第4話 “それ”と神主

 身体をくの字に曲げてエビのようにしてほんの少し距離を取る。

 その間にうねうねと身体を器用に動かして、うなぎみたいに腕をスルリとようが抜ける。

 急いで手を伸ばして抑え込みながら少しでも直撃を避けるため、半歩で真横に足を出し身体の向きを90度変えて後ろに倒れ込んだ。

 避けられると思っていなかったのか、“それ”は俺が居た場所にそのままの勢いで突っ込んでいった。


 相手が駆けてきた方へと葉を抱きとめたまま身体を転がして距離を取る。

 転がる力を利用して状態を起こし、相手が見える方を向きそのまま片膝をついたような姿勢に切り替える。

 回っている間はよくわからなかったが、“それ”を見て俺は目を疑った。


 数回瞬きをして、姿勢の問題で小脇に抱えることになった葉の方を見る。

 葉も“それ”の方を見て、真っ赤な三つの目を丸くしていた。


 ズベシャァ、という効果音と共に盛大に目の前ですっ転ぶのが見えたのだ。

 顔面の凹凸がないとはいえ、顔から思いっきり神社の石で出来た道にぶつかっていったので物凄く痛そうだった。

 自分ではないし得体の知れない恐怖を感じる対象ではあるが、なんとなく同情しかけて首を横に振る。


 ――逃げるなら今だ。


 びくびくと震えながら、おそらくだが痛みに耐えているように見える。

 痛そう、とさっきは思ったが訂正する。

 痛い、あれは間違いなく痛い。

 だからこそ逃げるのには絶好のチャンスだった。


 足に力を入れてすぐに立ち上がり、どちらに行くかを見定める。

 視線で鳥居のある出口を捉え、それから人が居るかもしれない奥の建物の方を見る。


 すると、そこに見覚えのある人物が立っていた。

 浅黄色の袴を身に着けた背の高い男性は、奥から駆けるように出てきていた。


水道橋すいどうばしさん!」

「騒がしいと思ったらキミ達だったか」


 現れたのは水上神社の神主――水道橋すいどうばし和眞かずまさんは困ったような、どこか安心したような笑みを浮かべていた。

 今までは確かに度々揉め事のような、問題のあるようなものを持ち込んではいる。

 騒がしているつもりはない、とも言い切れないので俺は少しだけ視線を逸らした。


 この人が良い頼れる年上の神主は、どこからどう見ても見た目は邪悪そのものと言ってもよさそうな暗黒もちもち水まんじゅうを初めて見たときもこう言った。

「君と共存できているならそれでいいんじゃないか」

 一切の悪気なく、気持よく笑い飛ばす姿はこの神社の竜神とよく似ている。


「すみません」

「いや、構わん。なにやら敷地内が“ざわざわする”と思ったので、もっとまずいものかと思った」

「……それで合ってる、遅い」


 俺の脇から肩の上に移動しながら、葉は露骨に不機嫌そうにしながら会話に混ざってくる。

 神主は不思議そうに首を傾げてから、石で出来た道の上で伸びている“それ”に気付く。

 こちらの方を見て、眉間に深く皺を寄せて信じられないという顔が向けられる。


「なっ……君たちはついに人に手を出したのか!?」

「違います! 追われてきたんです!」

「平和が続きすぎて“水道橋”も力が落ちたか! よく見ろ!」


 急いで笑顔を作って否定する俺とは違い、葉がいつになく真剣に声を張り上げる。

 ただならぬ雰囲気が伝わったのか、和眞さんは“それ”を目を凝らして見つめた。


「……なんだ、あれは。どういうことだ」

「気付いたか」


 面倒くさそうに葉が吐き捨てる。

 それを気にも止めない様子で、和眞さんは驚いた顔のまま固まり、言葉を失っているようだった。

 返事は無いと判断したのか、葉が勝手にしゃべり始める。


「アレに猫ノ目書房の前で出くわして、ここまで逃げてきた。何故神社に入れる」

「……」


 和眞さんは少しだけ口を開いて、向こうを凝視したまま動かない。

 苛立ちを隠さずに葉が“それ”を睨みつけるようにしながら神主への問いかけを続ける。


「ここの結界は町で一番強大なはずだろう、この水上町は竜神の棲む水の恵から始まったはずだ」

「……いや……まさか」


 葉の言葉が全く耳に届いていないのか、和眞さんはぶつぶつと何かを小さく呟く。

 何も答えずにいる神主に、俺がどう声をかけていいか分からずにいると、葉が声を荒げた。


「おい! 聞いているのか神主!」

「そんな、はずは……ない……」

「あの、和眞さん?」


 大きな声で言ったにも関わらず、答えない和眞さんの顔を、改めて覗き込む。

 困惑と混乱の滲んだ、普段は俺より大人の余裕を上手く見せてくれる人物があまりしない表情。

 俺のことがまるで見えていないのか、問いへの答えはやはりない。

 葉と二人で顔を見合わせ、どうするか相談するために口を開きかけた。

 今まで小さな声だったのに、何故か神主の言葉がハッキリ聞こえたような気がした。


 ポツリ、と聞き覚えのある人物の名を口にしたのだ。


「何故あの姿で、“ミコト”がここにいるんだ?」

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