第8話「もう、思い出してやれ」
結婚式の次の週末。
晴れて夫妻となったハロルドとオリヴィアは、レイラの〝最後の場所〟へと赴いた。
そこは――崖であった。
「何か……思い出す? どうかな」
「ここから、レイラは落ちたのですか」
「あの時は、柵が無くってね。ここから、レイラは落下して……そのまま、消えて、見つかっていない」
「わたくしとハロルド様は、一緒にいたのですよね」
「ああ、三人で居た」
「何も……思い出せません」
レイラが好きだった花を供え、オリヴィアは手を合わせる。前世、日本人だった時のような追悼の仕方だが、ハロルドが受け入れてくれたのでこのままだ。
(わたくしは、本当に、面倒くさい女で……他所からは、気が狂っているとも囁かれていて。世間から厭われる存在で。……でも、それでも)
この数ヶ月――修道院で、レイラの死を初めて告げられた時から、今日この日まで。
ハロルドは、ずっと、こんなオリヴィアのことを受け止めてくれた。慈しんでくれた。優しく愛してくれた。
(これが、恋なのか、何なのかは、わからないけれど――)
「ハロルド様」
「ん? なんだい、オリヴィア」
「ここに来ても、思い出せないということは……わたくしは、もう、あの子の真実を思い出せないのかもしれません。レイラのこと、もう、わからないままなのかもしれません。それは、とても悔しいのですけれど……でも」
「うん」
「ハロルド様の優しさや、向けられた愛情は、よく覚えております。おかしくなったわたくしのことも、受け止めてくださったこと。感謝しております。恋であるとは言いきれずとも、わたくしは、あなたのことを……好ましく想っております。――あのねっ、ハロルド」
ん、と彼が小さく返事する。
オリヴィアはハロルドを真っ直ぐに見つめ、彼の髪から頬へと手を滑らせた。彼の眦を撫でながら、彼女は美しく微笑んで言う。
「レイラの死について、冥婚や遺体のこと――黙っていたこと、それは、わたくしのためだったと信じております。わたくしは、あなたを信じます。……もう、逃げようとはしません。ハロルドの隣で生きます。まだ、自信は、ないけど。あなたと幸せになれるように、頑張ります」
「ん、ありがとう。俺も、オリヴィアを幸せにできるように頑張るよ」
「……好き、です。ハロルド」
「無理はしなくて、いいけど……。うん。いくらかは、俺も、オリヴィアに好きになってもらえたのかな。そうなら嬉しいよ」
「一緒に幸せになりましょう? あなた……」
と、ちょっと背伸びをして。
オリヴィアはハロルドにキスをした。
彼女のチョコレートブラウンの髪を梳き、ハロルドは「大切にするよ」と甘く囁く。
オリヴィアは、レイラの死の真実を思い出せなかった。
欠けた記憶は、帰ってこないまま。
恋というものも、よくわからないまま。
前世、どうして自分が死んだのかも思い出せない。
それでもハロルドと一緒に生きていきたい。レイラがいない世界でも、彼の隣でなら、もっと生きたい。
そう思えたから、きっと、これで良かった――。
オリヴィアとハロルドは、穏やかに、温かい家庭を築いた。
やがてオリヴィアは懐妊し、結婚から一年と数カ月後の春には、娘レティーシャが生まれた。
チョコレートブラウンのふんわりした髪に、澄んだ蒼色のきらきらした瞳。
母の髪と父の瞳の色とを継いだ娘は、美しく可愛らしい子に育った。
レティーシャ、十五歳の春。三月。
彼女は「母さま、ちょっと」とにこにこ笑顔でオリヴィアの手を引いた。
レティーシャの着ているドレスに、オリヴィアは、なぜか懐かしさをおぼえる。
娘の勢いと可愛いワガママに押されて、オリヴィアは彼女の指定したドレスへと着替えた。
(あら? これって……)
身支度を終えると、レティーシャは「あら母さまったらお綺麗よ」とおどけた調子で言う。
母と娘、屋敷の中を連れ立って歩く。
常日頃から「母さまー」「母さまっ」とオリヴィアにべったり甘えた気質のレティーシャは、甘えっぷりに磨きをかけ、今日はことさら楽しげだ。にこにこにこと母の隣にくっついた。
