最終話「あなたのことが、大好きでした」
オリヴィア・ヴィルスティリア女伯爵は目を覚ました。
彼女の胸元には夫、ではなく、十五歳の娘がくっついている。
すやすやと眠る彼女の顔は可愛らしくて、異母妹とちょっと似ているけれど違う顔。オリヴィアは、レティーシャとレイラを取り違えたりは、しない。
流行り外れの衣装を着て崖に行った昨日の夜、レティーシャのワガママにより、親子三人は仲良く川の字で寝ていた。
(なんだか……とても長い、長い、夢を見ていた気がする)
眠っている間に、人は記憶を整理するという。レイラのことを思い出して眠った初めての夜だったから、そう感じたのかもしれない。
実は妹を愛していたという〝悪役令嬢〟のキャラに惹かれて、何度もプレイしていた乙女ゲーム。現実から逃げるように始めただけのゲームに、かつての彼女は想像以上にのめり込んだ。
あの物語を何度も何度も味わっていたくせに、転生後も何度も思い返したくせに、オリヴィアは今の今まで、自分の想いを手にとれていなかった。
(わたくしは、あの子に、恋していたのね)
レイラは、れいらは、二十年前――学院入学前の三月に、元の世界へと帰った。日本に帰った。そうしてこの世界からいなくなった。
表向きには、その日、崖から転落して亡くなったとされる異母妹――レイラ・ヴィルスティリア伯爵令嬢。
前世でも異母妹だった、れいら。
(あなたは……今……どこで何をしているのでしょうか。幸せに生きてくれているでしょうか)
この世界と、あの世界と。時間の流れはどうなっているのか。無事に帰れたのか。それはわからない。
絶対ではないけれど、でも、オリヴィアは彼女が今も遠く遠くのどこかで生きている気がする。
(今や生きる世界が違っても、あなたは、ずっとわたくしの妹よ)
レティーシャのチョコレートブラウンの髪を撫で、オリヴィアは小さく息をつく。ふと視線を上げると、ぱちり、ハロルドの蒼色の瞳と目があった。
「あ。おはよう、あなた」
「おはよう、オリヴィア」
ふたりきりで寝るときより、レティーシャのいる分だけ離れた位置で。かえって相手の表情を見渡せる距離感で。
十数年間を夫婦として歩んできた男女は、愛娘を起こさぬようにと声を潜めて、朝の挨拶をした。
へにゃりと困ったように眉を下げたハロルドが、オリヴィアに問う。
「……調子は、どう? よく眠れた? 平気?」
「ええ。ちょっと頭は痛いけれど、平気よ。……わたくしの顔、変じゃない? 目が腫れていたりしない?」
「ほんのりと目元は赤いけれど、今日も世界でいちばん可愛い奥さんだよ」
「そう」
恥ずかしい話だが。こうして甘ったるく褒められることにも、彼女は結婚生活の中で慣れてきてしまった。
あの日、修道院に迎えにきてから。ハロルドは、オリヴィアをたっぷりと愛してくれた。
レイラの死を忘れていると知り、不安や焦りや情けなさでどうしようもなかったときも、若かりしオリヴィアは彼の存在に癒やされていた気がする。
彼を愛するようになった今だからこそ思う、思い出の美化かもしれないが。惚気かもしれないが。
「……ねえ、ハロルド」
「なんだい、オリヴィア」
「これまで、忘れていて、ごめんね」
「ん。いいよ」
「レイラと三人で一緒にいるの、楽しかったわ」
「ん。俺も、楽しかった」
ん、と短く返事するのは、まだ眠たいからか、それともやわらかい雰囲気にしようとしてくれているからか。どっちもかしら、とオリヴィアはゆるく笑う。
「……きっと、わたくしは、レイラと別れると知っていたら、あんなふうに無邪気には仲良くできなかったと思うの。だから……、えっと、ありがとう。思い出せて、よかったわ」
「うん。でも、ごめんな。きみに、レイラとの別れ支度の機会をやれなくて」
「いいの、それは。わたくしたちの〝やり直し〟は、これでよかったのよ。ハロルド」
オリヴィアは、この形で乗り越えるべきだったのだろう。最愛の妹との死別を、永遠の別れを。
(この世界に生まれてこなければ、ここでふたりと生きられなければ、わたくしは日本で幽霊になっていたかもしれないわね)
ひとりでは、無理だった。ハロルドとレイラ、そしてレティーシャがいたからこそ、長い時をこえて、彼女は過去を受け入れることができた。
「レティーシャ、ハロルド」
