第8話

 次の日の朝──体育祭で疲れたのか今日も寝坊をしてしまい、結香が登校する時間に間に合わなかった。


 仕方ないので慌てずに学校に向かい、昇降口に入ると内履きに履き替えているクラスで一番人気の藤井さんを見掛ける。


 同じクラスになってから一年過ぎているのに、藤井さんとは必要以上に話したことが無い。別に避けているとかではなく、何というか美人過ぎて緊張してしまうから苦手に感じてしまうのだ。

 

 影の薄い俺は藤井さんにとって、居ても居なくても変わらない存在。挨拶されることなんてないだろうと、その場に立ち止まり、藤井さんが先に行くのを待った。すると──藤井さんがこちらに視線を向ける。


「あ、葉月君。おはよう」


 ま、眩しい……藤井さんはサラサラのセミロングの黒髪を耳に掛けながら、太陽はないのにキラキラと輝いて見える愛想のいい笑顔を見せてくる。


「お……おはよう」

「ふふ……葉月君。昨日のリレー、大活躍だったね」

「え? そんな事ないよ。俺だけ抜かれたしさ」

「それでも練習してないのに、落とさずにちゃんとバトンを繋いでいたでしょ? 凄いと思うよ」

「そこまでちゃんと見ててくれたんだ……嬉しいよ」


 美人に褒められるなんて額に汗が出てしまう程、凄く照れくさい。俺は照れ隠しに自分の髪の毛を撫でていた。


「そりゃ……まぁ……クラスメイトだから、ちゃんと見てるよ」

「ありがとう」

「──あ! 私、授業が始まる前に用事があるんだった。悪いけど先に行くね」

「うん」


 朝からラッキー! と、思いながら藤井さんを見送っていると、「そんな顔してると、勘違いされるぞ」と、後ろから声を掛けられ、ビックリする。


 俺は慌てて振り向くと、そこには困ったような顔で俺を見ている圭介が立っていた。


「なんだ圭介か……勘違いって何だよ?」

「藤井さんのことが好きだって思われるって事」

「ないない。あの藤井さんだぞ? 俺が藤井さんを狙うなんて誰も思わないだろ」

「じゃあ逆は?」

「ん……? 逆? 藤井さんが俺を好きって事? 笑わせるなよ、そんなことある訳ないだろ」


 ──てっきり、だよなぁ! って、笑顔を見せてくれると思ったのに、圭介は真剣な顔で俺をジッと見つめ──表情を崩さない。


「とりあえず靴を履き替えようか」

「あ、うん……そうだな」


 ──俺達は下駄箱で内履きに履き替えると、並んで歩き始める。


「昨日のリレーの時さ……」

「うん」

「結香ちゃんの応援、聞こえてた?」

「うん、聞こえてた」

「じゃあさ、藤井さんの応援は?」

「え……応援してくれてたの?」

「らしいよ。それで噂になってる」

「噂って……さっきの?」

「うん」


 色々な声援が飛び交っていたから、全然、気付かなかった……。


「藤井さんは人気者だし、いつ誰が変な噂を流すか分からないから、気を付けろよ」

「あ、うん。ありがとう」


 ※※※


 教室にチャイムが鳴り響き、ショートホームルームが始まる。先生が昨日の体育祭について話を始めた。俺は耳を傾けずに頬杖を掻いて、さっきの圭介の言葉を思い出す。


 ──考えたら俺……今まで他の女の子の事をそういう目で見た事がなかった。だから藤井さんの応援にも気付かなかったのかな?


 もし……もし本当に藤井さんが俺の事を好きなら、俺はどうする? 告白する? ──いや、それはない。


 確かに藤井さんは美人で話しかけられたりしたら嬉しいと思うけど、アイドルを遠目でみている様な存在で恋愛感情はそこにない


 それに俺は……小さい頃から結香の事が好きで、結香の事しか考えて来なかったから、今さら他の女の子に恋愛感情を抱くなんて想像できない。


 だから中学二年の時、結香と一緒に初詣に行った時に、こうお願いしたんだ。どうか、いつかは結香と結ばれます様にって……そうしたら次の日から結香と俺の赤い糸が見える様になっていた。


 あの頃は、ツンツンしている結香の気持ちが分からなくなって……心配で……ちょっと悩んでいた時期だったから、神様が俺の願いを叶えようとしてくれたんだろうな。


 そう思いながら、ふと自分の赤い糸に視線を向けると──許しを得たと思ったのか赤い糸は真っすぐ隣に居る結香に向かって伸びていた。


「ちょっ、待てよ!」


 俺は席を立ち上がり、大きな声で赤い糸を止めに掛かる。ピクッと赤い糸は止まってくれたが、教室内はシーン……っと静まり返り、皆の視線が俺に向いているのを感じた。


「なんだ、葉月。先生に用事があるのか?」

「あ……いやぁ……すみません、寝ぼけました」


 俺がそう答えると教室内がドッと笑いに包まれる。俺は恥ずかしさのあまり直ぐに座り、両手で顔を隠した。


「授業中は寝るなよ」

「はい、気を付けます」


 あ~……やべぇ……久しぶりに冷や汗出るぐらい焦った……。


 まだクスクスとクラスメイトの笑い声が聞こえてきて、結香はどうしているのか気になる。俺はソッと手を退かし、チラッと結香の方に視線を向けた。


「何やってるのよ、もう……恥ずかしい人ね」


 俺と目が合った結香は呆れたようにそう言って、結香の赤い糸と共にプイっと俺から顔を背けた。

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