第19話 逆転の切り札を、君に

「わーーーっ!」


 東京の上空600m程の高度を巨大な影が飛んでいる。地上にいる人が空を見上げてそれを認識できたとしても、鳥か飛行機かと思うだろう。


「おーーちーーるーー!降ろしてーーっ!!」


 しかしその正体は鳥でも飛行機でもない。乙弥おとやまもるを乗せて都内へと向かう、巨大なコウモリ様の姿となった秋山しゅうさんだ。


「降りたところで地上にはモノノケがうじゃうじゃおるが、降ろしてええんか?」


「よくないですごめんなさい頼むから落とさないでください!」


 地上にはハンググライダーの様に滑空しながら都内へと向かう秋山を追いかけるように極彩色の鳥居が列を成しており、その全てから黒い犬のような影が空を見上げている。


「あの鳥居、狐くさいのぉ。鼻がひん曲がりそうじゃ」


「狐……ってことは、アレはお稲荷様なんですか?」


 稲荷いなりといえば全国的にも神の使い、あるいは神そのものとして有名な存在で、モノノケのように人を襲う怪異とは対極――祓う側であるはずだ。それがなぜ乙弥たちを襲うのだろうか。


「うん、アレは確かに稲荷神だ。でもね、モノノケと神様は衛くんが思っているより近い存在なんだよ。人や獣が死んだ後悪霊として恐れらればモノノケになるし、信仰を得れば神様になる。秋山だって元々は人間に駆除された害獣の霊だったらしいしね」


「加えて稲荷は人が信仰を得た神様や氏神と比べると少々荒っぽいからの。忘れ去られたり蔑ろにされるとモノノケになりやすいんじゃ」


 感心しながら話を聞いている衛を横目に、乙弥は遠く帝京タワーを見据える。ビルの隙間から差し込む西日に照らされて、大きな球体が東京上空に浮かんでいる。


(でもモノノケの割にはなんというか……嫌な感じがしないんだよな。あの影たちからも人を食おうっていうモノノケ特有の悪意は感じなかったし)


「何をぼさっとしておる乙弥!下見てみい、下!」


 秋山に促されて地上を見ると、極彩色の鳥居がドーム状に固まっている。おそらくけん花道はなみちがいる場所だろう。


「まずそうな雰囲気……秋山、スピード上げてくれ!」


「言われんでもやっとるわい!」


 上空から急降下し、秋山は住宅街へと突っ込んでいった。


 *****


 モノノケたちと戦い始めてからどれほど経っただろうか。花道はもはや調伏ちょうふく装束しょうぞくを編む霊力を維持することで精一杯、剣も疲れから太刀筋が乱れ始めている。


(都度最小限の動きで仕留めているとはいえ、さすがに限界か……)


 死ぬのは怖くない。瑞獣ずいじゅう家のような格の高い霊者れいじゃと違い、言霊師ことだましの命は使い捨てのようなものだ。霊器れいき――手に握った赤銅色の太刀が発現したその日から、一度たりとも自分が畳の上で死ねるなんて思ったことはない。


(……それでも、死ぬ前にもう一度だけ彼女に、手奈土てなづち美卯みうに会いたい。一目見た時から――否、貴女に会うずっと前からお慕い申し上げておりましたと伝えたい)


 未来視の力を持つ者は最初に自らの死の未来を視る。剣も例に漏れず、3歳の誕生日に自身の死の風景を視た。

 古い屋敷の天井と、自分の顔を悲しそうに覗き込む和服姿の女性。


『ミウ……すまない、――を、頼む……』


 こぼれ落ちそうなほど大きな琥珀色の瞳。瞳と同じ色の豊かな髪。人形のような愛らしい容姿。枯れ枝のように嗄れた自分の手を握るその女性に、幼い剣は恋をした。

 いつ逢えるのかも分からない「ミウ」という名前の女性を20年近く想い続けて、手奈土家への婿入りが決まった頃にはその恋は口に出すことすら憚らられるほど陳腐なものになってしまった。

