第4話 回想:お正月は京都に行こう

――まずは自分がどんな家庭を築きたいかゆっくり考えるといい


 群平ぐんぺいに言われた言葉について考えていたら、あっという間に週末を迎えた。


(どんな家庭を、か……そんなこと言われても、僕は木戸家うちのことしか知らないし、かといってさだめさんに聞いたら笑われそうだし……)


 悩みながら屋敷の廊下を歩いていると、誰かが後ろからぶつかってきた。


「あっ、すいません……って、なんだ優介ゆうすけさんかあ」


「なんだとはなんだ!せっかくの休みなのに朝っぱらから不快なツラを見せられた俺の気持ちにもなれよな」


 ぶつかってきたのは優介の方なのだが、ゴキブリかネズミでも見たような様子で乙弥おとやを見下している。


「気分悪くなったから寝直す!入ってくるなよ」


「あれ?でも、僕の部屋の方に歩いてきたってことは、玄関か台所に行くつもりだったんじゃ……」


「ん?……ああ、倉に置いてある古い本やら道具の虫干しをお面男に頼まれてたんだっけ。ちょうどいいから、お前が代わりにやってよ」


 優介は乙弥に鍵を放り投げる。乙弥が慌ててキャッチすると、優介は既に自室に戻っていた。


「じゃ、あとよろしく」


「え!?ちょっ……もー!後で薬研やげんさんに言いつけますからね!」


 ため息をつきながら、乙弥は倉に向かうことにした。


******


 火村ほむら屋敷の正門近くには、古い倉がある。

 江戸時代――かつてこの地域を治めていた木戸きど家が、相次ぐ大火の責任を取らされ安芸藩(現在の広島県)に追いやられる前からこの屋敷にあったと伝えられている。

 第二次世界大戦や関東大震災でもびくともしなかった倉には、古い文献、着物、家財道具、それに現代では使われなくなったモノノケ調伏ちょうふく用の霊具れいぐが収められているため、定期的に虫干しをする必要があるのだ。


『乙弥さんも人がいいですね。私が生きていた頃なら殴って池に沈めていましたよ』


「あはは……意外と血の気が多かったんですね、右手さん」


 右手さんは、名前の通り筆を持った右手だけのモノノケである。

 生前強い未練を残して死んだ言霊師ことだましの霊が化生けしょうしたモノノケだが、害のない存在であるため火村屋敷の管理下に置かれているらしい。

 モノノケ特有の索敵さくてき能力で都内に出没するモノノケの索敵などを任されているが、平時は倉にこもって書物や霊具を管理している。


『しかし、乙弥君はどうしてそんなに優介君に嫌われているのですか?親でも殺したんです?』


「違いますよ!ていうか、当主殺しは御法度ごはっとですから仮に恨みがあったとしてもやりませんって」


『では、他に理由があるんですね?』


 先程までよりも食い気味に、筆が半紙を走った。


「多分、僕のせいで恥をかいたからだと思いますよ」


『ふむ、詳しく聞かせていただいても?』


「そんなに面白い話でもないですけどね。あれは確かまだ亨子きょうこさんがいた頃だったから去年、いや……2年前の大晦日のことで――」


******


******


[今年の年末年始は、みんなで京都に行かない?]


 きっかけは、火村家当主候補で、乙弥の許婚いいなずけでもある亨子きょうこからの電話だった。


手奈土てなづちが喪中で今年はお正月の当主会合ができないし、ちょうどさきも京都に帰ってきてるからちょうどいいかと思うの。旅費はこっちで出すから、甲子こうこと乙弥も来なよ]


 特に断る理由もないし、ふたりとも毎年のように派閥争いが繰り広げられる親戚の集まりには飽き飽きしていたところだったので、二つ返事で京都に3泊4日の年末旅行に行くことにした。

