泥棒猫の姉令嬢はワガママ異母妹の泣き顔が見たい 〜わたくしとの婚約を破棄して妹を選んだはずの殿下が「きみの妹はもうこの世にいない」なんて告白・求婚してきます〜
第14話(幸せになれるように、前を向けるように)
第14話(幸せになれるように、前を向けるように)
彼にとって、それは呪いのようなものだった。
だから、その時が来れば、彼女も元に戻ってくれるのではないかと、淡すぎる期待を抱いていた。
魔女の呪いが解けるように、彼女も……って。
「――シナリオが終わっても、駄目じゃないか」
修道女姿で目を瞑るオリヴィアを抱きかかえ、ハロルドはぽつり呟く。
婚約破棄をしても、ヒロインと結婚しても。
悪役令嬢オリヴィア・ヴィルスティリアの夢は、覚めなかった。
――大々的な婚約破棄シーンを演じたのは、自分事にするため。背負うため。未来の王の座を捨て、彼女のそばに居続けるためにわざと犯した罪だった。
――あの日から三年が経ち、行方不明から死亡へと、レイラの扱いが変わった後。彼女と冥婚の形で籍を入れたのは、〝ヒロイン〟と〝攻略対象〟の結婚がゲームのエンディングだったから。オリヴィアの〝それ〟を終わらせるのに、必要だと考えたから。
ゲームシナリオの〝時〟が終われば、彼女も治ってくれるのではないかと期待した。
でも、無理だった。
(オリヴィア――きみは、どうしたい?)
離宮で眠る彼女の髪を梳き、ハロルドは心の中から問いかける。〝もうレイラがいないこと〟や〝あの日のこと〟を伝えたら、オリヴィアはショックからか気を失い、起きたときには記憶も失っていた。
オリヴィアにとって、この三年間――彼女が〝レイラ〟と過ごしていた時間を否定されることは、耐え難い苦痛のようだ。三年前にレイラはいなくなったと伝えても、彼女の脳には残らない。
婚約破棄から修道院行きになるまで、オリヴィアは彼の掌の上だった。殺されないよう、汚されないよう。彼女も知らぬうちに、彼女はハロルドに守られていた。
(シナリオが終われば、きみも正気に戻る……なんて、甘い幻想だったな。そもそも、ヒロイン不在の世界に強制力なんてないんだ。ここに期待するのが間違っていた)
(途方もなくて、間違っていてもいいから終わりが欲しかった、諦めるキッカケが欲しかった、のかもしれない。許されたかったのかもしれない)
(ねえ、オリヴィア――きみには、真実を伝えない方がいいのかな?)
(いっそ、レイラの不在の時期を誤魔化してしまおうか。きみと〝レイラ〟の三年間はそのままに、最近レイラがいなくなったことにしてしまおうか)
(きみが本当のレイラのことを思い出したいと望むなら、俺は根気強く付き合おう)
(偽物でも素敵な思い出と生きたいならば、余計な記憶を消せるよう、もう一度きみを真実で傷つけよう)
もう、本当は、どうしたらいいか、わからなかった。何もかもを間違えた気がした。オリヴィアの変な姿を飽きるほど見た。いないはずの〝レイラ〟にうっとりと微笑みかける姿を何度も見た。
(失敗していたら、どうなっただろう? レイラも帰さずにいたら? 俺たちは、三人、仲良くいられたのか? ヒロインと、悪役令嬢と、攻略対象で?)
(……たとえ攻略されるのが俺じゃなくても、オリヴィアはいなくなってしまうのに。ゲームが終わったら、もう会えなくなってしまうのに)
生まれた立場を言い訳にして、自分は、オリヴィアをひとり占めするためにライバルを追い出しただけなのではないか。
想い人の本当の幸せとは何かを深く考えることもなく、結局自分が彼女を不幸にしたのではないだろうか。
『――ハロルドさま。……姉さまのことを、お願いします。幸せにしてやってくださいな』
『――ハロルドさま、姉さまを幸せにしてやってください……救ってさしあげてください』
レイラの遺した言葉は、抽象的で曖昧だ。
オリヴィアに〝レイラとの別れ〟を隠し通すためと秘密の関係を築いていたはずなのに、ハロルドはレイラのことをよく知らない気がした。最後までよくわからない女だった。
(レイラは、叶うなら、自分で、姉さまを救いたかったのだろう。それは、何からだ? 過去の呪縛か? 俺は、オリヴィアを幸せにできるのか?)
