第12話 乙弥の煩悶

「本当に帰られるのですか?お疲れでしょうし、一晩ぐらい泊まっても」

「明日も仕事なので……すいません」

 今日中に東京に帰るという乙弥おとやを、つかさは仙台駅構内に店を構える牛タン専門店に案内した。

妃奈月ひなつも残念がっていましたよ。いたく乙弥殿を気に入ったようで。『おおきくなったらおとやおにいちゃまとけっこんする!』などと言っていました」

 乙弥の脳裏に、娘でもおかしくないくらいに小さな少女の姿が浮かぶ。

「あはは……あと10年ぐらい結婚相手が見つからなかったら検討しますよ」

 分厚く切り分けられた牛タンがテーブルに置かれる。乙弥は両手を合わせいただきます、と小さく呟いてから牛タンを口に運んだ。焼肉屋で食べる薄切りの牛タンとは違って、噛むたびに肉の旨みが口いっぱいに広がる。

 歯応えのある肉片を飲み込み、乙弥は見合い結果をつかさに伝えるために口を開いた。

「……あの、」

「分かっております。真白ましろのことはわたくしも承知しておりましたから」

 そう言った声色には驚きや落胆はなく、むしろそうなって当然という調子であった。

「じゃあ、真白さんがその……同性愛者だって知ってて、僕とお見合いさせたんですか?一体なんのために?」

 乙弥の問いかけにつかさが答える。

胡蝶部こちょうべは東北……いや、日本随一の霊媒師一族です。水面みなも本家とも親交が深い家でありますし、いつまでも嫁に行かぬ娘など置いておいては家の面子にも関わる、といった所でしょうね」

「め、メンツ……?そんなくだらない理由で、自分の娘を無理矢理お見合いさせたんですか」

 乙弥の実家――木戸家には現当主の生い立ち故に面子にこだわらない者が多く、むしろ分家の人々の方がそういったものを大事にしている。そんな環境で育った乙弥にとって、胡蝶部家の考え方は到底納得できないものであった。

「……それに、真白の秘密を知っていたとて、嫁である私が家同士の話にどうして口を挟めましょう」

 どこか諦めを感じるつかさの物言いを、その悲しさを、乙弥は知っている。

「つかささん」

「乙弥殿が気に病むことはありません。……これは、水面家と胡蝶部家の問題ですので。ささ、早く食べてしまわないと新幹線に乗り遅れてしまいますよ」

「あ!そうでした、すっかり忘れてた!」

 つかさに促されて牛タンと白飯を急いでかきこみ、乙弥は慌ただしく駅のホームへと走っていった。

 座敷席にひとり残されたつかさは、乙弥の残した皿を片付ける。

「乙弥殿は言霊師としてはあまりにも優しすぎる。だが……」

 片付けの手が止まる。つかさの脳裏には、見合いが終わった後に真白が見せた晴れやかな笑顔が鮮やかに焼き付いていた。

(もし彼が当主の座に付いたのならば、その優しさはきっと多くの人を救うだろう。真白が、彼に……木戸乙弥に救われたように)

 

******

 

 新幹線の車内でぼんやりと車窓を眺めながら、乙弥は今日一日のことを思い返していた。

 水面家のこと。真白のこと。そして、水面家当主として慕われていた大樹だいきのこと。

(僕よりも霊力が少ない大樹さんだって一生懸命頑張って、当主の役目を果たしてる)

 車輌が長いトンネルに入る。小さな車窓に乙弥の顔が映り込んだ。

(それに比べて、僕は……)

 瑞獣家にも勝るとも劣らないと評される父と違って、霊力が多くないためにひとりではモノノケ調伏もままならない。かといって霊力不足を補うために武芸の鍛錬に時間を割くわけでもなく、漫然と日々仕事とモノノケ調伏を繰り返している。

(情けない。大樹さんよりも恵まれた環境にいるのに、僕はそれに甘えてダラダラと過ごしているだけじゃないか!)

