第19話 青天の霹靂

「なんだ……!?」


 俺が叫ぶのと同時、その場にいた全員が空を見上げていた。


 まだ昼のはずだった。


 照りつける太陽に容赦などなく、だがどこまでも青い空が広がっている。

 吹き抜ける風さえも暑く、立っているだけで体力が奪われる。

 そんな、例年通りの真夏の晴天。


 星はなく、月もなく、雲もない。

 風の流れも感じない。


 まるで唐突に“何か真っ黒なモノ”で覆われたかのように、水上町は暗闇に包まれてしまった。


「一体何が……」

『分かりません。ただ一つ言えるのはあまり良い状況ではないかと』


 少し距離を置いていたサンドルさんとグリーズさんが、気が付けば俺の傍に背を向けて立ってくれていた。

 鳥居の外に出たからか、ようも再び大きくなって俺の身体に纏わりつくようにして空を睨んでいた。


 手を繋いでいる“ミコト”さんは無事だろうか、と横を見る。

 顔を盗られていて、何も視えていないのだろう。

 状況が飲み込めていないが、身体が強張っているのがわかった。


「“ミコト”さん、こっちへ!」


 ひとまず声だけで誘導して一歩分近寄ってくれたが、その足取りは覚束ない。

 強引に引き寄せるわけにもいかずどうするか迷っていると、葉が耳の一つを伸ばして身体をこちらに引き寄せてくれた。


「ありがとな、葉」

「まだお礼を言われる盤面じゃないぞ」


 あんなにちょろかった暗黒もちもち水まんじゅうは、空を鋭い目で睨んだまま冷静に言った。

 サンドルさんとグリーズさんからも緊張を感じる。

 想定外過ぎる、どこから何が来るのかわからない。

 鳥居の向こう側を見ようとして、一人だけ動きが無いことに気づく。


「セバスさんは?」

「お気になさらず」


 問いかけに応えた悪魔は足元に膝をついていた。

 でも、何故か俺だけが驚いていた。


 まず“ミコト”さんは状況が分からない。

 葉は悪魔のことをあまり信用していない。

 一緒に来たはずの二人はおそらく気付いているはずだが、護衛の方を優先しているようだった。


「何があったんですか!?」

「心配はいりません。この土地に当てられた、それだけですよ」


 グッと力を入れて立ち上がろうとしても、出来ないらしい。

 微笑んではいるが不自然に顔が強張っているのもわかった。

 鳥居の外とは言え、まだここは水上神社みなかみじんじゃの敷地内。


「どうして、さっきまで何ともなかったのに……!」

『水上神社の結界は強力です。先ほど我々も軽く説明を受けただけなので、大した説明は出来ませんが“特に夜は自動的に強度があがる”、と』


 応えるのもどこか辛そうな悪魔に変わって、サンドルさんとグリーズさんが説明してくれる。

 その間に葉が“ミコト”さんも軽く包み込んでくれていた。

 セバスさんが実質的に戦力外だと察してくれたのかもしれない。かしこい。


「暗くなったから、ですか?」

『現状では不明です。水上神社の結界について我々の知識が不足しています』

「おそらく、ですが。疑似的に、『夜』を再現したのかと」

「そんなこと出来るんですか!?」


 呼吸を整えて応えようとしてくれているが、悪魔は上手く動けないようだった。

 歩み寄ろうとすると、葉に絡めとられてしまった。

 見た目で言えば暗黒の塊、由来も明るくはないはずなのに行動を制限される様子はない。


「葉は大丈夫なのか?」

「平気だ。なんともない」

『葉様はこの地の神様に“許されて”います。その違いが顕著に出てしまったのかと』

「そうか。葉は鳥居の内側には入れた……」


 浮かんだ疑問が解消されて、目の前の大きな問題が再び突き付けられる。

 動いていいのだろうか。それとも神社の中に戻るべきか。

 だとしてもセバスさんをそのままにして良いはずもない。

 判断するための材料があまりにも足りなくて、回転は速い方のはずだが俺の頭では結論が出せそうにない。

 だからといって立ち止まってて良いはずも、考えるのをやめていいわけでもない。

 進むにしては距離が遠いし、そもそも俺はどこに行くかちゃんとした場所も聞いていない。


「……ひとまず、“ミコト”さんだけでも鳥居の内側に」

『駄目だ』


 応えたのはサンドルさんでもグリーズさんでもなく、鳥居の内側に居る神様だった。

 普段よりも声がくぐもって聞こえ、姿は少し霞んで見えた。

 鳥居を境により結界が強いのかもしれない。

 そして何より、今まで俺が見た中でも、随分と険しい表情をしていた。


「どうしてですか?」

『中は安全だが、今の顔が無い“ミコト”の安全が保障できない』

「内側のが安全じゃ」

『不完全な霊体では、結界に入る途中で消滅するかもしれんと言ってるんだ』

「そんな……」


 静かだが圧を感じる神様の言葉に、握った手が少し震えたような気がした。

 しゅるる、と葉が開けていた鳥居側も“ミコト”さんを隠すように覆った。

 神様は護る為に言ってくれているけど、怯えるのもわかる。


『お前もだぞ、葉。それからそこの悪魔もだ。今、お前達は入って来てはならん』

「……ええ、わかって、ます」

『お前達はここにいるよりかは町に向かった方がマシかもしれん』


 目の前にシェルターがあるのに、逃げ込むことはできない。

 非情にも聞こえるが、神様だって味方を消したいわけではないはずだ。

 握りしめた拳が震えていて、ままならないのを耐えているようだった。

 武神としての側面も持ち、本来は荒々しいはずの神様は息を深く吐き出す。


『異世界とも関わりが無く、霊体でもない。ただ人間は結界を超えても問題はない』

「何が言いたいんですか」

『今ならまだ間に合う。中に入りなさい』


 神様は穏やかに、真っ当で残酷な提案を俺にしたのだった。

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