第9話 水上町の神様

「すまない。俺は今、キミの“目”を見てしまったな」


 すぐに目を逸らしていたので、そんなつもりはなかったのだろう。

 申し訳なさそうにしてくれるだけでも、俺にとっては随分と気が楽だった。


 色んなものが棲むこの町であっても、目の色が片方ずつ違うのは珍しい。

 見られるのには慣れている。


「良いですよ。和眞かずまさんのそういう隠せない所、俺は好きですし」

「ありがとう」

「“水道橋すいどうばし”は身内に対してはともかく、許した人間には素直だからな」

「そんなことは無いと思うが……」

「結構素直ですよ」

「……キミが言うならそうかもしれんな」


 会話を逸らすかのようにようが口を挟み、意識が移り空気が穏やかになる。

 それ以上俺の話にならないように、話を本題に戻す。


「じゃあ“月の目”は今、別の神永かみなが家の人に引き継がれたってことですか?」

「いや、それなら“わかる”はずなんだ」

「この町にとって大事な能力だからな、ある程度の責任があるやつは感じ取れるだろう。お前もそうじゃないのか神主?」

「だと良いんだが……俺がその対象に入っているかは怪しい」

「何?」

『和眞は“その対象”には入っていないぞ』


 鳥居の向こうから良く通る低い声がしたので、俺と葉はそちらを向く。

 そこには、商店街の和菓子屋『竜神堂りゅうじんどう』の店主――槍水やりみずそらが立っていた。


『自覚があってなによりだ、水上みなかみ神社じんじゃはしばらく安泰だろうな』

「……何か、あったのか?」


 ハッとして俺は不思議そうに鳥居の方を見る和眞さんを振り返る。

 もう一度反対を見れば、竜神堂はニヤニヤと口の端を上げて笑っていた。


 ――この神様、和眞さんだけに見えない姿で来やがった。


 俺が全てを察したのに気づくと、更に口元を抑えて楽しげに竜神堂は肩を震わせながら笑いをこらえる。

“ミコト”さんの事もあるんだから笑い事じゃねぇぞ、という意志を込めて睨む。

 口は抑えたままで、片手ですまんすまんとでも言いたげに手をあげた。

 親しみやすくていい神様だが、少々俗物に染まりすぎてこういう事をするのだ。


 アイドル時代に散々鍛えてきた表情筋を全力で動かす。

 もう随分と人前で顔を作らずに済んだので衰えているかと思ったが、ちゃんと思った通りに動かせて良かった。

 これまで葉と楽しく過ごして笑ったりしていたのは無駄じゃなかったらしい


 一瞬で変わった表情を見ていた赤い三つ目が、驚きでくるんと丸まったが気にしている場合ではない。

 つーかそんなに驚くんじゃねぇ、そしてじっと見つめるな人間なんてそんなもんだ。

 顔は平静を装いながら心の中で悪態をつき、和眞さんへゆっくりと向き直る。


「いえ。何か来たかと思ったんですが……気のせいでした」


 揃って三つ丸くしていた瞳を、細めて葉は怪訝そうにする。

 お前は意外と空気の読めるいい子だよな、と影を信じて心の中で呟く。

 少しだけ緊張で縮小していた身体をぽよん、と脱力させて三つ耳を揺らした。


「ウン。ナニモナカッタ」


 引退して随分経つ俺に出来るかどうか問題はあるが、演技力の指導を今度一回してみた方がいいかもしれない。

 あまりにも大根が過ぎる棒読みの台詞に、作った顔が崩れそうになる。

 頑張れ俺の表情筋、そんな柔な環境で育ってないだろ。


 背後で『ブフッ』というついに笑いを堪えられなくなった神様の声がした。

 これも気にしてはいけない。

 俺が耐えているのが伝わってしまったのか、それとも大根に違和感を感じたのか。

 和眞さんが少しだけ疑っているのが分かる。


「本当か?」

「はい」

「ソウダゾ」


 これ以上何も言うな黙ってろ、と音にするわけにはいかない。

 暗黒もちもち水まんじゅうみたいな身体の下の方。

 和眞さんからは見えない部分をもにゅっと深く強めに掴んだ。

 ピクッ、と耳を三本立たせ若干涙目の先ほどよりも大きく丸くした赤い三つ目で“自分が考えた可愛い”を押し出して葉が見てくる。

「何故そんなことをするんだ」

 いつもなら言いそうなのに黙っていたので褒めてやりたい所なのだが、今は我慢。

 平静を保ちながら行動案を出すことにした。


「ひとまず神永の一族に連絡してみるのはどうですか。ミコトさんの所在地も伝えられますし」


 どこか様子のおかしい葉を見て、和眞さんは数回瞬きをした。

 勘の良い人だし気付いてる気もする、けど俺もこれ以上の対応は思いつかない。

 俯いている“ミコト”さんを見ると、和眞さんは話に乗ってくれたようだった。


「そうだな。まだ日が高いうちに出来ることをした方がいいだろう。この神社の中なら他の何かに干渉されることは――」


 一旦言葉を切って、どう見ても禍々しい存在の葉を和眞さんが見る。

 そこにいる暗黒もちもち水まんじゅうは例外なのでスルーしてくれませんか。

 そんな俺の祈りが届いたのか、和眞さんは瞬きを一つしただけで話を続けた。


「――ないだろう。キミ達はどうする?」

「えーと、その何かがあったら連絡できますし、“ミコト”さんと一緒に居ます」

「そうか。ではしばらく留守を任せても良いか。普通の通信手段という訳にもいかないのでな」

「分かりました、お気をつけて」


 頼んだ、とだけ言うと和眞さんは俺達の横を抜け、足早に鳥居へと向かっていく。

 神主とすれ違いざま、竜神堂がフッと息を吹きかける。

 すると、和眞さんの足が少し早くなったように見えた気がした。


 階段を降りる神主の背中が小さくなっていくのを確認すると、竜神堂は俺を見た。

 俺が不機嫌を隠し切れていないのが面白かったのだろうか。

 切れ長の鋭い瞳を細め、この町の神様は柔らかく笑った。


「説明しろ、と言いたげだな。和眞では分からんだろうから来た、安心してくれ」

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