 乙弥は頭をかきむしった。

(……父さんも姉さんも、何を考えてこんな僕を東京に送り出したんだろう。モノノケ調伏だけなら姉さんの方が適任のはずなのに……)

[まもなく終点、東京です。東海道新幹線、山手線――]

 はっと我に帰ると、新幹線の車窓から駅のホームが見える。考え事をしているうちに東京駅に着いたようだ。

 新幹線を降りて改札機を通る。奥多摩にある火村ほむら屋敷に帰るにはここからさらに地下鉄と在来線を乗り継ぐのだが、乙弥はなんだか屋敷に帰る気分になれなかった。

(前行ったお寿司屋さん、この時間にやってるかな……)

 そんなことをぼんやりと考えながら駅を出ると、見知った顔が駅の前に佇んでいた。

「あれ?もしかして、ネコさんじゃないですか?」

 乙弥が声をかけると、小さな背中がビクッと跳ねる。慌てて振り返った顔は、確かに先日群平ぐんぺいが連れていた少女だった。

[こんばんは、きどさん。お仕事帰りですか?]

 挨拶代わりにスマートフォンを操作して画面を乙弥に向ける。言葉を話せないネコが会話をする際のやり方だ。

「いえ。今日は休みで……ちょっと、仙台まで」

[この前話していたお見合いですか?]

 ネコが小首をかしげる。

「はい。ところで、ネコさんはどうして東京駅まで?」

[群平さんのお仕事が終わるのを待っていました。今日はお仕事が終わったら私を連れてお買い物に行くとおっしゃっていたので。]

「そうですか……」

 2人の間を冷たい風が吹き抜ける。ベージュのコートを着ているとはいえ、このまま外で長時間待っていては風邪をひいてしまうかもしれない。

「……あの。ここで待ってるのもアレですし……中でお茶でもしませんか?」


******


 東京駅構内にあるコーヒーチェーン店に入ると、店内は若い女性で賑わっていた。通り過ぎる人の手には桜をイメージした生クリーム山盛りのフラッペが収まっている。

「僕はホットカフェラテをトールで。ネコさんはどうしますか?」

[同じものでお願いします]

 メニューを見ずに注文したネコは、席を探しに向かう。代金を渡すように催促するのも気が引けたので、乙弥は2人分の代金を支払いカフェラテを受け取って席についた。

「どうぞ。熱いので気をつけてくださいね」

 カフェラテを両手で慎重に受け取り軽く会釈をすると、ネコは小銭をトレーの上に置いた。

[お金払うの忘れていました。ごめんなさい。]

「構いませんよ?元々僕が払うつもりでしたし」

 ネコの手に小銭を握らせ、乙弥もカフェラテに口をつける。少し熱いぐらいだったが、長時間外にいたネコにはちょうどいいだろう。

[そういえば、お見合いはどうだったんですか?]

「……実は、お相手に振られちゃいまして」

 嘘は言っていない。表向き縁談を断ったのは乙弥の方だが、実際には真白に想い人がいたから身を引いたのだから。

「それでちょっと、ネガティブになっちゃいまして。仕事もなんか気まずくて、婚活も上手くいかなくて……僕なんか、東京に出ないで田舎で大人しくしてれば良かったんじゃないかって」

 熱い紙コップを握りしめた乙弥の手に、ネコの白く小さな手が重なる。

[悪い事があった時に、自分が今までやってきた事や自分自身を否定してはだめです。そう言い続けていたら、本当に価値のない人間になってしまいます。]

 差し出されたスマートフォンの画面上部にSMSの通知がポップアップした。宛先は『いぬい群平』となっている。

「あの、群平さんから連絡来てますよ」

 乙弥に指摘されて初めて気づいたのか、ネコはスマートフォンを操作してメッセージを確認する。

[お仕事が長引くらしいので、私は先に帰ります。コーヒーごちそうさまでした。では、お先に失礼します。]

 ネコがぺこりと頭を下げて店を出る。乙弥はネコを目で追っていたが、小さな背中はすぐに雑踏の中に消えてしまった。

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