第13話(いつか、きみが目覚めてくれる日まで)


(俺の選択は、間違っていたのかもしれない)


 白い扉を前に崩折れた十五歳のオリヴィアを、這うように戸枠を潜って妹を追おうとする想い人を抱きしめて止めながら、ハロルドはそう思った。


 レイラ・ヴィルスティリアが、消えた。

 彼の目的は達成された。


 貴族令息や王子たちを惑わして混乱をもたらす〝ヒロイン〟を〝ゲーム〟が始まる前に元の世界へと追い返し、王太子としての勤めを果たした。


 なのに。


「いや……! 殿下、はなして、ください……嫌、れいら、レイラ……」


「きみは転生者で、レイラは転移者だった。だから、レイラはひとりで、帰った。それだけのことだ。もう俺らも帰ろう。――表向き、彼女は誤って転落した、と」


 ああ、自分は、なんて冷たいことを言うのだろう。


「……なんで、なんで、また、突然……っ、お別れになるの……まだ……わたくしは、まだ、あなたと……っ」


「オリヴィア」


 やるべきことを、無事に、遂げたはずなのに。


 可哀想なくらいぼろぼろと泣く婚約者を見たら、達成感など微塵も感じられなかった。


 レイラとの別れを突きつけられた時の彼女の痛ましい顔を見てから、ハロルドは、申し訳なくて仕方がなかった。胸が痛かった。


「オリヴィア」


 もう何を言っても価値がない気がして、届かない気がして、馬鹿のひとつ覚えみたいに彼女の名前を呼ぶことしかできない。


 大好きなひとの華奢な肩は悲しげに震え、ドレスや髪は涙に濡れていく。


(疑いをもった時から、言っておけば良かったのだろうか? 何が最善だったのだろう? どこで過ちを犯したのだろう?)


 オリヴィアに隠し事を始めた日、レイラと秘密を共有した日。あの時に、レイラはオリヴィアが〝帰れない〟可能性を指摘していた。


 もしかすると、元の世界の体が生きていなければ、〝ヒロイン〟たちは帰れないのかもしれないと。自分の最後の記憶を辿るに、姉は目の前で事切れていた気がすると。


 姉は、もう。


(それで? レイラと別れる羽目になると知っていたら、オリヴィアは俺に協力してくれたか? 一緒に扉を探してくれたか? ……たぶん、無理だった)


 これまでの〝ヒロイン〟問題についての記録を見るに、この頃は、異世界者を巻き込んで解決にあたる者が多かった。

 彼女らの〝推し〟であってもそうでなくても、愛されるように動いて、好意を利用して。彼女らを利用する方が、無事に解決することも多かった。


 最後の別れについては、細かくは残されていないけれども……。恋人を騙すような形で元の世界に帰した貴公子も、いたかもしれない。


 ひとりで遂げる自信がなくて、オリヴィアと一緒にいる時間も欲しくて、ハロルドは彼女らを頼った。三人で過ごした。


(前世のオリヴィアは、きっと叶わない恋心や理不尽な現実を誤魔化すように〝俺ら〟と恋していただけで。プレイしていただけで。〝俺〟も〝彼ら〟も、誰も彼女に愛される〝キャラ〟ではなかった。俺では、愛されて利用することは、できなかった)


(オリヴィアに知られず、レイラとだけ協力する手もあったか? いや、ずっとふたりでいるのは無理だった。レイラとオリヴィアはよく一緒にいて、一緒に居たがったから。たまに密会する程度しか)


(レイラも、別れの可能性を伝えたくないって。これからも一緒にいられると信じて、今を一緒にいたいって。知らないふりをして、幸せに生きたいって)


(レイラ・ヴィルスティリアは、俺は、オリヴィアに心の準備をする機会を与えてやらなかったんだな……)