まだ眠っている娘の名と、眠たそうな夫の名とを囁き声で呼び、オリヴィアはレティーシャの肩を抱く。
ちらりとハロルドに視線をやれば、彼もオリヴィアの手の上に手を重ねた。以心伝心だ。
娘に触れ、夫に触れられ、オリヴィアはうっとり微笑んで告げる。
「わたくし、今、幸せよ。可愛い娘が、すくすくと元気に育っていて。あなたも健康でいてくれて。すごく、すごく、幸せなのよ」
「……うん」
「レイラも、ハロルドも、レティーシャも、みんな大好き。みんなのおかげで、わたくしは、幸せ。……だから、もう、ハロルドが何かを気に病むことはないわ」
「ん」
これまで、たくさん、たくさん、重たいものを背負ってきたのだろう。いろいろなものを抱えて、今日まで来てくれていたのだろう。
ハロルドの蒼色の瞳は、ちょっと恥ずかしそうに、嬉しそうに潤んだ。
あらためて言うのは恥ずかしいけれど、とオリヴィアもちょっぴり頬を赤らめる。
そして続ける。
「お疲れさま、ハロルド。ずっと支えてくれて、ありがとう。これからも、よろしくね。あらためまして、愛してる」
「ああ、俺も。きみを愛している。――オリヴィア」
覚悟していた以上に熱っぽい声で名を呼ばれ、オリヴィアは年甲斐もなくドキリとした。
「は、ハロルド……?」
彼が動き、ギシ、とベッドが軋む音がする。
ふたりの距離が、縮まる。
「――ふ、ふふ、父さまも、母さまも、朝からお熱いことで……っ、うふふ」
「レティーシャ!? お、起きていたのか!?」
ついに耐えきれなくなった、というように。レティーシャは肩を震わせ、うふふふふっと楽しそうに笑いだした。
弾かれたようにベッドの端っこまで後退していったハロルドの焦りっぷりがおかしくて、オリヴィアも娘と一緒にうふふふと笑う。楽しく笑う。
「おはよう、わたくしの可愛いレティーシャ」
「おはよう、母さま!」
レティーシャはオリヴィアの胸元にぐりぐりと顔をくっつけ、子どもっぽく朝の挨拶をした。
さらにごろんと寝返りをうち、「おはよう、父さま!」と、父にもにこにこ笑顔で挨拶する。
「おはよう、レティーシャ。我が愛娘」
「さあ、おふたりとも、続きをなさって? 物分かりの良いレティーシャちゃんはおとなしくしておりますので!」
「もう、レティーシャったら――」
オリヴィアとレティーシャの笑い声が朝日に溶ける。ハロルドの優しい声がふたりを包む。
三人の日々は、あたたかく、明るい。
*
*
*
――骨も何もない、空っぽのレイラのお墓で、オリヴィア・ヴィルスティリアは想いを馳せる――
……――奇跡は、二度も起こらない。
わたくしとあなたが会えることは、ほんとうに、もう二度とないのでしょう。
もう、永遠のお別れは過ぎたのでしょう。
あなたは、あちらの世界のひと。
今のわたくしは、この世界のひと。
奇跡が起こらなければ、もう会えない世界のひと。
そう思うと、今も、ちょっぴり切ないわ。
もっと、もっと、あなたと一緒にいたかった……。
でも、お別れってそういうものよね。
いきなり絶えてしまうものなのね。
この〝二度目の人生〟で、やっと、乗り越えられた気がします。受け入れられた気がします。
あなたが、無事に日本へ帰って、幸せに生きているのなら。
もしも苦労していても、幸せを目指して、頑張っているのなら。
わたくしも、姉として、あなたに恋した女として、その幸せを祈りましょう――
愛しいあなたの泣き顔を、もう、はっきりとは思い出せないけれど。
あなたが生きているなら、それでいい。
思い出せなくてもいいから、幸せになって。生きて。
「――
同じ世界で生きていた頃には、言えなかったけれど。本気の想いは、一度も伝えられなかったけれど。
「あなたのことが、大好きでした」
……――愛してる。
――そして彼女は、今日も愛する家族の隣に帰る――
泥棒猫の姉令嬢はワガママ異母妹の泣き顔が見たい Fin
泥棒猫の姉令嬢はワガママ異母妹の泣き顔が見たい 〜わたくしとの婚約を破棄して妹を選んだはずの殿下が「きみの妹はもうこの世にいない」なんて告白・求婚してきます〜 幽八花あかね @yuyake-akane
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます