第11話 白い鴉

 水面みなも屋敷の中には、仙台市街地を一望できる部屋がある。その部屋は普段客間として使われているが、その日はいつもとは異なる様相であった。

 真新しいものに張り替えられた畳。一点の曇りもなく磨き抜かれた窓。部屋の中央に置かれた黒檀こくたんの座卓には三陸産の海産物がふんだんに使われた豪勢な料理が所狭しと並んでいる。

 しかし、乙弥おとやはとても料理に箸をつける気にはなれなかった。


(うう……のうがわるう具合が悪くなりそうじゃ……)


 原因は目の前に座っている女性だ。藤色の振袖に身を包み長い黒髪をかんざしできつくまとめていて、日本人形を思わせる見た目をしている。


「初めまして。私、胡蝶部こちょうべ真白ましろと申します。本日はお時間をいただきありがとうございます」


 互いに様子をうかがっているうちに生まれた静寂を、真白の声が破る。


「は、はじめまして!僕……じゃなかった。私は、木戸きど乙弥、です!こちらこそ、よろっ……よろしくお願いしますっ!」


 物思いにふけっていた乙弥も慌てて挨拶を返した。緊張で喉が張り付き、声が裏返っている。


(うわーっ失敗した!男性から挨拶をするのがマナーだってどこかで読んだ気がする……)


 自己紹介の失敗を誤魔化すように、乙弥はスーツの襟を正した。


「どうかそう固くならず楽になさってくださいな。お見合いという体ではございますが、私の嫁入りは決定しているようなもの。本家の嫡男との縁談を、分家も分家の私がどうして断れましょうか」


「いや、でも、僕は、できるだけお相手の意思を尊重したいので……本音で話していただけると……」


 もごもごと口ごもりながら、乙弥は真白の方をみやる。この部屋に入ってきてから笑顔を崩していないうえに声色も変わらないため、一切感情がわからない。

 このままでは埒が明かないと、乙弥が話題を切り出した。

「えーっと……ご趣味は?」


「ございません」


「お、お仕事、とかは……?」


「畑仕事と家事手伝いを」


「……異性の、好み、とか……」


「ございません」


 乙弥の質問に真白は機械的に答える。早く終わってほしいという思いが伏し目がちな表情と言葉尻から滲み出ている。


「あの、怒ってます……?」


「いいえ。ただ、何を申せば良いのかわからぬだけでございます。今日のお見合いだって兄様の仕事のついでですし……」


 真白が言葉を切り、窓の外を眺める。


「仕事?」


「はい、霊媒師の仕事です。胡蝶部家の家業でございます」


「霊媒師、っていうとイタコみたいなものですか?」


「いえ、イタコとは少し違います。胡蝶部こちょうべの秘術――死者の口寄せは嫡男にしか継承されません。ですから女は村の中で畑仕事と家事手伝いをし、16になれば皆嫁に出るか婿を取ります。18にもなって村で独り身なのはもう私だけ…-兄が家を継いだからには、私には嫁に出る他ないのです」


