第3話 寿司屋で人生相談

 東京、神田の路地裏に、その店はひっそりと看板を出していた。

 『すし・小料理 きじま寿し』と達筆な筆文字で書かれた看板がなければ、そこに店があるとはわからないだろう。

 カウンター席が6席、奥に六畳程度の座敷席というこぢんまりとした店内は年季が入っているものの、イスの脚まできれいにされていて不潔感はない。


「あの……こ、こんばんは。今日の夜にイヌイで予約が入っているとおもうんですが……」


 カウンターで寿司を握っている男性におそるおそる声をかける。しかめ面のいかにも職人といった見た目だ。


「座敷」


「……はい?」


いぬいさんはいつも座敷を使う。覚えときな」


「え、えーっと、だから、その-」


 乙弥が困惑していると、店の奥から青年が出てきた。


「親父!初めてうちに来たお客さんにはちゃんと案内しなきゃだめだろ!」


「知らん。そういうのはお前に任せる」


 奥から出てきた板前姿の青年が、乙弥に向き直る。どうやら寿司を握っている男性の息子らしい。


「いらっしゃいませ。いぬい群平ぐんぺい様のお連れ様ですね?乾様は少々遅れてご来店されるとのことでしたので、奥の座敷席でお待ちください」


******


 奥の座敷席でしばらく待っていると、背広姿の男がやってきた。髪に白いものが混じっているが、声ははつらつとしている。

 アガリを持ってきた青年に注文を済ませると、男はどっかりと腰を下ろした。


「やー、すまんな。ちょいと立て込んでて、仕事が長引いちまった」


「いえ。わざわざ時間を作っていただいただけありがたいです。乾様もお忙しいのに……」


しんちゃんの頼みだ。おれにとっちゃあ仕事よりも大事な用事だぜ」


「はは……全く、八方はっぽう家の人間を呼びつける五行ごぎょう家の人間なんて父ぐらいですよ」


 乙弥たち五行家を含めた霊者れいじゃには、4つの区分けがある。

 まず霊者のトップで神武天皇の血を引いているとされる瑞獣ずいじゅう家。

 富士山麓に拠点を置くおおとり家・すめらぎ家と奈良に拠点を置く麒島きじま家・麟堂りんどう家の総称である。

 次に地位が高いのが東川とがわ家・西路さいろ家・南海みなみ家・北丘きたおか家の四神しじん家。一族のほとんどが孤島に暮らしている。

 その分家であるごん家・そん家・こん家・けん家の八方はっぽう家も同じように一族のほとんどの人間が孤島に暮らしている

 そして霊者の中で最も地位が低いのが五行家。

 乙弥の生家である木戸きど家と火村ほむら家・金崎かんざき家・水面みなも家・手奈土てなづち家の総称だ。

 一般的に霊者としての地位が高い一族ほど霊力――生まれ持った才能や資質が優れた人間が多く、霊力が多ければ多いほど自由に自身が思い描くことを実現させることができる。つまり、物理法則や武術の型に頼らなければモノノケを調伏できない五行家は最も劣っている、格下の存在といえる。

 群平は八方家の一角であるけん家の人間であるため、格下である五行家の呼び出しに応じることは異例だ。

 その分、群平の協力が得られれば本来関わる機会のない四神家や八方家とのパイプが作れるというわけだ。


「嫁探しって話だったな。水面の分家ぶんけにはいい人はいないのかい?」


 乙弥の結婚相手は誰でもいいわけではない。

 五行家の人間は五行相生そうせい――火生土カはドをしょうず土生金ドはキンをしょうず金生水キンはスイをしょうず水生木スイはモクをしょうず木生火モクはカをしょうずに従って結婚相手を選ばなくてはならず、木行モクぎょうの家の人間である乙弥は水行スイぎょうの家、つまり水面家の親戚縁者から結婚相手を選ばなくてはいけないのだ。


「この前本家の人間が呪詛じゅそ騒ぎであらかた死んでしまって、今の当主も分家出身だから他の分家と連絡が取れないらしいんです。一番近い清水しみず家はひとり息子だし……」


「なるほど、そっちは望み薄だから八方家うちを頼ってきたわけだ」


「はい。八方家のうちごん家出身で、スイの気を持つ人が相手なら相生そうしょうを守れます」


 五行家の本家でもある四神家・八方家にも四神相応に基づいた属性があり、青龍せいりゅうに対応する東川家はスイ白虎びゃっこに対応する西路家はキン朱雀すざくに対応する南海家は玄武げんぶに対応する北丘きたおか家はスイの気を司る。

 そして四神家は八方家を間に挟んで交換結婚を行うため、北丘家・東川家と交換結婚を行うゴン家にはスイの気を持つ者が産まれやすく、五行家からは北丘家に準ずるものとして扱われている。


「ふーん。じゃあお前さん、好きなタイプとかあるかい?もちろん見た目だけじゃなくてもかまわねぇぜ?家庭的なコが好きとか、尻のでかいコが好きとか、そういうのでいいからよ」


 茶化すように群平がそう聞くと、乙弥の表情が曇る。


「僕は……誰かを好きになるというのが、よくわからないんです。産まれた時から結婚相手が決められていて、その人と結婚するのが僕の役目だと思っていたから、恋愛とかしたことがなくて……」


 乙弥は恋をしたことがない。

 五行家の人間はおおよその場合産まれた時から結婚相手が決まっているため、恋人を探す必要がないからだ。

 もちろん、幼少期から交流があり初恋が婚約者だという人間や、結婚が決まってから愛を育む夫婦もいなくはない。

 ただ、多くの人間が乙弥のように義務として結婚・出産をするのが五行家、ひいては由緒正しい霊者たちの常識ではある。


「そうかい……じゃあ、まずは自分がどんな家庭を築きたいかゆっくり考えるといい」


「えっ、でも――」


「お前さんは世間を、いや、他人を知らなさすぎる!いいかい、結婚ってのは他人を自分の領域に常に招き入れるってことだ。どうせなら、自分がずっと近くにいたいと思える人間を選んで招き入れた方がいいに決まってらぁ」


 寿司を乗せた下駄が運ばれてくる。群平はマグロの握りを口に放り込んで、アガリをすする。


「寿司と一緒よ。いくらマグロが美味くても、マグロしか食ったことがないんじゃあ他のネタとは比べられねぇだろ?」


「そう、ですね……」


 乙弥は白い刺身の乗った握りを口に含む。

 見た目から想像していた白身魚の味とは異なり、脂が乗っていてかつさっぱりとした味わいがした。


「お、のっけからエンガワたぁツウだね」


「これ、えんがわって言うんですね。初めて食べました」


「なんでぇ、知らないで食ったのかい」


 18歳そこらの乙弥にとって、知らないことがあまりにも多すぎる。今だって下駄の上に並んでいる寿司ネタの半分は名前のわからない魚だ。


「あの……よかったら、もうちょっとお話し聞かせてくれませんか?お寿司のこととか、恋愛のこととか」


「おうとも!いいか、まずは寿司の話だがな-」


 ……それからしばらく群平の人生談義は続き、乙弥が帰路についたのは日付が変わる頃だった。

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