第7話 回想4:花盛りの君へ

 真冬の日本庭園に、銀色の九節鞭くせつべんがきらめいている。

 優介ゆうすけが鞭を持つ手を振り上げるたびに地面がえぐれ、庭石が砕け、庭木の枝が飛ぶ。

 しかしその度に乙弥おとやの体が宙に舞い、バク転で鞭をかわし、砕けた庭石を弾き、飛んでくる枝を脚で跳ね除ける。


「ちっ!ちょこまかと、猿かお前は!」


 優介が乙弥の動きを封じようと、鞭を振りかぶる。


「『枝葉よ、あるべき場所に帰れ』!」


 乙弥が叫ぶと、飛び散った枝が優介に襲いかかった。無数の枝が鞭を弾き飛ばし、元あった木に戻っていく。


「いっ、てぇ……!このっ……浅葱袴の分際で……!『羅刹!乙弥の首に巻きつけ!』」


 弾き飛ばされた鞭が空中で静止し、乙弥に向かって飛んでくる。


「しまっ……ぐっ!」


 鋼の鞭が首に巻きつき、乙弥の気道を塞ぐ。

 なんとかして引き剥がそうとするが、鞭は取ろうとすればするほど生き物のようにきつく締め上げる。


「はあっ、はあっ……いくら草木を操れるといっても、声が出せなきゃ意味ないだろ!さあ、ひざまずけ!這いつくばって、俺に逆らったことを後悔しながら死ね!!」


「ぐ、が……は」


 乙弥の体が力なく傾き、膝から崩れ落ちる。なおも優介に向かっていくが、庭に生えている桜の樹の根につまづいて地面に倒れてしまった。


「もうやめてください!」


 広間で決闘を見ていたさきが叫び、一目散に優介の元に駆け寄った。


「乙弥はんはなんも悪うない!うちが、うちが全部悪いんです!せやから、殺すんやったらうちを……ああっ!」


 自分の脚にすがりついて懇願こんがんする咲を、優介はなんの躊躇ためらいもなく蹴り飛ばした。


「うるさい!嫁の分際で、当主のやることに口出しするな!」


 決闘相手である乙弥が倒れたことで行き場をなくした優介の怒りの矛先が咲に向かう。


「霊力もなければ胸も学も金もない、家柄と顔とマンコしか取り柄のないお前を食わせてやってんのは誰だと思ってんだ!ああ?俺のガキ孕んだだけで一丁前に正妻ヅラして!俺に意見しやがって!亭主のいないうちに他所よそ言霊師ことだましに媚び売って何しようとしてたんだ?あ?おら、言えよ!早く!」


 鳩尾を蹴り上げられて倒れている咲の顔を、脚を、胸を、容赦なく踏みつける。


「答えられないなら、お前も、腹の中にいるガキも、今ここで死ね!」


 優介が咲の腹を踏み潰そうとした瞬間、飛んできた槍が脚を貫いた。


「ぎゃあああ!!この、槍は……乙弥……!」


 乙弥の霊器れいき木枯こがらし」。刃まで真っ青なその槍が、優介の蛮行を阻む。


「……そりゃあ、なんぼゆうたちいかんちやいくらなんでも駄目ですよ


 乙弥が、首から引き剥がした鞭を握りしめた。左手からは血が滴り落ちている。


「わしをしでる殴るんはなんぼでもえい。けんど、なんも悪うない咲さんをしでるんはいかんぜよ」


 鞭を放り投げ、乙弥が懐から呪符を取り出す。

 優介が鞭を取りに行く間もなく、真っ白な呪符に赤い血で文字が書きこまれていく。


「『掛けまくもかしこ伊奘冉大神いざなぎのおおかみ筑紫つくし日向ひむか橘小戸たちばなのおど阿波岐原あわぎはらみそぎはらたまいし時にせる祓戸はらえど大神等おおかみたち諸々もろもろ禍事まがごとつみけがれ有らんをば祓え給え清め給えともうす事を聞こしせとかしこかしこみももうす』」