 黒目がちな瞳が揺れている。膝に置かれた両手が硬く握りしめられて白くなっているのが見えた。


「真白さん。何か、僕に隠していませんか?」


「え……」


 虚をつかれたようで、真白の張り付けたような笑顔が崩れる。


「いやよく知らない人と結婚しなきゃならないのが嫌なのはもちろん分かるんですけれども!その、なんか、話を聞いていると、本当は村を離れたくないんじゃないかと思って」


「別に、そのようなことはありません」


「……大丈夫ですよ。ここで話したことは、僕とあなたしか知りません」


「そんなに知りたいのなら言霊を使えばいいでしょう。貴方様程の霊者れいじゃならばただ一言、『隠している事を全て話せ』と命ずれば済みましょう」


 真白のぶっきらぼうな返答に乙弥が頭をかく。


「そういうのはしたくないんです。むりやり人の秘密を暴くのって、その人を傷つけてしまいそうで」


 そう言った乙弥の顔は至って真面目で、真白は思わず笑みをこぼした。


「え?僕、なんか変なこと言いました!?」


「いえ、いいえ。何もおかしな事はありませんわ」


 真白がすっかりぬるくなった緑茶を啜り、細く息を吐いた。先程よりも柔らかくなった表情からは年相応のあどけなさが感じられる。


「……村に、密かに思いを寄せている方がいるのです。されどもそれをお伝えする事は許されない。なぜならその方は胡蝶部家と共に村を治めるもう一つの家、蜂須賀はちすか家の当主であり――私と同じ、女だから」


「えっ、じゃあ……」


「はい。貴方様がお察しの通り私は殿方とのがたを愛せぬ身。……同性愛者、というやつです。けれども両親は何度言ってもそんなものは気の迷いだ、一度やれば男が好きになる、と執拗しつように見合いを勧めてくるものですから、仕方なく見合いをしているのでございます」


 言葉を絞り出すような言い方から、彼女が閉鎖的な村でどんな言葉を浴びせられてきたのかが窺い知れる。


「……すいません。つらいことを言わせてしまって」


「構いませんよ。私も、いつまでも隠し通せるものではないと思っていたので」


 真白の表情は、憑き物が落ちたように晴れやかだった。


「水面の方々には、僕の方から角が立たないように言っておきます。だから、真白さんは、『自分の気持ちに嘘をつかないで』『ありのままで生きてください』」


 乙弥が言霊を込めて、真白へのエールを贈る。


「っ、誠に、ありがとうございます……!」


 そう言う真白の声は、かすかに涙ぐんでいた。


******


 2人が屋敷の外に出ると、妃奈月ひなつがネコを抱えて駆け寄ってきた。


「おとやおにいちゃま!ね、ね、おみまいどうだった?」


「お見合い?それがね、振られちゃったんだ」


「そーなの?みるめないのね、おにいちゃまかっこいーのに」


『ま、こんなアマちゃんに真白は任せられねーわな』


 他愛もない話をしていたら突然妃奈月が抱えていた黒猫が男の声で喋り出し、思わず乙弥は飛び退いた。


「ね、猫が、しゃべったぁ!?」


からす兄様!お戯れが過ぎます!」


「にいさまぁ!?」


 そのうえ真白は黒猫を兄と呼ぶものだから、乙弥はすっなり混乱してしまった。


『すまんな。今は水面の旦那と仕事中なもんで、ちょいとその辺の動物の体を借りて妹の様子を見にきたんだ』


「仕事って、霊媒師でしたっけ?でもなんで大樹だいきさんと?」


 乙弥の問いかけに黒猫(の体を借りた鴉)がため息をつく。


『お前、今日が何日か分かるか?』


「何日って……3月11日、ですよね?それが何か……」


『たった4年前の震災も知らんのかこのボンボンクラ!』


「震災……ああ!そういえばありましたね!福島とか宮城とか大変だったってニュースでやってました」


「ととちゃまね、まいとしうみにいってするの。おひるからあさまでずーっと」


『正確には地震が発生した14時46分から次の朝日が昇るまでの間、な。流されちまった人間は死を自覚できずモノノケになりやすいから、毎年この日に合わせて水面家当主として慰霊の祈りを捧げんのよ』


「え、でも」


 普通のモノノケでさえつかさの力を借りなければ倒せない大樹に、そんな大掛かりな術を使える霊力はないはずだ。


『ボンボンクラの言いたいこたぁ分かる。だから降霊のプロである俺が力を貸してんのよ……他人の力を借りてまでも、水面家当主の務めを全うしてんだ。あの人はすげえ人だよ』


 乙弥は何も言えなかった。五行家の人間――いや、言霊師として、自分があまりにも情けなく思えて仕方がなかった。

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