 高知駅から高速バスで揺られること約5時間半、そこから車で約20分。

 京都御所と鴨川に程近い場所にある手奈土の屋敷に着く頃には、すっかり日が暮れていた。


「もー、ふたりとも遅い!あんまり遅いから、3人だけですき焼き始めるとこだったよ」


 広間の座卓には新聞紙が敷かれていて、卓上コンロやジュースなどが並べられている。


「こんばんは。亨子さん、と……」


 コップを並べる亨子の隣に、もう1人見たことのない女性が正座していた。

ショートヘアと涼やかな二重瞼の目が印象的な亨子とは対照的に、目元を長く伸ばした前髪で隠した目元が少し陰気な印象を与えている。


「ああ、乙弥くんは初めて会うんだっけ。こちらは鏡子きょうこ。おんなじ名前で紛らわしいけど、わたしの影武者」


 乙弥は軽く会釈したが、鏡子は無表情で無視している。というか、見向きさえしない。


「まあ、甲子さんに乙弥さん。わざわざ遠いところありがとうございます」


 襖の奥から、鍋を持った少女が出てきた。

 背中まで伸ばしたまっすぐな黒髪に、色素の薄い瞳と優しげな目元。桜の描かれた小紋がよく似合う、まさに大和撫子やまとなでしこといったところだろうか。


「あらぁ咲ちゃん!元気そうで何より!赤ちゃん、いつ産まれそう?」


「まだだいぶ先です。多分、来年の4月くらいやと思います」


「しかし咲ちゃんも災難だねぇ。金崎かんざきに嫁入りした矢先にご両親が――」


「姉さん!……さすがに無神経だよ」


 咲の両親、つまり先代の当主は8月にこの世を去った。

 咲の妹、次女れんと三女美卯みうといっしょにキャンプに出かけた先で、川で溺れた子どもを助けようとして溺死したという話を、風の噂で聞いたことがある。


「気にせんといてください……美卯はここ数ヶ月ずっと塞ぎ込んどるし、蓮も家に帰ってこんようになって、うちまで落ち込んでるわけにはいかんでしょう」


 広い屋敷はがらんとしていて、咲のほかには使用人が数人いるだけだ。

 咲も16歳というまだ大人と呼べない年齢にもかかわらず、両親亡き後心に深い傷を負った姉妹たちを支えているのだろう。


「はいはい、辛気臭い空気やめやめ!咲も、今日は年忘れにパーっと楽しも?それに、わたしたちが楽しくやってたら、美卯ちゃんも部屋から出てくるかもしれないし、ね?」


 亨子が咲の肩を叩く。その明るい笑顔と口調に、思い詰めていた咲の表情が少し和らいだ。


「ところで、その……咲さんの旦那さん、優介さんは、どこにいるんですか?確か、京都帝國大学に通ってるって」


 咲の表情が再び曇る。


「それが、今朝から連絡が取れないんです。何度も電話してるんやけど……」


「はー、全くしょうがないヤツねアイツは!鏡子、お願い」


「かしこまりました」


 鏡子が目を閉じて、座禅を組む。深く息を吐き、どこか遠くを見ているようだ。

 「千里眼せんりがん」というものがある。

 「透視」、仏教では「天眼通てんげんつう」とも呼ばれ、遠く離れた場所で起こった出来事や未来、人の心を感知する能力あるいはその能力を持つ人を指す言葉だ。

 何を隠そう、鏡子は千里眼である。

 彼女は特に現在遠く離れた場所で起こっていることを感知する能力に優れているため、その能力で優介が現在どこで何をしているのか探っているのだ。

 しばらくその姿勢のまま微動だにしなかったが、突然顔を真っ赤にして狼狽し始めた。


「っ!?な、な、なに……!」


「ちょ、何視たの!?教えてよ!」


「あ、は……裸の、男の人と、女の人が、たくさん、せ、せ、せ……」


 亨子に促されて、顔を手で覆い恥じらいながら、たどたどしく続きを口にした。


「セックス、してる……」

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