第10話「オリヴィア姉さまはわたくしのものです


 五、六歳の頃。王宮庭園で。


「なあオリヴィア、きみの妹って異世界者だろ?」

「…………はい?」


 ハロルド王子とふたりきりでお散歩している時に、伯爵令嬢オリヴィアは突然、そんなことを言われた。


 そよそよと風が吹き、花が揺れる。ピチチと鳥の声がする。


「い、い、異世界者? って、なな、なんのことで……」


 自分は他の世界から来ましたのー、なんて。言っても頭がおかしいと思われるだけだろう。


 もちろん、オリヴィアから彼に話しているわけがない。


「なんのことかはわかっているはずだ。きみと妹は、この世界の人間ではない。他の世界から来た人間だ」


「あらやだ、殿下ったらそういうお年頃ですか? って、同い年ですけど……。うふふ、ふふ」


「で、どっちがヒロインというやつだ」


「あのぅ、殿下……?」


 ぜんぜんオリヴィアの誤魔化しに流されてくれないハロルドは、幼いながらも真剣な目で彼女を見た。


 オリヴィアはわざとらしくもじもじして、チョコレートブラウンの髪をくるくると指に巻きつける。


「…………」

「…………」


 探り合うような気まずい時間、の後。


 ハロルドは、はあ、とため息をついた。


「……きみだって、どうせ中身は俺より年上なんだろう」


「まさかレディの年齢を聞くのです?」


「いや、べつに。この世界では同年代、というか同い年だからな。重要なのはそっちで、異世界のきみが何歳かはそこまで気にしない」


 ではなぜ年上だろうとか何とか言ってきたのだ。


 オリヴィアはちょっと文句を言ってやろうかと思ったけれど、中身はこれでも成人女性、こんな子どもに突っかかるのは止めにした。


「で? 殿下は何のお話をしているのです?」


「一緒に扉を見つけよう」


「…………やっぱり厨二病、」


「違う。……ヒロインを元の世界に追い返したいんだ」


「ほう」


 オリヴィアは目を見開き、首を傾げた。

 どうやらハロルドは、異世界転生やゲームについて何やら知っているらしい。


 よくよく話を聞いてみると――なるほど。


「つまり……異世界から来た魂をもつ女の子がいると、国内で面倒事が起きる。そう、現地人のあなたたちは気づいてしまったわけですね。これまでの歴史を通して。

 だから、事が起きる前に……ゲームが始まる前に、彼女らを元の世界に送り返そうと」


「ああ、そうだ。きみたち姉妹が〝そう〟だとも調べがついている。が、これまでは〝ヒロイン〟ひとりが面倒事を起こすケースばかりだったのだが……どうやら、もうひとり、何かがいるようでな」


