第16話 環と美卯の神隠し

 手奈土てなづち美卯みうが目を覚ますと、見知らぬ真っ白な空間にいた。


(ここは……せや、確か変な鳥居に吸い込まれて……)


 周囲を見回すと、美卯以外にも何人か人がいる。制服やパーカーなど皆服装は違うものの、皆10代の少女のようだ。


(ケータイは……つながらんわ。壁やら換気扇は見当たらへんから、地下室ではなさそうやけど)


 直前の状況から推察するに、おそらくここはモノノケの体内か結界内だろう。美卯は自らの迂闊うかつさにほぞを噛んだ。


「あの」


 背後から声をかけられて振り向くと、少女が立っていた。他の少女たちより頭一つ小さく、小学校高学年ぐらいに見える。


「すいません……おかしとか持ってませんか?」


 他の少女たちとは異なり、フォーマルなグレーのジャケットにローファーといういかにもよそ行きの服装をしている。


「お菓子……羊羹ようかんでもいいですか?」


「ありがとうございます」


 リュックサックから一口サイズの羊羹を取り出すと、少女は嬉しそうにそれを頬張る。遠足か何かと勘違いした使用人に半ば無理矢理押し付けられたものだが、こういった形で役に立ったのなら悪くはないと美卯は微笑んだ。


「えっと……ひとりで来たん?」


 少女が美卯の問いかけに小さく頷く。


「うん。空港まで花ちゃんといっしょだったけど、ここに来たのはたまきだけです」


 環と言うのは少女の名前だろうから、一緒にいたと言う「花ちゃん」がモノノケに狙われてそれに巻き込まれたのかもしれない。


「お父さんとお母さんは?」


「死んじゃいました」


 環があまりにも平然と言ったので、美卯は危うく聞き流すところだった。


「え……」


「お父さんもお母さん、『おつとめ』で『うちじに』したっておじさんが言ってたので、もういません」


 お勤め。討ち死に。一般家庭であれば絶対に出てこないであろう言葉が環の口からすらすらと飛び出す。


「それは……辛かったやろうね」


「ううん。辛くはないです。『うちじに』するのは当たり前で、最後まで戦って死ぬのは『ほまれ』だっておばあちゃんが言ってたので」


 美卯は言葉を失った。環の言いぶりを聞くに、十中八九霊者れいじゃ――美卯と同じ言霊師ことだましの家系なのは間違いない。こんな年端もいかぬ子どもでさえ、モノノケと戦って死ぬことが当たり前だと信じて疑わないのだ。


「あ……でも、中学生になったら火村ほむら様のとこに行かなきゃいけないらしくて、友だちといっしょの中学校に行けないのは、ちょっと悲しいです」


(両親が討ち死にして火村の家に来るってことは、この子がまもるはんの嫁になる、邑木むらきの……)


 亨子きょうこの代わりに衛が当主となるのであれば本来木生火モクはカをしょうずの相生に従って木戸家から嫁を取るはずだ。それをわざわざ分家である邑木家から選ぶということは、火村家側は亨子の出奔は乙弥おとやに責任があると考えているのかもしれない。


「その……環はんは、みんなみたいに、普通に暮らしたいと思わへんの?」


「?ふつう、ですか?」


 環が首を傾げる。環にとっては今の生活が普通なのだから、美卯の質問の意図を捉えあぐねているのだろう。


「うん。お父さんとお母さんがおって、自分で好きな中学校を選べて、休みの日にはお稽古とかせんで友だちと遊んで……ほんまに好いた人と恋人になって、結婚する。そんな生活が、普通」


