第35話
俺はいま結香と喫茶店でお茶をしている。結香は俯き加減で黙り込み、俺は結香が話し出すまで様子を見ている所だ。もちろん、そんな状況だからお互いの運命の赤い糸は見えていない。
「……亮ちゃん、ごめん」
ようやく結香が口を開いたけど、弱々しい声なので、その先が楽しい話ではない事が容易に想像できる。聞きたくない……でも俺が思っている様な事じゃないかもしれないし、聞かなければその先が進まない気がして──。
「何がごめんなの?」
「前に優しい先輩がいるって話をしたじゃない?」
「……うん」
「私ね……その先輩のこと……好きになっちゃったみたい」
まさに胸を刺されたような衝撃が走る。いままで感じた事のない程の衝撃に思考が追い付かなくて、言葉がまったく出てこない。
「だから……ごめんね、別れて欲しいの」
「──なんで……何でだよッ!!」
目一杯、叫んだところで俺は目を覚ます。なんだ、夢かよ……風景がリアル過ぎて、本当かと思った。俺はとりあえず深呼吸をして天井をジッと見据える。
「……ったく、変なもの見たせいだ」
──冷静になってきたところで、頭が働き出したのか、徐々に不安な気持ちが押し寄せてくる。変に現実と夢が混ざっていただけに尚更だ。
俺は今の時間を確認したくて、掛け布団を退かしながら上半身を起こし、近くに置いたと思われる携帯を探す。
「あった。時間は……11時40分か……」
結香は明日、間違いなく仕事。いまの時間帯は寝ているだろうな……それに今、浮気してないよね? なんて聞ける勇気はない。だったら頼れるのは──俺は久しぶりに圭介に連絡をする。
「──出るかな……」
夜分遅くに申し訳ない気持ちを抱えながらも、俺は圭介が電話に出るまで待つことにした。
「──はい」
「あ、圭介。久しぶり」
「久しぶり」
「あのさ、夜遅くに申し訳ないんだけど、ちょっと聞いて貰いたい事があって……良いかな?」
「聞いて貰いたい事? どうした?」
「実は──」
俺はバイトであった出来事と夢の内容まで全て、圭介に話をした。
「ってことがあってさ、どう思う?」
「どう思うってお前……そんなこと、本人に聞けばいいだろ」
声の感じから、圭介がイライラしていることに気付く。俺は動揺して「あ、ごめん。そうだよな、本人に聞くべきだよな。悪い!」と言って、慌てて電話を切った。
……冷静になって考えてみたら、圭介だって今は忙しい時期に違いない。こんな時間に電話をするなんて自分勝手だった。イライラするのも当然だな、反省……。
さて……どうするか? 明日、結香に電話をしても良いけど……こういう話は電話で済ましたくはない気がする……バイト代を貯めて会いに行った時に、色々と聞いてみるか。
※※※
──1ヶ月が過ぎ、俺は結香とデートをする約束をして地元へと帰った。いまファミレスで昼食をして、店を出た所だ。
「亮ちゃん、まだ時間があるでしょ?」
「うん、あるよ」
「じゃあ何処に行く?」
「あ~……考えてない」
「じゃあ、喫茶店でデザート食べながら決める?」
「いやぁ…………他の場所にしようか」
別にデザートを食べる事は嫌ではないし、喫茶店も嫌ではないけど、夢の事もあるから何となく避けたくなってしまう。
「じゃあ……公園でも行って一休みしようか?」
「あ、良いね。そうしよう」
俺達は10分程歩き、自然豊かな公園に入る。遊具とかはなく、子連れ向けというより、休憩したい人が利用する様な落ち着いた公園だ。だからベンチもチラホラあって、俺達は池の近くにあるベンチに座る。
「……紅葉が綺麗だね」と結香は言って、落ちている黄色や赤の葉っぱの中から真っ赤な紅葉を拾い上げ、
「そうだね」
結香は楽しんでくれている様だけど……俺はまだ肝心な事を結香に聞けていなくて、愛想笑いしか返せないでいた。
「──亮ちゃんさ、何か私に隠しごとしてるでしょ?」
「え……」
「気付いてないだろうけど、今日、朝からズゥーっ……と笑顔に影があるんだよね」
「そうかな?」
「そうだよ。何年、亮ちゃんと一緒に居ると思ってるの? 何かあるなら吐き出してしまいなさい。そうじゃなきゃ私も楽しめないよ」
「そっかぁ……気付かれているならそうだよな。ごめん、実は──」
俺は覚悟を決め、すべてを結香に打ち明けた。結香はその間、茶化すことなく黙って聞いてくれていた。
「なるほどねぇ……」
「あのさ、結香が言っていた先輩って男の人?」
「うん、と言っても40歳過ぎたオジサンだよ?」
「でも店長は……」
「あ、そうか。そうだよね」
結香は持っていた紅葉をポイっと地面に投げ捨てると、真顔で俺を見つめる。その後ろでヒラヒラと紅葉が舞い落ちていて綺麗なんだけど、何だか今は気持ちを不安にさせた。
「私が浮気をしてるって言ったら、亮ちゃんはどう思う? 許せる?」
「どうって……」
想像した瞬間から徐々に心の中が闇に染められていく様なドロドロとした不快感があるし、イライラも込み上げてくる。初めて浮気現場を見た時の様だ。だから答えは決まっている。だけど、正直に言ったら、結香はどう思うだろうか?
少し迷ったけど俺は「心の狭い奴って思われるかもしれないけど……許せない」と正直に打ち明けた。すると結香は俺の両手を寄せ集め、自分の手で包み込む。
「私もだよ亮ちゃん。自分で言っておいて、想像したら引っ叩きたくなるぐらい許せなかった」
「おいおい……」
「だからさ、浮気なんてしてないし、しないよ。その佐藤さんが言った言葉は分からなくて良いじゃない、私達は私達の考え方で過ごしていけば良いのよ」
「……そうだな、ありがとう」
結香の言葉に元気づけられ、俺はようやく自然と笑みを零す。結香はニコッと微笑むと、スッと俺に顔を近づけ……唇にキスをする。一瞬の出来事でビックリしている間に結香は俺の顔から離れる。そして、恥ずかしそうな表情を浮かべて、横髪を耳に掛けた。
「嫉妬してくれて、ありがとうね」
「お、おぅ……こちらこそ、ありがとう」
返す言葉がありがとうで正しかったのか、頭がまだ正常に働いていなくて良く分からなかったけど、お互いの運命の赤い糸がメビウスの輪を作って繋がっているのをみて、とにかく幸せなのは間違いないと思った。
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