った様で、これはこれで幸せだった。


 ──その日の夕方。仕事が終わり会社を出ると携帯が鳴る。電話の相手は……圭介だった。


「おう、亮。いま大丈夫か?」

「うん、いま終わって会社を出た所だから大丈夫だよ」

「そうか。じゃあさ、夕飯を一緒に食べようぜ。丁度、お前の会社の近くに来る予定があって、近くにいるんだ」

「あ~……どうかなぁ……」


 夕飯を食べると言っても、圭介と一緒ならお酒を飲むことになるだろう。いや、飲みたくなるに違いない。


「やめておく」

「どうして? 何か予定があるのか?」

「いや、お金が無いんだ」

「あぁ、じゃあ仕方がないな。また今度、誘うよ」

「悪いな」


 電話を切った所で、もっと節約して過ごせばよかったと後悔する。そこへ、メールの着信音が鳴り響く。今度は……結香か。


 なになに『……お金に困ると思って財布にお金を入れておきました。たまにはストレス発散に、美味しいお肉でも食べて下さい』だって……エスパーかよッ!


 俺は急いで結香に、『ありがとう、助かった!』と返事を返して、圭介に電話をする──。



「あ、圭介。やっぱり食べに行こうぜ」

「あ? お金はどうしたんだ?」

「臨時収入があった」

「臨時収入? ……ヤバいお金じゃないだろうな?」

「あはははは、そんな訳ないだろ。理由は後で話すよ」

「分かった。じゃあ何を食べたい?」

「決まってるだろ。肉だよ」

「お、じゃあ駅前の新しく出来た焼き肉屋に行ってみるか!?」

「良いね、そこにしよう!」


 ──約束通り焼き肉屋に行くと、圭介は店の前で待ってくれていた。俺達は軽く会話を交わして、店の中に入る。店の中には焼き肉の良い香りが漂っていて、直ぐに食べたい気持ちにさせられた。


 店員に案内され、圭介は席に座ると「割と空いていて良かったな」


「そうだな。ギリ17時台だから、いまから混むんじゃないか?」

「そうかもな。さぁ……て、とりあえず──」

「生中だろ?」

「正解。それは確保しといて、あとは何を食べるか……」


 この店の注文はタブレットで行うようになっていて、圭介はタブレットを手に取る。俺達はあれこれ悩んだが、結局、ちょっと高めの食べ放題のコースとビールを注文した。


 圭介はタブレットを戻すと、「それで、臨時収入って?」


「あぁ、結香が財布にお金を入れておいてくれたんだ。美味しいお肉でも食べてって」

「凄い良いタイミングだな!」

「だろ!? ビックリしちゃった」

「にしても、美味しい物じゃなくて、お肉って限定している所が旦那の好みを把握していて可愛いな」

「だろ?」

「のろけやがって、うちの嫁さんだって負けないぐらい可愛いぞ」

「あははは……お前だってのろけてるじゃないか。まぁ、可愛いのは知ってるけどよ」


 まだビールも飲んでいないのに盛り上がっていた所にビールが届く。俺達は「お疲れ!」っと乾杯して、飲み始めた──。


「……その様子だと、無事に良い関係を続けられているみたいだな」

「あぁ、お陰様で」

「そうか、安心した」

 

 圭介は店員が持って来た肉を次々と網に乗せて焼いてくれる──俺は様子を見ながら、ひっくり返していった。


「圭介、今日は奢るよ」

「……いらないよ」

「どうして? 前に奢ってくれたじゃないか」

「その事なんだけど……実はあの時、結香ちゃんからお金を預かっていたんだ。私じゃ聞けない愚痴もあるだろうし、聞いてあげて欲しいって頼まれてね」

「! そうだったのかぁ……」


 圭介はビールが入ったジョッキを持つと、飲み干しそうな勢いでグイグイと飲んでいく。そして少し残った状態で、テーブルへと置いた。


「俺もさ、赤い糸が見えるから、それが良いことだけに働くとは限らない事を知ってる。だけどさ……自分の赤い糸が選んだだけあって、ちゃんと向き合えば最高に可愛いと思う事もあるって知ってる。だから大切にして行こうぜ。お互いによぉ……」

「あぁ……そうだな!」

 

 ──こうして俺達は前回のような、しんみりとした雰囲気ではなく、前向きな気持ちで食事会……というか飲み会を楽しんだ。


 その日の夜。俺は千鳥足になりながらも無事に家に到着する。玄関に入ると、音で誰かが気付いたのか、ダイニングのドアが開く音が聞こえてきた──靴を脱ぎ終わったところで、玄関からダイニングに続く廊下を結香が歩いてくるのが見える。


「亮ちゃん、楽しめた!?」

「おう。ところで何でお金に困るって分かったんだ?」

「ふふん。美波さんから今日、圭介君が亮ちゃんの仕事場近くで仕事があるって情報を仕入れてね。ピーン! ってきた訳。こりゃ一緒に食べる話になるだろうなってね」

「凄い読みだな……」

「でしょ、でしょ。あと最近、亮ちゃんゲームの新作を買ったでしょ? それでお金には困っているだろなって思ってた」

「あはは……バレたか」

「バレバレだよ」

「圭介の情報はいつ聞いたんだ?」

「昨日だよ」

「……って事は──つまり今朝には知ってた!」

「もちろん、今朝には知ってたよ? だから?」

「ふふん、謎が解けてしまったのだよ」

「謎?」

「そう! 結香が何で朝、ソワソワしていたかの謎だ! つまり結香は俺が財布の中身に気付いた瞬間、どんな反応するんだろうって朝から楽しみにしていたんだな!?」


 俺がそう言った瞬間、結香は驚きの表情をみせ、運命の赤い糸はソワソワと動き出す。そして口を尖らすと「そ、そうだよ? 悪い?」と白状した。


 そんな可愛い結香をみて俺は結香に近づくと……娘たちが出て来る可能性があったとしても、なりふり構わず結香を抱き締める。


「悪い訳ないだろ。ありがとう!」

「……ちょっとぉ、お酒臭いし、子供たちが来たらどうするの?」

「そういう割には離れようとしないじゃないか」

「もう……バカ」


 ほんと……圭介の言う通り俺が選んだ運命の人だけあって、最高に可愛い奴だと思うよ、結香は。俺はそう思いながら結香の優しい匂いに包まれていた。

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