第21話 夕焼け小焼けで日が暮れて

 東京上空に浮かぶ巨大な球体状の結界が崩れ落ち、破片が夕日を浴びてキラキラと輝く。


まもるくん、美卯みうさん……!」


 地上では消耗が激しく倒れたけん、そして剣を庇いながらモノノケをいなしていた乙弥おとや花道はなみちが、頭上で崩れ落ちる結界を見守っていた。

 霊力の雨が降り注ぐ中を、3人がゆっくりと降りてくる。衛とたまきは美卯の肩に掴まっており、美卯は見慣れない真っ白な陣羽織を身につけていた。


「環ーーっ!」


 破顔して両手を広げる花道を目に留めた環の両目から安堵の涙がポロポロと零れ落ちる。地面に降り立った瞬間、花道が環に駆け寄り力強く抱きしめた。


「はなちゃ、ごわがっだよぉ……うえっ、ぐすっ……」


「うん、頑張ったなあ環!ホント、よく生きていてくれた……!」


 熱い抱擁を交わす2人を尻目に、美卯が剣に歩み寄る。本来調伏ちょうふく装束しょうぞくの際には雑面ぞうめんで覆われているはずの彼女の顔には、赤い直線状のアザが幾何学模様を描いていた。


「剣はん」


「……美卯殿。私は、貴女に謝らなければならないことが沢山ある。今日に至るまで数々の無礼、貴女を傷付けてしまった心ない言葉、それに――」


 パチン、と乾いた音が周囲に響く。うなだれている剣の頰を美卯が思い切り平手打ちしたのだ。


「今はこれで勘弁しときます……まだ、終わってませんから」


 一瞬だけ花道たちの方に視線を向けて、美卯は空中を睨む。次の瞬間、人影がアスファルトに激突した。


「あれが……」


 一見女子高生が狐の皮を剥いで被ったような出立ちだが、牙を剥き出しにしたような真っ黒な面頬と目を隠すような狐の手、そして何より2本の尻尾がヒトではないことを示している。


『ううっ、ダメだ……こんなんじゃ、また……わすれられちゃう……かはっ!』


「っ、テメェ!環や女の子をあんな目に遭わせといて何ほざきやがる!」


 花道が怒りに任せてトンファーを振り上げ、狐の頭を砕こうとするが、暗がりから現れた濃紺の着流しを着た少年――秋山しゅうさんがトンファーを指一本で止める。


「殺すんか?コイツははただの化け狐じゃのうて、『狐憑き』やぞ」


「バッ……分かってたんなら先に言えアホコウモリ!」


 血相を変えて霊器を短刀に戻す花道を見て、乙弥の後ろに隠れていた環が首をひねる。


「なんで?モノノケなのに、ちょうふくしないんですか?」


「普通モノノケに憑依されると魂が変質してモノノケになっちゃうんだけど、憑依された人が霊者だったりすると魂が変質しないで自我が残ってる場合があるんだ。そういうのを僕たちは『モノノケ憑き』って呼んでるんだけど、モノノケ憑きは人間の部分が残ってるから調伏しちゃうと霊者殺し――外道扱いになるんだよ」


 加えて人間からモノノケへの変化は不可逆であり、分離する手段はない。モノノケ憑きの末路は憑かれた人間がモノノケから肉体の主導権を取り返し自決するか、モノノケが人間を捕食できずに衰弱して共倒れするかのどちらかだ。


『ボクはどうなってもいい!でも……頼む。マジュだけは、助けてくれ……』


 狐が首を垂れて言霊師ことだましたちに命乞いをする。


「無理な相談じゃな。モノノケと憑代よりしろは一蓮托生。ぬしが憑いとる娘を救いたいのなら、ぬしが死ぬ他ない」


 秋山の手が熊のものに変化し、鋭い爪が注連縄の巻かれた首に食い込む。


「安心せえ。言霊師には出来んが儂ならぬしを、モノノケの魂だけを殺せる。往生せえ」


「『待って』、秋山!」


 狐の首をへし折ろうとする秋山に乙弥が命令する。


「……モノノケになった神様を元に戻すのって、できないかな」


「ふうむ……出来んことはないが、そのためにはまず狐をこん娘からひっぺがさにゃいけんぞ」


 人間とモノノケを分離するということは、すなわち魂に直接干渉することである。いかに言霊師の扱う武器――霊器が霊力によって形成されているとはいえ、肉体を傷つけず魂に干渉するにはかなり高度な技術が要求される。