何かを企んでいるのかしらとオリヴィアは首を傾げ、娘の髪をさらりと撫でる。
今世の幼少期や前世の生き方からは信じられないほど、オリヴィアは、母として素敵な家庭を築けた。
ハロルドが隣にいてくれたからこそ、一緒に頑張ってくれたからこそ、彼女はこうして母になれた。
かつては愛されない娘であっても、自らの娘を愛せた。
オリヴィアは、そう思う。
「――あら、あなたも……? みんなして、どうしたのかしら? 流行り外れの衣装ね」
「はは、……やっぱり俺には似合わない、かな。べつに俺は、これじゃなくても、と思ったんだけど……」
「いいえ、なんだか懐かしくて……お似合いよ、ハロルド。若い頃とまた違った魅力があって、かっこいい」
「そうやって褒められると、むず痒いな……ごめん、ありがとう。オリヴィアも、レティーシャも、可愛いよ。さすがは、我が妻と娘だ」
「父さまったら、母さまといちゃいちゃなさるのは後にしてくださる? 早く行きましょう? 大切な日でしょ、夜になったら困っちゃう!」
「はいはい、言われなくとも。そう焦るなって、おてんば娘め。――では、行こうか、オリヴィア」
「えっと……お出かけ、なのよね? ちょっとした?」
「そう、ちょっと三人で、ね」
ハロルドはにこりと悪戯っぽく笑い、オリヴィアのエスコートをして外に出る。
こうしてハロルドの隣を歩くのにも、十数年の結婚生活ですっかり慣れた。
三人は、かたかたかた、馬車に揺られる。
そこは――崖であった。
娘と夫に連れてこられたのは、あの崖であった。
(道中から、もしかして、とは思っていたけれど……)
いざ、この場に来ると、オリヴィアは年甲斐もなくオロオロした。
(あれは、なに……?)
現場には――かつてレイラが落ちたという崖には。
取り付けられていたはずの柵がなく、なぜか、一枚の扉と枠らしきものが置かれていた。
ピンク色だったら、まるで前世の某アニメ、どこでも行ける道具みたいなのにね……と遠すぎる記憶が引っぱり出される。
数十年前に生きた世界。死んだ世界。
(かつて、あの子も、この扉を見て、そんなことを――言った)
遠い記憶が、引っぱり出される。
(れいら。レイラ。れいら。……れいら?)
れいら。その名前は――――――
「ここは……どうして……ここに?」
「レイラのことを思い出す、チャンスだと思ってね。レティーシャと話して、準備をしていたんだ。今のきみを信じて。今のきみなら、あの子がちょっと彼女のふりをしても……取り違えないと、信じて」
なあ、オリヴィア。と。
ハロルドは、掠れた声で彼女を呼んだ。
「あの日と同じ光景を見て、思い出して」
「いや……どうして……いまさら……」
「ずっと、きみを見てきた。ずっと……。もう、大丈夫だよ、オリヴィア。もう、思い出してやれ。レイラの真実を、残した言葉を。……別れを」
懐かしい、軽やかな足音が――背後から、した。
聞き慣れているはずなのに、聞き慣れた音とちょっと違う。
たん、たん、たん、たん。
これは、彼女の……
「――〝お姉さま〟っ!」
その声に、オリヴィアは思わず振り返る。
――居た。
ふわふわのチョコレートブラウンの髪。
きらきらと眩しい、蒼色、の瞳。
半分の血を継いだ可愛い子。
「……あぁ」
大丈夫。
あの子は、レティーシャであって、レイラではない。
大丈夫。
あの子は、愛しい娘であって、異母妹ではない。
それでも、
「れいら……れいらっ、れいら――!」
どこかレイラと似た容姿に育った彼女は、あの日のレイラと同じ衣装を纏った彼女は、レイラのように彼女をお姉さまと呼ぶ彼女は、この場面は、扉は、崖は、あの日を再現したハロルドの存在は、オリヴィアの記憶を呼び起こすのに十分だった。
オリヴィアは、思い出した。
思い出して――しまった。
レイラがこの世界から消えた本当の理由を。
オリヴィアが記憶を消した本当の理由を。
前世、自分が人生を終えた時のことを。
そして――
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