第22話 連休最終日、ギャラリーにて

きつねき」が引き起こした大量失踪事件の決着から一夜明け、乙弥おとやは都内にあるギャラリーに足を運んでいた。


(絵の個展とか興味ないけど、あそこまで勧められて来ないわけにはいかないよな……)


チケットを見つめながら、昨夜のことを思い出す。


『あーし真矢まや真珠まじゅ!9月9日生まれの17歳!律風館りっぷうかん学園芸術科美術コース3年で、スリーサイズは上から80、56、92。あと――』

『わ、わかった!もういいから!』


乙弥が助けた少女――真珠は目を覚ますやいなやマシンガンの如く勢いでアプローチを仕掛けてきた。装束にかけられた幾多の防御・目眩し術をもってしても彼女の猛攻をかわしきれず、懐にねじ込まれたのがこのチケットである。


「『しんじゅ魔夜まや 幻想の世界』……」


ギャラリーに貼られたポスターには個展名と共にピントのぼやけた写真のような油絵の写真が印刷されている。しかし、今日乙弥がここに来たのはのんびりと芸術鑑賞するためではない。

絵を眺める人々を横目に、乙弥はまっすぐ真珠の元に向かった。

「あ!おとやん!」

「お、おとやん……??」

乙弥に真珠が思い切り抱きつく。

豊満な胸が思い切り当たっているが、乙弥はそれよりも珍妙なあだ名と距離感の近さに困惑していた。

「ダメ元で渡したから来てくれるとは思わなかった……やっぱあーしらウンメーじゃね?」

「い、いえ……今日は、真珠さんに話したいことがあって――」


乙弥は(チケットと共にIDを押し付けられた)真珠のメールアドレスにWEBサイトのリンクを送る。


「あ、『いつでも相談ダイヤル』のチャット版?へー、学校でチラシもらうけどカンザキグループがやってんだ」


「うん。それで、ここに名前と『互助会に助け求む』って書き込んでもらえますか?」


乙弥に言われた通りメッセージを送ると、しばらくして返信が表示される。


【ご連絡ありがとうございます。互助会への相談は当チャットでは受け付けておりません。以下のリンクよりRINEリーングループチャットへの参加をお願いします。】


「で、なんなのコレ?やばいセミナー参加させられたりしない?」


「あはは……大丈夫ですよ。互助会っていうのは、真珠さんみたいな霊感がある人と、僕みたいな人を繋ぐためのコミュニティですから」


間違ってはいないが、正確ではない。

互助会とは、非霊者――五行ごぎょう家をはじめとする霊者以外の、一般家庭出身の霊能者を保護するための組織である。


霊力は生命のエネルギーであるため、一般人でも稀にモノノケを認識できる水準の霊力を持っていることがある。

しかし、視えるとはいえ、多くの霊能者はモノノケと戦う手段を持たない。

モノノケにダメージを与えられる霊器れいきを展開できる水準の霊力を持つ者はほんの一握りである。

霊器も出せない、戦えない一般人はモノノケにとってご馳走に等しい。格好の餌食である。

そのため、五行家――戦後は大企業で資金のある金崎かんざき家が中心となって、霊能者を保護する組織を運営しているのだ。


「互助会には真珠さんのような、不思議なモノが視える人がたくさんいます。周りの人が動物に視える人とか」


「……そっか。あーしだけじゃ、ないんだ」


乙弥の言葉に、真珠の表情が曇る。


「おとやん。あーしね、女子高校生JKアーティストとしてけっこー有名なんだ。でも、多分、あーしがJKじゃなくなったら、誰もあーしの絵なんて見ない」


真珠がギャラリーのソファーに腰を下ろす。短くした制服のスカートがひらりと揺れた。


「連休前の授業で進路指導のセンセーに言われたんだ。あーしの絵にはオリジナリティがない、こんな絵で芸大入るなんて無理って」


足元から金色の毛並みの狐が顔を覗かせる。昨日乙弥が調伏した、あの狐だ。


「あるワケないじゃんね。だって、ずっと、見えてるモノしか描いてないんだし」