「わたくし、すなわち〝悪役令嬢〟ですね。なるほど。この世界にはヒロインばかりが現れてきて……」


「……きみは、悪役令嬢、というものなのか?」


「ええ、はい。ヒロインは異母妹ですね。と言っても、彼女が〝そう〟だとわたくしは自信をもって言い切れないのですが……」


 オリヴィアはこの世界に来て数ヶ月が経つが、異母妹レイラを転生者だと感じたことはなかった。


 レイラは、ただの可愛い妹だ。


「――ねーえーさーまっ!」


「あら、噂をすればレイラね。どうしたの」


「いや、きみ、冷静すぎないか? いきなり現れたじゃないか……。いつものことと言えばいつものことだが」


 ハロルドがちょっと引いている。


 どこからともなく現れたレイラは、にこにこと異母姉オリヴィアにくっつき、「ごきげんよう、殿下」とたいそう可愛らしく挨拶した。


 オリヴィアもにこにこにこと微笑み、妹のチョコレートブラウンの髪を撫でる。


「オリヴィアお姉さま、殿下と扉を探すのですか?」


「あらあら、また盗み聞きしていたの? そうよ」


「レイラもお姉さまと一緒がいいです。一緒に冒険します! ……だめ?」


 スカイブルーの瞳をうるうるさせ、レイラはオリヴィアをじっと見つめた。妹のワガママに、この可愛らしさにオリヴィアは弱い。


「ねえ殿下、」


「ああ、わかったよいいよ三人で探そう」


 オリヴィアが言い終わるより先に、ハロルドは諦めたような声で返事した。するとレイラは「やったーー!」と明るい声を上げ、オリヴィアにぎゅうっと抱きつく。


「よろしいのですか? 殿下」


「レイラがいた方が、きみも楽しいのだろう。どうせ、許さずともついてくるのだ。変わらない」


「……ありがとうございます」


 そんなこんなで、オリヴィアとレイラとハロルドは、それからよく三人で行動するようになった。


『きみたちには、ふたりとも、元の世界に帰ってもらおう』


 ヒロインレイラ悪役令嬢オリヴィアを元の世界に帰す扉を探すために。





 王宮書庫で調べ物をしたり、公務のついでにそれらしき場所に出かけたり。三人は、少年少女の時代を仲良く過ごした。


「――おいっ、レイラ、危ないだろう。俺のオリヴィアをそんなに引っぱるな」


「わたくしは殿下の婚約者ですが、あなた様に所有された覚えはございません」


「ぐ……っ、オリヴィア、そういうことじゃなくてだな」


「うふふ、オリヴィア姉さまはわたくしのものですからね」


「レイラ、きみというひとは……! いつまで姉さまにべったりのつもりだ?」


「わたくしたちは一緒に元の世界に帰るのです。いつまでもべったりでも問題ありませんわ!」


「それは……そう、だけど……」


 自由奔放なレイラは、ハロルドをしょっちゅう困らせた。

 人の不幸で喜ぶ性の悪役令嬢に転生したからだろうか、オリヴィアは彼の困った顔を見る時間をまあまあ楽しんだ。


「オリヴィアお姉さまーっ!」


「なぁに、レイラ。そんな大声を出して」


 オリヴィアはレイラの前世が日本人だということまでは聞き出したものの、はぐらかされ、彼女の前世についてそれ以外のことは知らなかった。


 オリヴィアもオリヴィアで、前世のつまらない話など、詳しくはレイラにもハロルドにも教えていない。それでいいと思った。



 やがて、十歳頃になると――三人それぞれの〝キャラらしさ〟は強まっていった。


 オリヴィアに甘えてばかりいたレイラは、ハロルドとふたりきりで過ごす時間をつくるようになった。どことなく、ちょっとだけ、オリヴィアと距離を置くようになった。


 オリヴィアをこの世界から追い出そうとしつつも一応は婚約者らしく扱ってくれていたハロルドも、だんだんと彼女を「俺のオリヴィア」などとは言わなくなった。

 オリヴィアを前にすると、難しい顔になることが多くなった。彼女にとって、なぜだろう、それはあんまり楽しいことではなかった。


 オリヴィアは、ハロルドやレイラの困った顔や悲しい顔が見たくなった。それで意地悪を始めた。ときどきレイラを泣かせた。もしかすると、ふたりに、もっと構ってほしかったのだ。



 ――だから、オリヴィア・ヴィルスティリアは。


「□□□姉さま」


「……え?」


「わたくしですよ、姉さま。……ずっと気づいてくださらないんですもの」


 十四歳のレイラが、たった一度だけ、唇にキスしてくれた時のことを。


 夢だと思いたかった。忘れたかった。


 きっと、ほんとうは、ハロルドとレイラとオリヴィアと三人で、ずっと、この世界で一緒にいたかった。叶わないとは知りながら。


 前世なんて忘れて。見ないふりをして。


「……れいら?」


「はい、れいらです」


 ――あなたが前世の妹であることも、何もかも。





 消えたままでいれば、今、こうしてハロルドの腕の中で年甲斐もなく泣かずに済んだのに。

 妹とよく似た娘の前で、みっともない姿を見せずに済んだのに。


(あなたには、敵わない。あなたを忘れたままでいるなんて……、できなかったわ、わたくしは。やっぱりね)


 ハロルドの胸の温かさの愛しいこと、それが、今も若い頃のように悔しい。


 あの日のように、気に入らない。

 気に入らない。

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