第9話(それでも、俺は、全力だった)



 ――ずっと……ずっと、待っていた。

 きみが、思い出してくれる日を。

 あの子の遺した言葉を胸に抱えて。

 二十年。あの日から、二十年も――



「オリヴィア」


 ふらりと倒れそうになった妻へ寄り添い、ハロルドは彼女を抱き留める。


 オリヴィアが、幼い少女だった頃も。病み狂った悪女と呼ばれた頃も。ひとりの母となってから今までも。


 彼の人生のほとんどの時を、男は、このオリヴィアというひとりの女を見守って過ごした。


「オリヴィア、……大丈夫だ。きみは、泣いたって悲しんだっていい。今更なんてことは、ないんだよ。……オリヴィア」


 チョコレートブラウンの髪を撫で、ハロルドは空を仰ぐ。


(――レイラ。きみの姉さまは、やっと……)


 レイラ・ヴィルスティリア。

 もう、この国にいない女性。


 十五歳で世界から消えた彼女が、妻の妹のことが、ハロルドは心底憎かった。


(きみたちの前世を、俺は話に聞いた程度にしか知らない。だから、今のオリヴィアが抱く感情の大きさも……遠くから想像することしか、できない。それが、今も、もどかしい)


 記憶を消してしまうほどの恋を、記憶を亡くさなければ心を壊してしまうほどの恋を、妻の心に抱かせた相手。自分の最愛のひとの、初恋の相手。


 それが女で、彼女の妹で、前世から彼女が慕っていた、今はもういないひととなれば。


(勝てっこなかっただろ、最初から。うん。闘える相手じゃなかった。違いすぎた。……それでも、俺は、全力だったよ。きみが振り向いてくれなくても、ずっと、きみを愛していたよ。オリヴィア)


 この世界で出会った瞬間から、叶いようのない恋だった。彼が好きになったひとは、彼を恋愛対象としては見なかった。


 ヒロインと恋する攻略対象。妹の運命の相手。


 そう思い込んで、勝手に決めつけて、範囲外に置いて。憎たらしいったらありゃしない。そんなところもまるごと好きで、可愛かったけれども。


 オリヴィア・ヴィルスティリア――娶っても彼のモノにならない孤高の華。


 と、その妹。レイラ・ヴィルスティリア。


 恵まれた生まれの男を狂わせた、魔性の姉妹。




『ハロルドさま。……姉さまのことを、お願いします。幸せにしてやってくださいな』


(言われなくとも)


 そう、憎き彼女に託された時は思ったものだが。今になって考えてみれば、彼女がそうやって願ってきたからこそ、ハロルドは対抗心を剝きだして、オリヴィアに強く迫れたのかもしれない。


 とは言っても、彼がアプローチを本格化したのは、邪魔者ライバルがいなくなってすぐではなく――レイラが消えた、三年後から、ではあったが。



 そもそも、レイラがいなくなったのは、卒業パーティーの後ではない。


 レイラ・ヴィルスティリアは、学院に入学していない。


 学院入学前――オリヴィアの言葉を借りるなら、ゲームのスタート前――に、彼女はもう、消えているのだ。


 ハロルドが、レイラをオリヴィアから奪った。


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