春:春が来た どこに来た
9話 新しい出会い
3月。東京の街でも桜が咲き始める季節。誰もが浮き足だってしまうような季節。そして――
「もうやだぁ〜〜〜!高知に帰りたいよ〜〜!!」
年度末。どの業界でも繁忙期と呼ばれる季節でもある。
新卒1年目の
「おうおう、随分と荒れてるじゃねえの」
「い、
座敷席でグダグダしていたところに
「『群平さん』で構わねえよ。あんまし肩肘張ってちゃ疲れちまうだろ?」
群平が革靴を脱ぐために屈むと、後ろにもう1人誰かいるのが見えた。群平より小柄だから影に隠れて見えなかったのだろう。
「あの、そちらの方は?」
「ん?……ああ、知り合いの子だ。ほれ、こっち来な」
群平に促されて、小柄な女性が襖の影から顔を覗かせた。外側にはねたボサボサのショートヘアと化粧っ気のないまろ眉が垢抜けない印象を与えており、枯れ枝のように細い手脚も相まって中学生ぐらいに見える。
「こんばんは、僕の名前は
猫のような瞳がおずおずと乙弥の方をうかがっている。警戒されているのか、乙弥が手を伸ばすとさっと群平の後ろに隠れてしまった。
「悪いね、いつもはこんな風じゃないんだが」
女性はコートのポケットからスマートフォンを取り出して何かを操作し、画面を乙弥に見せる。
[はじめまして。わたしは言葉を話すことができないので、これを使って会話をさせてください。]
「わかりました。では改めて、あなたの名前を教えてくれますか?」
女性は少し考えたこんだ後、再びスマートフォンの画面をタップする。
[ごめんなさい。名前、教えてはいけないと家族から言われています。あなたの好きなように呼んでください。]
(名前を教えちゃいけないなんて……防犯意識がものすごい高いのかな?それかものすごーく有名な人の家族とか。『人に何か尋ねる時は必ず名乗れ』って教えられる
「えーっと……じゃあ、なんか猫みたいだから、ネコさんなんてどうですか?」
乙弥が明るい笑顔で提案する。横では群平が笑いを噛み殺して肩を震わせている。
しばらく女性はあぜんとしていたが、乙弥の真剣な表情に堪えきれずに吹き出してしまった。口元に手をやりながら声を出さずに笑っている姿に育ちの良さを感じる。
「えーっと、それじゃあ……よろしくお願いしますね、ネコさん」
[はい。こちらこそよろしくお願いします。]
「失礼いたします。こちら、きじま特選寿司3人前です」
2人の顔合わせが済んだタイミングで、寿司の乗った下駄がとアガリが人数分運ばれてきた。マグロなどの定番のネタと並んで旬の赤貝、サワラ、ハマグリ、ホタルイカなどがずらりと鎮座している。
「おっ、ホタルイカたあ珍しいね。ありがたく頂こうか」
「はい。では……いただきます!」
3人は手を合わせて、各々寿司を口に運んだ。
******
「そういや、この前会ったときに『自分がどんな家庭を築きたいか考えろ』って言ったなあ」
「はい」
「あれから2ヶ月経ったが、答えは出たかい?」
群平が乙弥に問いかける。
「僕は――」
乙弥はまだ、納得のいく答えを出せていない。
五行家だけで見ても
それでも、たったひとつだけ乙弥のなかで譲れないものはある。
「誰かがつらい思いをするような家庭はいやです。今は、それ以上はまだわからない、です……」
「なぁに、世間知らずのボンボンが考えたにしちゃあ上出来よ」
群平がニヤリと片頬で笑う。その笑い方は、乙弥の父親に少し似ている気がした。
「あ!そうだ一応乾――じゃなくて、群平さんにも報告しておきますね」
寿司を食べ終えた乙弥は鞄から携帯電話を取り出し、画面に写真を表示する。藤色の振袖を着た若い女性の写真だ。
「おまえさん、コレ――」
「そう!お見合い相手、つかささんが紹介してくれたんです!なんでも青森の……こちょうべ?っていう水面の遠い分家の人らしいんですって。いや〜〜、捨てる神あれば拾う神ありってやつですね!」
[よかったですね。]
「ただ……」
先程まで満面の笑みを浮かべて浮かれまくっていた乙弥であったが、急にしょんぼりとしてしまった。
「お相手の都合で、来週の平日ど真ん中に有給取って仙台まで行かなきゃならないんですよね……金曜日に上司に有給申請したらすっごい嫌そうな顔されて『名家の長男はいいよな。自分で探さなくても勝手に結婚相手が用意されて』って嫌味言われました」
「そりゃあ災難だったな。あー、来週の平日ど真ん中ってえと……」
群平が頭の中でカレンダーをたどっていると、乙弥がすかさず携帯電話のカレンダー機能を開いて答えた。
「3月11日。来週の水曜日です」
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