第14話 連休短し走れよ少女

 人でごった返す東京駅を、ひとりの少女が歩いている。少女はスポーツキャップを目深に被り、どこか人目を気にするように周囲を見回しながら人混みをかき分けていく。


(ここで誰かに見つかって京都に帰されたらここまで来たんが全部水の泡や。知り合いに会わへんように、慎重にいかんと……)


 少女の名前は手奈土てなづち美卯みう五行家ごぎょうけの一角、京都を拠点とし関西全域の言霊師ことだましをまとめる手奈土家の当主である。美卯はとある目的のために家出を決行し、京都からはるばる東京へとやってきたのだ。

 きっかけは2年前の8月、両親の遺言によって美卯が手奈土家当主になったことだった。言霊師としての能力が高い次女れんではなく美卯が当主に指名されたことで、葬儀に出席していた手奈土家の分家は大いに荒れた。


「なんで旦那さんは蓮ちゃんやのうて、あんなモノノケとも戦えん出来損ないを当主にしはったんやろか」


「おかみさんも旦那さんも、カタワで産まれてきた美卯ちゃんをようけ可愛がっとったからなぁ。馬鹿な子ほど可愛いっちゅう贔屓目やろ」


 低体重かつ早産児だったためか、両親は10ヶ月違いの蓮よりも美卯に気を配っていた。両親は手奈土家が所有する学校の経営で忙しく家にいることは少なかったが、たまに帰って来た時は真っ先に美卯の体調を気にかけてくれた。

 だが美卯は知っている。両親が美卯に家を、手奈土家の事業を継がせたのは、言霊師ことだましの才能がある蓮を東京での後進育成に専念させるためだということを。本当に両親が期待していたのは、自分ではなく姉であることを。


「こいさんが大人になるまで学校の経営は足奈土家うちらがやりますさかい、きちんと大学出てゆっくりご当主様になればよろしおす」


 有力分家の足奈土あしなづち家に婿入りした叔父が成人するまでの後見人を引き受けてくれたが、その叔父に両親の真意を伝えてもまともに取り合ってはくれなかった。

 周囲の親戚たちは誰も自分の言葉を聞いてくれない。かといって死人が物申すこともない。15歳の美卯には、口さがない親戚の悪口を聞きながらただ粛々と喪主の仕事をすることしか許されなかった。


「当主様なんて言って、こんなん貧乏くじやないの」


 美卯がぼやくと、隣にいた蓮に小突かれた。


「あのね、分家の人たちは私たち本家の事業に出資してくれる大事なスポンサーなのよ?あんたは愛想しか取り柄がないんだから、分家の方々には愛想良くしなきゃダメじゃない」


「……せやね。蓮ねえさんの言う通りやわ」


 美卯は蓮が好きだった。美卯のやることの問題点を見つけてくれたり、新しい服を買うたびに古い服をくれる気前の良さに憧れていた。


(蓮ねえさんが好きなようにやれるんやったら、貧乏くじなんかなんぼ引いてもかまへん。蓮ねえさんのためやったら、当主になってもええ)


 蓮は両親に大事にされている美卯が嫌いだった。美卯がやること全てにいちゃもんをつけて、似合わない服を着せて陰で笑い者にしていた。


(私が当主になればもっと上手くやれるはずなのに、なんで美卯なんかが当主なの?ああ、憎たらしいったらありゃしない!)


 斎場にいる人間は皆、美卯を当主として支える気などなかった。誰もがいかにまだ年若い美卯をだまくらかして、自分の取り分を増やすことしか考えていなかった。ただ美卯だけがこの世に2人だけの血のつながった家族を、金崎に嫁入りしたさきと隣にいる蓮を、盲目的に信じていた。


