第5話 青年の正体

「あの“ミコト”……って……?」


 あくまでも独り言だったのか、おそるおそる呼びかけても神主からの返事はない。

 仕方なく肩の上で大人しくしているように視線を移す。

 すると、暗黒もちもち水まんじゅうも驚いたように元々赤くて丸い目をいつもより少しだけ大きくしていた。


“ミコト”という存在に、和眞さんや葉のように驚くほどの関わりはない。

 だが、名前そのものには、俺にも覚えがあった。


 それは去年の夏。

 葉とのある約束の終わりがけに起きたこと。

 今でこそ相棒のように過ごす影が完全に“闇落ち”しかけて離れようとしたあの日。


 ――あれで本当に『終わり』だと思うのか?


 そう問いかけて、“物語の展開”に文句をつけるように俺の目の前に現れた男。

 水上神社みなかみじんじゃで出会った、説明が少し足りない青年。

 顔を合わせた時間は短く、今の今まですっかり忘れていた。

 でも彼は確かに別れ際、言ったのだ。

 次に「葉にあったら伝えてくれ」と。


 ――“ミコト”は元気にしてるってさ!


 それが俺の記憶の中で、この神社と関わりのある“ミコト”だった。

 当然、ずっと忘れていたので葉にそのことは伝え忘れていた。


 つまり、葉はその人――今も目の前にいる顔のない青年のことをを知っているのだろう。


 神主がダメなら今は葉に聞くべきか。

 口を開こうとすると、信じられないという感情の籠った声が肩の上からした。


「あれが、“ミコト”だと?」

「知ってるのか?」

「“ミコト”なら知ってる。けど、僕が知ってる“ミコト”は――」


 そうこうしているうちに、青年はゆっくりと起きあがった。

 顔面は相変わらずぽっかりと穴が開いたように真っ暗で、やはり顔はわからない。

 改めてその姿を見て、葉は少し目を細め、おそらく伏し目がちにして続けた。


「顔のある、一般的なヒトの姿をしている」

「そうだ。“ミコト”があんな姿になったのを俺は知らない」


 今まで会話にならなかった和眞かずまさんが、目の前の出来事を受け入れたのか葉に同意した。

 ふら、ふらりとこちらに向かってくる青年を見つめたまま、和眞さんは続ける。


「お前なら俺よりも“あのミコト”とは付き合いも長いだろう。どうだ、見たことはあるのか?」

「知らん。分かっていればゆうと逃げる必要もない……そもそもあれは本当に“ミコト”なのか?」

「そのはずだ。気配を見誤ることは、ない、はず……なんだ」

「“水道橋すいどうばし”はそういう存在だったな。あまり疑いたくはない、が……」


 和眞さんも葉も、どうやら“ミコト”という存在であるのを認めたくはないようだった。

 全く核心を掴めないふわふわとした会話が続く間も、青年はこちらに向かってきていた。

 彼が目指しているのは葉か、それとも神主か。

 最初に青年が待っていたのは猫ノ目書房に向かう道。

 葉を目指してきたのかもしれない。


 二人と一匹でそのまま様子を見る。

 俺達が動かなくなると、ゆっくりと位置を確かめるようにして彼は進み始めた。

 もしかしたら、本当に“目の前が見えていない”だけでふらついているのかもしれない。

 先ほどまでは得体の知れない恐怖が強かったが、神主と葉の知り合いならば話は別だ。

 少し前に、顔を神様に奪われた人にも会ったことがある。


 ――あれ。もしかして、今回も“それ”なんじゃないか?


 一つ胸の奥に納得してしまえそうな理由が出来ると、不思議と真っすぐと向き合うことが出来た。

 元々そうではないのなら、なにがしかに奪われてしまったと考えてもいい。

 それで行きつく先が“俺の顔を寄越せ”、となるなら話は別なのだがそういった気配もなさそうだ。

 根拠のない自信を過信するのは良くはないが、こういう勘は当たる方だ。


 大分近づいてきた彼は神主と葉、そのどちらでもなく俺に向かってきているのが分かった。

 目の前で立ち止まり、葉が威嚇するか迷っているのを感じて撫でて宥めた。


 ――彼は何かをするつもりじゃない気がする。


 よくわからない確信めいたもので、怯えることなく向き合う。

 近距離で見ると真っ暗な部分は怖いのだが、無理矢理近づこうとすることもない。

 何もできず、言う言葉もなく時間が流れる。


 すると彼はポケットの中に手を突っ込んで、何かを取り出したのだった。

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