「第四章」チェストォ!
「第十六話」刀匠令嬢、清々しき朝を迎える
ベッドって素晴らしいと叫びたくなるほどの清々しい朝。
アイアスはまず二度寝を試みようと瞼を閉じようとした。しかし彼女はすぐに気づいたのである、自分のベッドの中に気持ちよさそうに寝ているアリスが居たのだ。
「……」
そんなに溜まっていたっけなぁと思いを巡らせる。アイアスは記憶を取り戻してからというもの、ずぅっと刀鍛冶としての追求に没頭していた。そのため自分は『どっち』が好きなのかとか考えたこと無かったのだ。
男である「正重」として答えるならば答えは一つだが、正直「アイアス」として答えるならば……どちらなのだろうか?
「……おい、起きろー」
考えるのが面倒くさくなったため、アイアスは取り敢えず布団を蹴飛ばした。するとアリスは寝返りをコロコロと打ったあとに、その可愛いおめめを開けた。
「……ふぁー」
「腑抜けた声出してんじゃねぇよ、なんで俺の布団で寝てたんだお前」
実を言うと、アイアスはちょっと怒っていたのである。なぜなら彼にとって眠りとは、刀鍛冶と天ぷらの次にこだわり深く質がいいものでなければいけないという考えがあるからである。事実、あれだけ気持ちよく眠ったはずなのに体のあちこちが痛い。
「……おはようございますー」
「顔洗ってこい」
ふぁーい。ふざけているのか、本当に寝ぼけているのか。昨日のあの超ウルトラ塩対応とは相まって、逆に距離感がえげつない。アイアスは首周りの凝りをほぐしながら頭を悩ませた。
(最近の若い女どもはみんなこんな感じなのかねぇ、こっちで言うところの『じぇねれーしょんぎゃっぷ』ってやつか? はぁ、中身が爺の俺としては面倒くせぇ事この上なしだ)
深い溜息。アイアスは取り敢えず寝間着の姿からさっさと着替えることにした。下着姿のまま、洗ったばかりのドレスを手に取る。──そこで彼女は、再び大きなため息を付いた。
(これ、めちゃくちゃ動きづらいんだよなぁ)
ひらひらしているスカートとか、装飾とか、総じてめちゃくちゃ重い。剣を振るうどころか、走ることすらままならないような格好。曲がりなりにも剣を振るう身としては、この格好はなんというか……派手だし邪魔である。
(あっ、そうだ。どうせなら鍛冶場から拝借した仕事着を……)
アイアスは自分の荷物を探り、木製のトランクを引っ張り出す。開けるとその中には、屋敷の中からこっそりと持ってきていた白い作業着があった。他にも手拭いや手作りの下駄、こっそり造った日本酒なども入っていた。アイアスは呑みたい気持ちをぐっと堪えながら、せっせと作業着に袖を通した。
「落ち着くねぇ、やっぱ俺には女物は似合わねぇや」
手拭いを頭に巻き、ギュッと引き締める。ダルクリース家の名誉的にこの格好はまずいかもしれないが、最早アイアスの頭にそんなことはカケラも残っていなかった。いや、正確には「アイアス・イア・ダルクリース」という人格が、「正重」二より近づいただけの話なのだろう。
「アイアス様、そのお姿は……?」
と、そんなアイアスの異質な格好を見て、アリスは目を丸くしていた。しっとりと濡れたその白髪は色っぽく、彼女が言われたとおりに顔を洗っていたことが伺える。
アイアスは暫く考えを巡らせ、適当な答えを返す。
「んーまぁ、俺の仕事着みてぇなモンだ」
「は、はぁ。そうですか」
何か変なものでも見るかのようなアリスだったが、その態度は徐々に和らいでいき、落ち着いた気品のあるものになっていた。
「昨晩は、助けていただきありがとうございました」
アリスは初対面の頃とは比べ物にならないほど大人びた声をしていた。頭を下げるという行動一つを見ても、その美しさと凛とした雰囲気はなんともいえないバランスを保っており、アイアスの彼女に対するイメージを変化させるには十分すぎる要素だった。
「……礼ならソラに言ってやってくれ。俺は別に何もしちゃいねぇ」
「いいえ、あなたも私を助けてくれました。重い私を背負って、保健室まで連れて行ってくれたではありませんか。体を張ったかどうかがそれを分けているのであれば、私はそれを否定します。──アイアス様もソラ様も、恩人だということには変わりありません」
アイアスはアリスの顔、正確には穏やかなその目を見た。しっかりと開かれた緑白色の瞳はとても艷やかで、その奥には嘘偽りない自分への感謝があることを、アイアスはきちんと理解した。──理解した上で、こう思ってしまう。
(そのキラキラした目と心は、いつか血と暴力に塗れて濁っちまう。運悪く、理不尽に、そりゃあもう突然に……な)
懐かしく、それでいて思い出したくもない記憶や感情がアイアスの……いいや、「正重」の中で渦を巻いていた。一度目はその道に希望を見出していた頃の、自らのこと。二つ目は、自分が心から馬鹿馬鹿しいと笑っていた、優しくて強かったはずの女のことを。
「……そうだな」
──でも、こいつは違うかもしれねぇ。
「俺、お前を助けてたんだな」
そう言って、アイアスは何かが吹っ切れたような、そんな深い息を吐いた。自分がやったことはソラが成し遂げたことに比べれば小さいかもしれないが、それでも決して捨て置くようなものではなかった。──その事実が、卑しく未練がましくて、どうしようもなく嬉しかった。
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