第15話 転ばぬ先の剣

【大変です!手奈土てなづちさんが……美卯みうさんも、いなくなったって……】


 まもるからの連絡を受けて乙弥おとや花道はなみち火村ほむら屋敷に戻ってくると、衛と共に見知らぬ青年が2人を待っていた。


「ああ、思ったより早かったな」


 葡萄茶えびちゃ色の着物に洋服の肌着、足元は素足に下駄という奇妙なファッションも印象的だが、不健康そうな白い肌と白髪混じりの長髪が彼の浮世離れした雰囲気を引き立てている。


けん!テメェがいるなら話は早い、とっととたまきがどこにいるか視ろ!」


 青年の姿を目に留めるやいなや、花道は青年に掴みかかる。


「……邑木むらき花道。前にも言ったが、私が視えるのは未来だ。鏡子きょうこと違って今現在起こっていることを視ることはできない」


 鏡子という名前を聞いて、乙弥はようやく青年の素性に思い至った。


「もしかして、篝火かがりび家の方ですか?」


 花道の手を振り払い、青年が乙弥の方に向き直る。


「いかにも私は『裏行家』篝火家の嫡男、篝火かがりびけんだが……そういう君は『木行家』当主木戸きど神仕しんじの長男、乙弥だね」


 篝火家は代々火村家の影武者を務める家である。出奔した火村亨子きょうこの影武者だった鏡子も、篝火家の人間だった。


「確か、鏡子さんは千里眼――遠い所で起こっていることが視えるんでしたよね。じゃあ鏡子さんをここに呼べばいいじゃないですか」


 乙弥の提案に対して、剣は静かに首を振った。


「それは無理だ。鏡子は今、妹の結婚式の打ち合わせに同行して静岡に行っている。水面みなもつかさがいれば空間転移の術を使って呼び戻せるかもしれないが、私は家族水入らずの時間を邪魔して彼女を怒らせたくはない」


 つかさは怒ると怖い。乙弥は一度正月の宴席でつかさと優介ゆうすけがきょうだい喧嘩をしているところを見たことがあるが、優介が完敗し柱にはりつけにされていたのをはっきりと覚えている。


「それよりも木戸乙弥と邑木花道がふたりを探しに行った方が早い。邑木環と手奈土美卯をさらったのは人間ではなくモノノケだ。帝京タワーの近くにモノノケが張った結界とこちら側の接点がある。日が暮れるまでには見つかるはずだ。早く探しに行った方がいい」


 一方的にまくしたてて、剣は踵を返して屋敷を出ようとする。


「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ!」


 乙弥が慌てて引き止めると、剣は気だるげに振り向いた。


「なんだね、まだ何か聞きたい事でも?」


「そうじゃなくて、そこまで分かってるならどうして一緒に探してくれないんですか?」


 モノノケの結界がある場所が明確に分かっているのは現状剣だけだ。捜索をするなら乙弥たちだけで探すよりも剣も参加した方が効率がいい。


「……私が視た未来に私はいなかった。そして、私が視た未来は必ず現実のものとなる」


「えーと……つまり、どういうことですか?」


 乙弥が首を捻るのを見て、剣は深いため息をつく。


「詰まるところ、私が君に同行せずとも手奈土美卯らを救出する未来は揺るがないという事だ」


 相変わらず意味がわからなさそうにしている乙弥を見かねて、衛が2人の間に割って入る。


「あのですね、剣さんの未来視はこれから起こること全てではなくて、ある出来事の結果――今回であれば乙弥さんたちが美卯さんと環ちゃんを助けることが結果ですね――を視るものなんです」


 乙弥は手奈土家の屋敷で見た鏡子の千里眼を思い起こす。あれはテレビの生中継のように今別の場所で起こっていることを視る能力だったが、どうやら剣の未来視は勝手が違うようだ。


「ただしゴールはわかってもそこに到着するまでの経路はわからなくて、視た結果から過程を考えるしかないんです。それで今回は、そのゴールに剣さんがいなかったから、おふたりだけで美卯さんたちを助けられるって思ったんじゃないですかね」


 衛の説明を肯定するように剣が頷く。2人の様子から察するに、衛は日常的に言葉足らずな剣の通訳をしているのだろう。


「……剣さんの言い分はわかりました」


 剣の言い分は間違ってはいない。剣が参加しなくとも美卯たちを助けられるのであれば、わざわざ大勢で正体の分からない、しかも人を自身の結界内に転移させる能力を持つモノノケに挑むのは悪手だ。


「でも、そうやって最初から諦めないで行動してみたら、もしかしたら未来が変わるかもしれないじゃないですか!だって、まだ起こっていないことなんですし。ね?」


「……私も、未来を変えようと努力はしたとも」


 剣がひどく疲れたような、諦めに満ちた声で呟く。


水面みなも家のお家騒動、手奈土月乃つきの公明きみあき夫妻の死、そして……亨子の出奔。私はその全てを幼い頃に視た。そして、その未来を回避するために何年も前から周囲の大人達に働きかけ続けた。……その結果がどうなったかは、君も知っているだろう」


 乙弥だけではない。ここにいる全ての者が、剣の視た出来事の顛末を知っている。


「それ、は……」


 仮に剣が未来を変えることができていれば、乙弥は今ここにはいないだろう。こんな押し問答をしなくとも、亨子が鮮やかにモノノケを倒して全てを解決してくれたのだろう。

 しかし、現実はそうではない。人心を操り、天地あめつちを動かす力を持ってしても、未来は変えられない。それができるのは神秘の力――すなわち、神だけだ。


「それでも……たとえ未来は変えられなくても、1秒先に起こることぐらいは、がんばれば変えられるじゃないですか」


 乙弥の言葉に、剣がハッと息を呑む。


『剣。未来予知に縛られないで、たまには自分から動いてみたら?未来は変えられなくても、1秒先ぐらいは頑張れば変えられるんだからさ』


 剣の脳裏に、かつて亨子からかけられた言葉が、笑顔が蘇る。未来を視る力を持つ故に心を閉ざし頑なに姉妹たち以外と関わろうとしなかった剣を、幼馴染だった亨子は実の両親以上に案じていた。


(まさか、君に言われたのと同じ事を、君の許婚だった男から言われるとはな……)


 今はもう違う世界の住民となった亨子が、また昔のように背中を押してくれたような、そんな気がした。


「……気が変わった。私も同行しよう」


「え!?いや、嬉しいですけど……なんでいきなり?」


 亨子の太陽のような正しさに近しいものが、乙弥の中に確かに存在する。ならば今度こそ、その太陽が翳らぬように、けして道を踏み外さぬように導かなくてはならない。


「ただの気まぐれだよ。気にしないでくれ、乙弥」


「な、なんでいきなり下の名前だけで呼ぶんですか……??」


(彼ならばなってくれるかもしれない。夜毎悪夢に視る未来――東京の街が焦土と化す未来を変える、あの光の主に……)


 ただひとり未来を知る者の思惑をよそに、神隠しのモノノケとの戦いが幕を開けた。

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