冬:初日の光さしいでて

第1話 望まれぬ上京

 2015年、東京、奥多摩。

 山の麓から中腹に続く長い一本道を、不思議な恰好の人物が駆け抜けていく。

 小袖こそでに袴、脚には脚絆きゃはん。手甲と頭巾があれば忍者のようだが、頭巾のかわりに紙でできた面が顔を隠している。

 その人物は周囲を取り囲む野犬を、手に持った槍で薙ぎ払っていく。

 斬る。突く。はらう。

 斬る。突く。波状攻撃を宙返りでかわす。

 血は出ない。野犬たちはこの世のものではないのだ。

 野犬が槍に噛みつく。ふところから紙切れを出し、野犬のひたいに張り付ける。


「『食らいつくせ』!」


 首から下げた笛を短く吹くと、槍にくらいついていた野犬が離れ、周囲にいる別の野犬を襲い始める。

 夜の山道に、野犬たちの金切り声が響きわたる。


「はあっ、はあっ……東京についたばっかりやけんど、いにたい帰りたいのお……」


 心底疲れたように、土佐弁が漏れる。まだ少年の名残を感じる声色だ。

 斬る。突く。はらう。

 斬る。突く。はらう。

 斬る。突く。跳んで、かわす。

 斬る。突く。かわす。

 斬る。突く――

 ふと気がつくと、誰かが槍の柄をつかんで押さえていた。


「おいおい、俺を金崎かんざき家当主、金崎かんざき優介ゆうすけと知っての狼藉ろうぜきか?ケンカ売ってるなら買うぜ」


 声のした方向に顔を向けると、スーツ姿の青年が立っていた。

 切れ長の吊り目に、整った顔立ち、トレンドに合わせた茶色のショートヘア、健康的に日焼けした肌。

 180cm近い長身も相まって、首に下げた社員証がなければモデルだといわれても納得しそうな容姿だ。


「……少し、ぼーっとしていただけです」


「お!誰かと思えば甲斐性かいしょうナシの元婿殿むこどのじゃないですかぁ!よく火村屋敷に顔を出せたな。恥ずかしくないのか?」


「……浮気しまくって正月に全裸で土下座させられた優介さんには言われたくないですね」


 青年は面をとって槍を押さえつけているスーツ姿の青年――金崎かんざき優介ゆうすけに冷たく言い放った。彼の女癖の悪さは金崎かんざき家のある福岡から遠く火村屋敷のある東京まで届くほどには有名である。

 垂れ目と鷲鼻が印象的な優しげな顔が、あからさまな嫌悪に歪んでいる。しかし、優介はそんなことを気にも留めてないようだ。


「ハッ、高卒非モテ弱小言霊師ことだましひがみかい?京帝大卒の俺に文句を言いたいなら、せめて俺より強くなってから言いなよ」


 忍者のような装束しょうぞくに身を包んだ長髪の青年と、高級そうなスーツに身を包んだ優介。

 一見違う世界の人間に見えるが、彼らは不思議な力を使い幽霊などの科学では説明のつかない現象に対応することを生業なりわいとしている同士である。

 言葉によって人や物、自然に干渉する術――言霊ことだまを扱うことから、彼らは言霊師ことだましと呼ばれている。


「こんなザコどもの相手で意識飛ばすようじゃ、東京こっちではやっていけないぜ。とっとと高知実家に帰りな?」


「はは、ここ2年でだいぶ鍛えたんですがね。それに、優介さんも丸一日移動してから下級霊の相手を2時間以上すれば意識飛ぶと思うんですけど……」


「俺なら3分で片づける」


「はあ……」


 長い坂道を登り切ると、古い倉が見えた。彼らの目的地である火村ほむら家の屋敷の入り口だ。

 優介がチャイムを鳴らすと、引き戸が勢いよく開いた。


「あら優介さんおかえりなさ……って、乙弥おとやじゃないの!久しぶりだねぇ!」


 ジーンズに白いトレーナーを着た女性が、笑いながら青年――木戸きど乙弥おとやの背中を力強く叩く。くりっとした目と快活な笑顔は彼女を実年齢より若く見せている。


「お久しぶりです、さだめさん。すいません。東京への異動がなかなか決まらなくて、こんな時期になってしまって」


「ああ、農協に就職したんだっけ?」


「はい。明日からさっそく築地にある事務所で仕事です」


「大変だねぇ。ま、頑張りなさいよ!」


 優介は自分がほったらかしにされているのが気に食わないのか、不機嫌そうに2人の会話を眺めている。


「大変なのは火村の方だろ?結納前日に当主候補が逃げ出したんだからさ」


 優介がにやにやと笑いながら、さだめのほうを見る。逃げ出した当主候補は、さだめの娘だった。


「なんでもいいですけど、ヒマなら荷物を部屋に運ぶのを手伝ってくれませんか?」


「イヤだね。俺はヒマじゃないし、ザコヤの手伝いなんてしたくない」


「はいはい、ふたりともケンカしないの!」


 いつの間にか装束から水色のジャンパー姿になった乙弥は、玄関に置いていた荷物を手に取った。

 登山用のリュック、両手には旅行用バックとキャリーケース。ひとりで持つには多すぎる量だ。

 広間に続く廊下をまっすぐ歩いて2部屋目、木戸家の家紋が描かれた襖を開ける。

 畳敷きの八畳一間が、乙弥に与えられた空間だ。

 元々は一番奥から手前に向かって相生そうしょう――火村ほむら手奈土てなづち金崎かんざき水面みなも木戸きどの順に部屋が並んでいたらしいが、水面家現当主の大樹だいきが優介とトラブルになったらしく、間に乙弥が入ることになったらしい。

 さだめが用意してくれたのか、すでに布団や机が置いてあった。持ってきた荷物をすべて広げても、寝るぶんには支障はないだろう。

 パジャマと下着を荷物の中から取り出して、明日着ていくスーツをハンガーにかける。


「とりあえず、今日は風呂入って寝るか。嫁探しは明日からでも……」


 嫁探し。

 実家を出る時に父に言われたことを思い出して、乙弥はため息をついた。

 

甲子こうこと乙弥のうち、先に結婚相手を見つけた方を次の当主とする!』


 火村家当主候補と乙弥の縁談がご破産になり、誰もが乙弥より強く人格も優れている姉、甲子が当主になると予想していたなかで、現当主で乙弥の父、神仕しんじは「結婚相手を見つけてくること」を当主襲名の条件とした。

 実力主義の五行家では異例の条件だ。


おっさん父さんの考えゆうことは、まっことわからんぜよ……」

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