「うっ……それは、そう、だよね……」


「うちも協力します」


 諦めかけたその時、乙弥の背後から声が響いた。


「うちの特技――清めの舞があれば、なんぼかモノノケと依代との結びつきを弱められるかもしれません」


 美卯が巫女鈴型の霊器『空木うつぎ』を握りしめ、乙弥の目をまっすぐ見る。


「美卯さん。必ずあの子を助けましょう」


 乙弥が言い終わるより先に、美卯が腕を高く振り上げ、朗々と唄いながら清めの舞を始めた。


「言われんでも、はなからそんつもりです」


 シャンシャンと霊力を帯びた巫女鈴の音が周囲のケガレを祓っていくのを肌で感じ、乙弥は槍型の霊器『木枯こがらし』を展開する。


(大丈夫。木彫りと同じだ……削り出すべき形を見つければ、あとはそれに沿って刃を入れるだけ……)


 規則的なリズムに合わせて呼吸を整え、指先に全神経を集中させる。


(見極めろ、魂と魂の境い目を。五感を、全神経を刃先に集中させろ……!)


 鈴の音がだんだんと遠くなり世界が真っ白になっていく最中で、乙弥はふと、少女の声がするのに気づいた。


――JKだから、子どもだから、周りが天才だってチヤホヤしてるだけ。


――じゃあJKじゃなくなったら?みんなは真珠の絵を見てくれる?


――このままじゃみんなから興味無くされちゃう。


――ファンから見捨てられたらどうしよう?


――飽きられたくない。まだ、みんなに見てもらいたい。


――忘れられたくない!


 視線を声のする方に向けると、制服の上から蛍光ピンクのパーカーを羽織った少女がうずくまっていた。


「君が、マジュさん?」


 少女が小さく頷くと、ピンクのインナーカラーが入った長い金髪が揺れる。


「君の声が聞こえたよ。『忘れられたくない』って、叫びが」


「……別に、助けてほしくて言ってたわけじゃないし。それに、今はこのコがいるからもう大丈夫」


 少女が膝の上で眠っている狐を優しくなでる。少女の髪と同じ金色であろうと思われる毛並みはボサボサで、ひどく汚れていた。


「このコが言ってくれたの。『マジュの願いを叶えてあげる』『ボクがマジュを守ってあげる』って。だから、あーしはこのコを見捨てたくない」


 少女も分かっているのだろう。自分が狐と離れたら狐が死んでしまう、助かるのはどちらかひとりだけだと。


「大丈夫。君もその子も助けるよ。絶対に」


「……ホント?」


 不安そうに揺れる少女の瞳に、手を差し伸べる乙弥の微笑みが映り込んでいる。


「『僕を信じて』」


 少女が頷き乙弥の手を取った瞬間視界が真っ白になったかと思うと、涼やかな鈴の音が鳴り響いた。


「――っ、はあっ、はあっ……」


 乙弥がふと気がつくと、槍の青い刃が狐憑きを切り裂いていた。青白い炎が一瞬燃え上がったかと思うと、少女が乙弥の方に倒れてくる。


「危ない!」


 咄嗟に少女を抱き留め先程まで狐憑きがいた場所に視線を向けるが、狐の姿が見当たらない。


「秋山、狐は!?」


「安心せえ、無事じゃ。今手奈土てなづちの嬢ちゃんらが清めの儀式をやっちょるから、あとは社ができりゃあもう大丈夫じゃろう」


 秋山が視線を向けた先ではボロボロの狐が美卯に抱き抱えられている。


「よかった……」


「しっかし、ようやったのお。儂も本気で分離できるとは思わんかったぞ」


「いや、僕も無我夢中だったからどうやったのか自分でもさっぱり……」


 秋山と乙弥が話していると、少女がぱちりと目を覚ました。


「あ……その、大丈夫?怪我は――」


 言い終わらないうちに少女が乙弥にガバリと抱きつく。


「ようやく出会えた……あーしの、王子様!」


「え、ええーーっ?!」

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