第5話 回想2:怒り心頭に発する

優介ゆうすけ馬鹿バカはどこだ!」


鏡子きょうこが千里眼で視た情報から甲子こうこが「優介、乱交パーティーに行ってるってさ」と優介の姉、つかさに連絡してから数分。

つかさは涼やかな目と端正な顔を怒りで歪ませて手奈土てなづちの屋敷に怒鳴り込んできた。


「まあまあ。今探してるから落ち着いて、つかさ。はいオレンジジュース。好きでしょ?」


 怒り心頭といった様子のつかさを亨子きょうこがなだめる。ジュースを一気に飲み干したつかさが大きなため息をついた。


「全く、あいつはどこまで金崎かんざきの家名に泥を塗れば気が済むのだ……!」


 手奈土てなづちの屋敷の広間には、火村ほむら家当主候補で乙弥おとや許婚いいなずけである亨子きょうことその従者である鏡子、水面みなも家当主の大樹だいきとその妻つかさ、木戸きど家の甲子と乙弥、そして渦中の優介の妻さきが集まっている。


「乙弥はん、お茶でも入れましょうか?」


「いえ、けっこうです。というか、咲さんはなんとも思わないんですか?」


 乙弥の問いかけに、咲が困ったように笑う。


「いつものことですから」


「いつも、って……優介さん、妊娠してる奥さんほっといて、いつも遊び歩いているんですか!?おかしいですよ、そんなの!絶対!」


「誰がおかしいって?」


 咲と乙弥の話しに、いつのまにか帰ってきていた優介が割り込む。オーダーメイドのグレースーツからはきつい香水の匂いと、なにやら甘い匂いが漂っている。


「……優介さん」


「なんだよその目は。言いたいことがあるならはっきり言えば?」


 人を小馬鹿にしたような態度の優介に、乙弥が啖呵をきる。


「じゃあ言わせてもらいますけどね、こんなの、咲さんへの裏切りですよ!」


「はあ?別にこのくらい、どの家の当主だってやってることじゃん。だいたい、ひとりの女にみさお立てなんかしてたらまともに跡継ぎなんて作れないって。一回妊娠したら最低10ヶ月は使いものにならないんだし」


「でも、咲さんを愛してるなら、他の女の人とその、セッ……しようとなんて思わないでしょう!」


 憤る乙弥の訴えを、優介は鼻で笑い飛ばした。


「愛情?そんなものは言霊師の結婚にはいらないだろ。当主の種を、血をつなぐ。結婚はそのための手段にすぎない。だから、お前は人間としては正しいけど言霊師としては間違ってる。言霊師として正しいのは圧倒的に俺の方ってわけ。わかるか?猿でもわかるように言ったつもりだけど……」


 優介のよどみなく流暢りゅうちょうな言い分を聞いた乙弥は、先程よりさらに険しい表情で睨みつけている。


「理解できてなさそうだな。チッ、めんどくさ……」


「あの、乙弥はん。うちやったら大丈夫ですから」


 不倫がバレても悪びれもしない優介を前にして、なおも咲は笑顔を崩さない。


「……咲さんは、なんで、こんなことされても、まだ笑ってるんですか」


 自分が妊娠中に夫が乱交パーティーに参加していたと知ったら、普通なら怒り狂ってもおかしくはないというのに。


「旦那様の言うてることはなんも間違っとらんし、それに、悪いんは、当主になれんような子を孕んでもうた、うちのほうやから」


「……そんな、泣きそうな声で言っても、説得力ないですよ」


 きっと、怒りたくても怒れないのだろう。

 五行家当主の嫁とは貞淑ていしゅくであるように周囲から強制されるものだ。まだ多感な10代のうちに選択肢を奪われ嫁入りせざるを得なかった咲が、怒り方を忘れてしまってもおかしくはない。

 「女なら家に入って男を支えろ」「亭主のすることに文句を言うな」「多少の不貞は養ってもらっているのだから笑って許せ」……乙弥の母は漁で家を空けがちな父の代わりに大黒柱として働いていたが、親戚からいつもそんな言葉を浴びせられていた。

 そして、いつも笑っていた母が親戚に会った日の夜には必ずひとりで泣いていたことも、乙弥は知っている。


「咲さんは、あなたの人形じゃない。ひとりの人間なんです。殴られれば痛いし、献身を裏切られたら辛い。どうして、そんな簡単なことがわからないんですか!」


「『黙れ』!『俺の前に這いつくばれ』!」


 優介が叫ぶと、乙弥はヒザから三和土たたきに崩れ落ちた。

 言霊師の放つ言葉には「言霊」という特殊な力がこもる。言霊のこもった言葉は物質、人心、動植物、さらには自然環境や天候を操ることができる。優介は言霊を使い、乙弥を這いつくばらせたのだ。


「弱い言霊師に価値はない……まあ、女なら子どもを産むぐらいは利用価値はあるか。とにかく、この世界では強い者が正義だ。そして、俺は強い!だから!俺のすることは!正しいんだよ!」


 言霊の強制力で動けない乙弥を、優介は容赦なく足蹴あしげにする。

 虫でも踏み潰すように、何度も何度も、頭を、背中を、手を、脚を、踏みつける。


「弱いくせに!俺に指図するんじゃない!俺は!咲も!お前も!いつだって殺せるんだからな!謝れ!『弱いくせにイキがって申し訳ございません』って謝れ!!」


 手の甲に一撃かかとが入り、嫌な方向に曲がる。それでも乙弥は悲鳴ひとつあげない。


「『やめなさい』!」


 亨子きょうこが優介を制止する。言霊師同士では霊力れいりょくと呼ばれる力が強い方の命令が、より強い強制力を持つ。優介と亨子の力量差はさほど大きくはないが、火克金カはキンにかつの相性があるため金の性質である優介は火の性質を持つ亨子に勝てない。


「ただの口げんかで意地はって死んだら笑いものよ、乙弥。優介も、いくら腹が立ったからって一方的に暴力を振るうのはダメ」


「はっ、火村ほむらの当主様は婿殿むこどのにずいぶんお優しいねぇ」


「あら、なにか間違ったこと言った?」


 乙弥は甲子の肩を借りてようやく立っている状態だ。あのまま蹴られ続けていたら死んでいただろう。

 亨子の正論に、優介は二の句をつげなかった。


「……決闘だ」


「は?」


 乙弥がまだ動く左手をあげ、優介を指差す。

 その声には先ほどまでの優介を諭すような調子とは違い、明らかな怒りの色が表れている。


「金崎優介。僕はお前に……決闘を申し込む!」

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