壁に飾られた油絵に目を向ける。

ビルの隙間に、ピントがぼやけたような光の粒が舞っている様子が描かれた絵だ。


「やっと、見つけたと思ったんだけどな。あーしにしかないモノ」


「……僕は、好きですよ。真珠さんの絵」


乙弥の言葉に、真珠が振り向く。その目には涙が光っていた。


「この絵に描いてある光の粒……多分、水子霊だと思うんですけど、すごく穏やかな様子なんです。きっと、あなたの優しさが伝わっているんだと思います」


「おとやん……」


2人が見つめ合うと、ギャラリーに静寂が訪れる。


『こーん!』


静寂に耐えかねたのか、足元をうろついていた金色の狐が真珠の肩に飛び乗ってきた。


「うわっ!どしたん?だっきーば」


「だっきーば……?」


「うん。『よーかいガッチャ』にダッキってめちゃかわのモンスターがいてね。そのコに似てるから、だっきーば!」


真珠がスマートフォンのイヤホンジャックを指差す。オレンジ色の狐がスマートフォンに縋り付いていた。


『にょす!きーど、だっきーば、だよぉ!』


「にょす」


「あーしが『よっすー!』ってあいさつしてんのマネしてんの。ウケるっしょ?」


金色の狐――ダッキーバが、歯を見せて笑う。


「狐――」


『だっきーば!だよお!』


頑なに狐と呼ぼうとする乙弥に、ダッキーバが吠える。名前に対するこだわりが強いようだ。


「――ダッキーバ、は……真珠さんに憑いているんですか?あの、鳥居結界があった場所じゃなくて?」


「そーそー。ホコラはあそこに作り直してもらったんだけどさー、なんか恩?縁?的なの感じて着いてきちゃったぽい」


真珠のあっけらかんとした物言いに、乙弥は頭を抱える。

秋山しゅうさんのような例外を除き、神という存在はみだりに自身の社から離れることはない。元々動物霊とはいえ、神格を眷属(というかペット)にするのは危険極まりない行為である。


(でも、ダッキーバは人から忘れられたせいでモノノケになったから、社にいるより誰かと一緒にいた方が安心するのかもしれないな)


「……わかりました。では、ダッキーバさん。少し、おまじないをしていいですか?」


『おけまる!』


ダッキーバの頭に手を当て、乙弥がバッグに入れた守護刀まもりがたなを握る。


「『神田におわします稲荷神よ、祓え給え清め給え、神ながら守り給え、幸い給え』」


乙弥が祝詞を唱えると、ダッキーバの首に紅白の注連縄しめなわが巻き付く。


「ケガレを祓うおまじないをかけました。これでもう、モノノケになることはありません」


「じゃあ、だっきーば学校に連れてってもよさげ?」


「多分クラスメイトには視えないと思いますが、大丈夫だと思いま……うわっ!?」


乙弥の顔にダッキーバが、ボディに真珠が抱きつく。


「マジサンキュー、おとやん!」


『まじさんちゅー!』


「ちょっと、前、みえないですから、離れて……あいたっ!」


何とかダッキーバを引き剥がそうとして、ギャラリーの隅に置かれた小さな机にぶつかった。


「すいません!……ところで、なんですか?これ」


「ん?ああ、あーしの作品パシャってポストカードとかアクセにしたやつ。スランプん時に作ったヤツだからめっちゃ雑だけど、よかったら買ってく?」


色とりどりのアクセサリーを眺めていると、青い猫のチャームがついたヘアゴムが視界に留まる。


「じゃあ、これを」


「お、クラスメイト調べ人気ナンバーワンだった『猫月夜』のヤツじゃん!さっすがおとやん、見る目あるね〜〜」


ファンシーな柄の紙袋に入れられたヘアゴムをバッグに仕舞い、代金を真珠に手渡す。


「では、用事があるのでそろそろ失礼します」


「また会おうね〜〜!」


真珠は、乙弥が見えなくなるまで手を振っていた。

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