「蓮ちゃん。御本家様が来はったから、御本家様用の香典返し持ってきてや」


 玄関から叔父の声がして、美卯は慌てて玄関に向かった。


「遠いところ、わざわざありがとうございます」


 五行家の本家にあたる四神家のさらに上、霊者の総本家である瑞獣ずいじゅう家の人間には特に失礼のないようにしなければならない。香典返しは分家に渡す物よりも高価な物を渡し、手奈土家本家の人間よりも上座に案内する。叔父に言われたことを反芻しながら、美卯は深々と頭を下げて挨拶をした。


「どうかそうかしこまらずに。顔を上げてください」


 御本家様に促され、美卯は恐る恐る顔を上げる。


「申し遅れました。私、おおとり大仁ひろとと申します。この度は誠にご愁傷様でごさいます……心中、お察しいたします」


 そこにいたのは、美卯とさほど歳の違わない少年だった。日に照らされて光る茶色の髪、スッと通った鼻筋、穏やかな印象を与える目元、そしてこちらを見透かすような色素の薄い瞳。真夏だというのに真っ黒な学ランを着込んでいるのも相まって、思わず姿勢を正してしまうような雰囲気をまとっている。


(まだ学生さんやろうに、えらいしゃんとしてはるわ……ひとりでは何もできんうちとは大違いや)


「立ち話もなんですし、どうぞお上がりください」


 美卯が大仁を屋敷内に案内しようとした時、ちょうど蓮が奥から香典返しを持ってきた。


「あら。美卯、御本家様と並ぶと兄妹みたいね。あんた私たちと似てないし、もしかしたら本当は御本家様の家の子なんじゃない?」


 蓮は冗談半分で言ったのかもしれないが、その何気ない一言は美卯をひどく動揺させた。

 他の姉妹や両親とは似ても似つかない栗色の髪。自分にだけやたらと優しくする両親。そして自分の目の前にいる、自分と同じ髪と瞳の色をした御本家様。それらの要素は思春期に誰しもが一度は持つ不安を駆り立てるには充分だった。

 当主に相応しい強い子を産むために強い霊者の種を求めることは言霊師の家系では珍しいことではない。美卯の本当の父親が御本家様ならば、両親が美卯を当主に選んだのは美卯ではなく美卯の持つ御本家様の遺伝子に期待していたからだと説明がつく。

 「自分は両親の娘ではないかもしれない」――両親の死から2年が経った今も、あの葬式の日に美卯の心に芽生えた疑念は深く根を張っている。


(東京におる御本家様に会うて、DNAを調べてもろて、おたあさんの潔白を証明する。そやないと、うちは一生おたあさんに顔向けできひん)


 実際にはDNA鑑定にかかる費用は中学生がそう簡単にできる金額ではないのだが、美卯はそんなことは知らない。


『本当にそれだけ?』


「まあ、せっかく東京来たんやし蓮ねえさんにも会いたいけど――」


 問いかけにそう答えたところで、美卯ははっと振り向いた。いつの間にか、東京駅の雑踏に逆らうように金髪の女子高生らしき人物が後ろに立っていた。


『あなた、なにか逃げ出したいことはない?』


 女子高生が美卯に問いかける。


「……それは……ない、とは言えへんけど……」


 美卯の頭の中にさまざまな心配事がよぎる。手奈土家のこと。学校のこと。言霊師としての責務。当主としての責務。そして――降って湧いた、歳上の許婚。


『それだね。あなたがいちばん逃げ出したいこと』


(考えを読まれとる!?しもた、こん人は……)


 女子高生が狐のように目を細め、にっこりと笑う。


『あなた、カガリビケンとの結婚から逃げたいのね?わかった!それじゃあ、連れてってあげる!嫌なことが、なーんにもない場所に!』


 とっさに上着のポケットから呪符を取り出したが、時すでに遅し。通路の真ん中に突如現れた鳥居が、美卯を引きずり込む。


(モノノケ……ちゃう!この霊力は……の……)


 美卯が鳥居の内側に完全に飲み込まれると、鳥居も女子高生も、まるで最初からなかったかのように消えた。周囲の人々は、突然現れた鳥居も消えた少女たちも知る由はない。多くの人にとって、見えないものはないのと同じなのだ。

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