 乙弥は祓詞はらえを唱え終えると、今度は血で書いた呪符を桜の樹に押し当てて再び祝詞のりとを唱えた。


「『手奈土てなづち屋敷の桜の樹におわします神よ、祓え給え清め給え、神ながら守り給え、幸い給え』」


 桜の樹が乙弥の言葉に応えるように光り輝く。


「『願わくば、草祖神カヤノヒメの名を借りて、ここに顕現し給え』!」


 光は形を変え、美しい和服姿の女性になった。そして――


「咲を泣かせたんはあんたか!」


 桜の樹の神――カヤノヒメが、優介を思い切りビンタした。


******


「な、何がどうなってるんですか!?」


 決闘の見届け人をしていた大樹だいきが叫ぶ。


「ああ、大樹さんは見るの初めてだっけね。乙弥はねえ、世にも珍しい言霊師ことだましのモノノケつかいなんだよ」


「も、モノノケ遣いって……モノノケを操る、外道げどうの術じゃないですか!普通なら勘当かんどうですよ!?」


 言霊師を含めた霊者のなかでも、その力を私利私欲のために使う者を「外道」と呼ぶ。

 外道に堕ちた者は勘当ののち処刑・調伏するのが霊者のしきたりだ。


「乙弥は外道とは違うのさ。外道はモノノケをモノノケのまま操るが、あの子はモノノケに神様の名前をつけて『力を貸して』もらうのよ。だから、今あそこにいるのは本物の鹿屋野比売カヤノヒメ神じゃなくて、名前を借りただけの桜の樹の霊さね」


「か、勝てるんですかね?ただの植物霊で、優介くんに」


「さあて。あとは神のみぞ知る、さ」


 大樹の問いかけに、甲子こうこは笑って答えた。


******


「咲を泣かせる奴は、お天道様が許してもうちらが許さへん!」


 カヤノヒメのビンタで吹っ飛んだ優介の体に、庭木が絡みつく。手足を思い切り引っ張られ、ゴキンと嫌な音を立てて関節が脱臼する。


「うぎゃあああ!死ぬ、死ぬ〜〜!」


「死なん死なん。大げさやなあ」


 大の字で動けなくなった優介の股間に、容赦なくカヤノヒメの蹴りが飛んでくる。


「〜〜〜っ!!」


「咲はなあ、小さい頃からうちらに優しくしてくれて、雨の日も、風の日も、雪の日も、うちらの事を気遣ってくれとったんや。咲が虫食いに気づいてくれたおかげで枯れんで済んだ奴らもぎょうさんおる。こないな優しい、気立てのええ子を捕まえといて『顔しか取り柄のないアホ』とは、あんたの目は節穴かいな!このアホ!!」


 痛みで気絶しそうになる優介に、更なる金的の追撃が襲いかかる。もはや叫び声すら出せなくなった優介の胸ぐらを掴み、カヤノヒメは啖呵を切った。


「耳の穴かっぽじってよう聞けアホンダラ!咲はうちらの大事な友だちや!咲のこと幸せにできへんようやったら、あんたがどこに居てもうちが必ず見つけてキンタマ捻りつぶすさかい、覚悟しとき!!」


 カヤノヒメの強烈な左アッパーが優介の顎にクリーンヒットする。

 優介の体は宙を舞い、そのまま池に転がり落ちた。


「そこまで!し、勝者、木戸きど乙弥!……あと、早く優介くん助けてあげて。溺れちゃうから」


 広間で観戦していた面々が、池から優介を引き上げる。優介は白目を剥いて気絶していた。


「咲」


 倒れている咲にカヤノヒメの手が差し伸べられる。


「……ありがとう。うちなんかのために」


「何言うてんねん!咲はうちらみんなの命の恩人さかい。こんなんで恩を返せたとは思うてへんよ」


 咲を抱きしめようとした手が、空を切る。カヤノヒメの体は、再び光の粒に戻ろうとしているのだ。


「っ、桜さん!」


「気にせんといて。木戸のぼんの力を借りてヒトの形になっとったんが、また物言わん庭木に戻るだけや。……なあに、うちらはずーっと京都ここにおるさかい、つらくなったらいつでも戻ってきいや。愚痴ぐらいは聞いたるわ」


 カヤノヒメの体が光に包まれる。もう限界が近い。


「咲、元気でな!あんなアホなんか気にせんで、絶対幸せになるんやで!」


 泣きじゃくる咲の頭を最後に撫でて、カヤノヒメは満面の笑みで別れを告げた。

 カヤノヒメの消えた後の庭では、季節外れの桜が満開になっていた。

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