オリヴィアは、前世でも愛されない子だった、と。過去にレイラから聞いている。
ハロルドの愛をもってすればきっとオリヴィアは幸せになれる、ともレイラは言った。
(オリヴィアのことは、今も好きだ。大好きだ。俺は不器用で、身勝手かもしれないけれど。愛の重さには、自信がある。……ただ)
今も昔も、ハロルドは、自分がレイラの掌の上にいる気がして。今も彼女に振り回されている気がして。
やっぱりレイラが憎たらしい。
もうこの世にいない女に、嫉妬する。
自分ごと忘れられるのも怖くて、たくさんの嘘をついた。彼女を守るためなら仕方ないと言い訳して嘘をついた。嘘まみれの生活だった。
「オリヴィア。愛してる」
曇りがないのは、彼女への愛だけ。
――三人で一緒に過ごした日々は、確かに楽しかった。夢のようだった。ああ、そうだ。そんな単純なことで、良かったのかもしれない。
――オリヴィアは、妹の真実を思い出したいと願った。ならば俺は彼女に従う。それに……
――俺だって、きみに思い出してほしい。三人でふざけて、笑って、頑張った日々を。いつかきみと語り合いたい。
(これは――きみが初恋を終わらせるための道のりなのかな。行き場のなかった恋を終わらせるための。生と死と、異世界と、思いがけず引き裂かれてしまった、きみたちが。幸せになれるように、前を向けるように)
もしかすると、元の世界に帰ったレイラも、苦労しているのかもしれない。
姉と一緒に事故に遭った彼女は、もしかしたら大怪我を負っているかもしれなくて。長く長く目覚めなかったのかもしれなくて。
想った相手に捨てられている可能性もある。また家が決めた縁談に押し潰されそうになっている可能性もある。
今のオリヴィアの隣に〝レイラ〟がいないように、帰った〝れいら〟の隣に彼女はいない。
遠く遠くの知らない世界で。誰かが、あの娘の隣にいてくれたらいいとハロルドは願う。姉と別れた娘を、彼女を愛する誰かが癒やしてやってほしいと。
――幸せにして。
――救って。
それがレイラの遺した志だ。
ハロルドは己にできるすべてを尽くしてそれを継ぐ。
『この世界での〝二度目の人生〟は、きっと、わたくしたちに〝別れ〟をやり直させるためにあったのでしょう。もちろん、ハロルドさまが他のお考えをおもちなら、わたくしの話は聞き流してくださって構いません』
『わたくしたちの別れは、突然でした。もう会えないかもしれないとは思っていたけれど、まさか死別するとは思っていなくて……。同じ地球の、どこか、同じ青い空の下で生きていてくれたらいい、なんて。甘く考えていて』
『姉さまにも、幸せになっていただきたかった。生きていてほしかった。……姉さまの想いを聞かずにいたこと、ちょっとだけ、後悔もしておりました』
『でも、わたくしは、姉さまの想いを聞きません。絶対に聞きたくありません。受け止める覚悟が、ないのです。わたくしは、姉さまの妹でいたかった。仲良し姉妹でいたかった。元の世界でも、この世界でも』
『いつも、なんとなく、そういう雰囲気を感じると躱してまいりました。本気の告白は一度も聞かない、想いを伝えることすら許さない――それが、わたくしが姉さまに甘えてする、人生最大のワガママです』
『とても好きで、大切だけれど。わたくしは、姉さまと恋仲にはなりません。許される家でもなかった。たとえ、もしも、わたくしも姉さまを愛していても。ずっと一緒にいることは叶わなかった。抗う気力も、なかった』
『……ほんとうは、もっと…………』
『――ハロルドさまは、どうか、姉さまにあふれんばかりの愛を伝えてください。甘やかしてやってください。わたくしにはできなかった愛し方を、あなたが望むように、姉さまに捧げてください』
『いきなり別れること、想いを伝えずに終わること――わたくしたちは、きっと、それを乗り越えなくてはいけない。だから、わたくしは、そこを変えない』
『まあ、でも、知ってしまったことは仕方ないので。わたくしだけ向こうに帰るって知っていること、それはヒロインの特権ということにしておきます。ワガママ異母妹お得意のズルですわ!』
妻オリヴィアの記憶の箱をひらいた日、ハロルドは、懐かしい伯爵令嬢の夢を見た。
チョコレートブラウンの髪をふんわり揺らし、スカイブルーの瞳を輝かせ、レイラ・ヴィルスティリアは強かに笑う。
もうこの世にいない令嬢は、かつて、姉の婚約者に想いを吐露して消えた。
(自分で伝えてやればよかったのにな)
でも、そういうものなのだろう。ふたりは、そういう関係だったのだろう。
オリヴィアとレイラの想いの形に、姉妹の愛に、ハロルドが挟まる予知はない。
(百合に挟まる男は死ねばいい、という言葉もあるらしいからな……)
寝起きのはたらかない頭で、そんなことを考えた。
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