 もし手奈土美卯が予知で視た女性でなかったら?初対面の男からいきなり「ずっと好きだった」と伝えられて彼女はどう思うか?――そんな不安が邪魔をして、初夜では言霊師として模範的な、彼女を傷つけるような態度を取ってしまった。


(予知も案外当てにならないものだな。自分の死に際さえ正確に視られないとは……)


 剣の眼前にモノノケが迫り来るが、もはや反撃する体力は残っていない。だらりと手を下ろして目を閉じ自らの死を受け入れた、その時だった。


「『我が手に在るは槍一本、銘を木枯こがらしとす』!」


 空から叫び声と共に槍の一撃が降り注ぎ、刃まで青い槍が夕日を浴びて煌めく。


「遅かったじゃないか、乙弥」


「すいません……でも、間に合って良かった」


 乙弥が剣に肩を貸しながら微笑む。


「おそらく邑木むらきたまきはあの結界の中だ。我々では手も足も出ないが、君と秋山なら届くだろう」


「ふん、儂を舐めよって。乙弥の手を借りんでも楽勝じゃわい」


 秋山が結界に向かって飛んでいくと、あとわずかというところで動きが止まる。


「ぐ、うう……っ!なんじゃあ!?」


 まるで金縛りにあったように――いや、相手が神から転じたモノノケであると考えれば金縛りそのものだろう。


『邪魔するな!ボクは、オトナから皆を守るんだ!皆の願いを邪魔するヤツは、誰だろうと許さない!!』


「ふぎゃっ!」


 空中で静止する秋山を見守る乙弥たちの脳内に少女とも少年ともつかない声が直接響き渡ると、秋山の体がコンクリートに叩きつけられる。


「やっぱり……あのモノノケは、完全に善意から環ちゃんたちを結界に閉じ込めているんです」


「善意からって……一体どういう事だ?」


 納得がいったような乙弥の言葉に、花道が疑問を呈する。


「おそらくヤツは自分がモノノケになったことに気付かずに、神様として子どもたちの願いを叶えようとしているんです。多分家出したいとか、学校に行きたくないとか、そういう悩みを解決するために『オトナから子どもを隔離する』手段を選んだ」


「じゃが、所詮はモノノケじゃ。力が足りんまま巨大な結界を張った結果、本来なら悩みを抱えた者を導くはずの鳥居が結界そのものを維持するために霊力があって悩みを持つ子を無差別に取り込む門になったんじゃろう」


 乙弥と秋山の考察を聞いた花道は、悔しそうに唇を噛み締めた。


「じゃあ、俺たちにはどうしようもできねぇじゃねえか……!」


 大人を受け入れない結界には成人済みの剣と花道は入れない。加えて秋山のように結界を破壊しようとすれば問答無用で弾かれる。もはや万事休すかと全員が諦めつつあった。


「……ぼくが行きます」


 沈黙を破ったのは、花道に肩を貸していた衛だった。


「悩みを持っていて、大人じゃなくて、鳥居が見えるぐらいには霊力がある。皆さんがだめでも、ぼくなら結界内に入れるかもしれません」


 毅然とした態度で言い放つと、衛は守護刀を固く握りしめる。


「だから、ぼくが行きます。行って、美卯さんといっしょに内側から結界を壊します」


「でも、アンタ霊器が――」


 止めにかかる花道を制止して、剣が衛に紙切れを渡す。


「その紙に書いてあるものを、手奈土美卯に読ませてくれ。もしかしたら……逆転の切り札に、なるかもしれない」


 衛は無言で頷くと、紙切れをジャンパーのポケットにしまって鳥居に向かう。恐る恐る歩みを進めると、不意に衛の姿が消えた。


「環がいなくなった時と同じ……ってことは、入れたんだな!」


「ああ。後は、衛くん達を、信じ、て……」


 剣が苦しそうに胸を抑えながら膝から崩れ落ちる。咄嗟に花道が受け止めたものの、額に脂汗を浮かべていかにも苦しそうだ。


(美卯、君ならばきっと、使えるはずだ……)


 太陽は既に半分ほど地平線に沈んでいる。決戦の時は近い。

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