 今日の太陽が落ちる時。


 夕焼けの暖かい光に照らされた扉は、きらきらと消えた。向こうの世界にレイラが行った時よりも、わざとらしいほど感動的な姿で。


 その存在感を表すように。異界と異界とを繋ぐ役目の重大さを見せつけるように。



 泣き疲れてか眠ってしまったオリヴィアを背負って、ハロルドは崖を後にした。待たせていた異世界部門の者たちに「済んだ」と告げ、馬車に乗り、王城に帰った。


 城に泊まらせたオリヴィアが目覚めたのは、次の朝のことだった。


 そこから、彼女は、すこしずつ、すこしずつ、壊れていった。





「――おはようございます、殿下」


「ああ、おはよう、オリヴィア。……調子は、どうだ? 大丈夫か?」


「? 何がです?」


「何が、って……、その、レイラの……」


 気まずくて、苦しくて、うまく言えない。


 仲良し姉妹の別れが、あんな形でよかったのか。悶々と考えていたら、昨夜はほとんど眠れなかったハロルドだ。


 きょとんとしたオリヴィアは、ハロルドをじっと見つめた。罪悪感を煽るように可愛らしくて、いっそ困る。


「ああ、レイラが崖から落ちた時は肝を冷やしましたが……。もう平気です。あの子は今日も元気ですもの。ね?」


「は?」


 自分の耳を疑った。脅かすような、低い声が出た。


「オリヴィア、何を言っているんだ」


「殿下こそ、どうなさったのです? ほら、今日も可愛い妹です。相変わらず忍び込むのが得意ね、レイラ」


 幻なのか、妄想なのか、はたまた霊なのか。オリヴィアは〝レイラ〟を見ていた。〝レイラ〟が見えていた。


「もう、殿下ったら。仲直りしたいのなら、そうおっしゃってください。わたくし、これでもまだ怒っているのですよ?」


「……ごめん」


「ふふ、とっても申し訳なさそうなお顔が可愛らしいので、許します。うふふ」


 ハロルドを許して笑うオリヴィアは、十五歳という年相応の少女らしい可愛さを纏っていて、ハロルドもつられて笑ってしまった。


 ふたりきりの部屋で。レイラのいない部屋で。


 レイラの不在を拒絶して変わってしまった、オリヴィアと一緒になって。


(俺に、こうして笑う資格なんてないのに)



 彼女の〝それ〟は、長く続いた。


 学院に入学しても、半年が経っても、一年生が終わっても、オリヴィアは〝レイラ〟の存在を信じきっていた。


 ――オリヴィア・ヴィルスティリアは〝病んで〟いる。

 ――あんな娘は次期王妃に相応しくない。

 ――あれは狂っている。


 そう、彼女の評判は日に日に落ちた。



「オリヴィア」


「あら、殿下。今日はレイラと一緒ではないのですね?」


「まあ、ね。たまには婚約者であるきみと過ごす時間も必要かな、と」


「必要……ですね。あなた様にとってはいらなくとも、王太子殿下にとっては、ということでしょうか」


 悪役令嬢であるオリヴィア・ヴィルスティリアに、攻略対象ハロルドの想いは届かない。一欠片だって届かない。


 オリヴィアは、かの乙女ゲームと同じように動いているようだった。そうなるように世界が見えているようだった。


 異母妹レイラとハロルドは運命的な恋に落ち、結ばれる。

 自分は何かしらで断罪されて、ふたりの前から消えていく。


(俺は、王子だから。きみの婚約者だから)


 ――きみの世界が〝そう〟ならば、付き合おう。


(他の誰がきみを不気味がって避けても、俺はきみと話をしよう。俺はきみと話す時間が今だって好きで、きみの声や言葉をたくさん聞きたいんだ)


(レイラを崖から落としたのはオリヴィアだ、あいつは人殺しだ……なんて言う馬鹿どもから、きみを守ろう)


(もしもゲームイベントらしい事件が起きたら――きみの無意識の自作自演かもしれないけれど――それでもきみを救ってみせよう)


(いつか、きみが目覚めてくれる日まで。諦めずに隣にいる。俺は、ずっと待っている)



 ――――――ハロルドさま、姉さまを幸せにしてやってください……救ってさしあげてください――――――



(俺が、きみを壊したならば。レイラときみとの関わり方を、間違えたならば)


(俺が責任をとろう)


(王太子の座を追われても、きみと生きる男であろう)


 ハロルドの初恋は、終わらない。


 彼の心は、まだ折れない。

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