 普通の女の子は、剣道から華道まで道のつくものを片っ端から叩き込まれたりしない。

深夜まで起きて、街中をパトロールしたりしない。

冬の寒い中、一晩中山にこもって、寝ずに祈祷したりしない。

親族が不慮の事故に遭って死んでも、喪主を務めたりしない。

16歳になったその日のうちに、会ったこともなかった歳上の男と結婚したりしない。

会ったばかりの男と子どもを作れと、大人たちに強制されることもない。


「でも、おばあちゃんもお母さんも小さい頃にお嫁に来たんだから、環だけワガママ言えないです。環のうちでは、これが普通なんですから」


 キッパリと断言した環の言葉に、美卯は表情を曇らせる。


(わがまま……ただ、人並みに幸せになりたいって願うんは、わがままなんやろか)


 そんなことを考えていると、突然、環が指で美卯の口角を押し上げた。


「おねえさん、スマーイル!」


 美卯が顔を上げると、環が笑って――いや、笑顔を作っていた。


「これ、元気ないときに花ちゃんがやってくれるおまじないです……元気出ましたか?」


 どうやら、歳下の環に気を遣われるぐらいには暗い顔をしていたようだ。


(……さきねえさんも、うちがしょげとる時にようやってくれたなぁ……『大丈夫、なんとかなる』って……)


 守護刀まもりがたなもない。仮に守護刀があったとしても、美卯の霊器れいきはモノノケと戦えるものではない。それでも、今ここにいる者でモノノケに立ち向かえるのは美卯だけだ。


「……ありがとう環はん。うちはもう、大丈夫や」


 例え勝ち目がなくとも、美卯は言霊師としての責務を果たさねばならない。


*****


 真っ白な空間でただ座っていても仕方がないので、美卯と環は周囲にいる少女たちに話を聞いてみることにした。体力を消耗するのは避けたいが、いつまでもここにいる訳にはいかない。


「あの、みなさんいつからここにいるんですか?」


 美卯が質問すると、談笑していた少女たちがへらへらと答える。


「わかんな〜い」「ずっといるよ」「別にそんなことどーでもよくない?」


「どうでもいい、って……ここから出とうないんですか?」


「別に〜?」「どうせ学校にも家にも居場所ないし」「帰ってもババアがウザいんだもん」


 食糧も水もないのだから、そう長くはいられない。しかし、少女たちはそんなことは全く気にしていない様子だ。


「でも、ここにずっとはいられへんのやし、みんなで協力して出口を探して――」


 周囲にいた少女たちが一斉に美卯の方を向く。皆頬は痩けやつれているにも関わらず、一様に貼り付けた笑顔をしている。


「ここにはやなことなーんもないから」「帰りたくない」「私の居場所はここしかないの」「他に行くところなんかない」「ジャマしないでよ」「ほっといて」「ワタシたちを現実あっちに連れ帰るの?」「おとなにチクるんだ」「仲間じゃないの?」「ここを壊すつもりなら」「許さない」「ゆるさない」「ユるさなイ」「ユルサナイ」


 先程まで静観していた少女たちに周囲を囲まれる。先程の少女然り、どう見ても尋常ではない様子だ。


(っ、なんや知らんけど霊力を持ってかれとる……!あかん、力が、入らん……)


 たまらず美卯がへたり込む。どうやら環も霊力を奪われているようで、美卯の背中に寄りかかるようにしてなんとか立っている状態だ。


『出ようとするなら止めないけど……ここを壊すのは、ダメだよ?』


 頭上から声が降ってくる。見上げると、空中に制服姿の少女が。まるで見えない椅子がそこにあるかのように、短いスカートから覗く脚を組んでいる。


「あんた、東京駅におった……」


『テナヅチミウ、ムラキタマキ。キミたちはずーっと、ここにいていいんだよ?』


 少女がそう言った瞬間、視界が歪む。めまいがひどくて上を見上げていられない。


『望むことはなーんでも叶えてあげる。辛いことも、悲しいことも、ぜーんぶボクが忘れさせてあげる!』


 ぐらぐらと、今自分がいる場所が揺れているような感覚に襲われる。地面が揺れているのか自分がふらついているのかわからない。


『だってボクは、カミサマなんだから』


 少女が狐のように目を細めた笑みを浮かべる。しかし、その言葉は意識を手放した美卯の耳には届かなかった。

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