第7話「でも、遺体がないでしょう?」


 恋情がなくても、いちゃいちゃすることはできる。

 キスだってできる。


 前世から、そう、知っている――ような、気がする。


 ヴィルスティリアの家へ挨拶に行ってから、オリヴィアは、ハロルドへの【恋】に溺れた。

 彼を愛せれば、それ以外のことはどうでもよくなるからと。きっとそうだと。これで大丈夫だと。


 ハロルドを愛していると自分を錯覚させるように、彼を誘った。



「――オリヴィア、無理をするな」


「無理なんて、しておりません」


「してるだろ。俺は、きみを雑に抱きたくない。下手な色仕掛けは、やめてくれ」


「……やっぱり、まだ、レイラが好き……? わたくしは、二番目以下?」


「そんなことないって――」



 面倒くさい女に堕ちてしまった、という自覚はある。

 けれど、どうしていいか、わからない。


 この壊れた心の直し方が、わからない。



「面倒くさい女で、ごめんなさい……」


「それでも好きだよ、大丈夫。生半可な覚悟でやってない」


「ほんとうに、わたくしのこと、好き……?」


「もちろん、愛してる」



 まるで束縛系メンヘラ彼女になってしまった。


 こんな女にはなりたくないと、前世から思っていたはずなのに。


 どうして、彼に、こんなにも心を揺さぶられるのだろう。


(ハロルド様のことが、好きなのかしら。……そうだと、いいわね。これが恋なら、よかったのに)


 オリヴィアには、恋が、わからない――……



「早く結婚したいです」


 ぐちゃぐちゃの心に振り回されるのに疲れたから、早く、取り返しのつかないところまで行きたい。


 終わらせたい。


「俺も、オリヴィアと結婚したいよ」


 きっとオリヴィアの心をわかっていて、彼は気づかないふりをしてくれる。

 捻くれた彼女の態度を咎めることもなく、ただ愛だの恋だのと情を伝えてくる。


 いっそ恨めしい。


 オリヴィアのことを愛せるハロルドが羨ましい。

 誰かを真っ直ぐに恋い慕える彼が妬ましい。


(わたくしには、レイラしか、いなかった。妹しか愛してこなかった。だから、)


 オリヴィア・ヴィルスティリアは…………







「――オリヴィア、ごめんな」


「なに、が?」


「きみを、修道院から、連れ出さなければよかったかもしれないって。今更ながらに思う。レイラのこと、中途半端に伝えて、困惑させて、ごめん」


「でも……もしも、ハロルド様が、迎えにきてくださらなかったら。わたくしは、レイラがいないことを忘れたままだったのでしょう? ……なら、これでいいのです。わたくしは、レイラのことを、いつか思い出したい」


「彼女の……最後の場所に、行ってみるか?」


「へ?」


 ハロルドの蒼の瞳が、真剣な色を帯びてオリヴィアを見つめる。


「レイラの、転落死した場所……落ちた場所?」


「そうだ」


「行きます」


 迷いはなかった。


 力強く頷いたオリヴィアに、またハロルドは、ふ、と切なげな笑みをこぼす。


「じゃあ、結婚式が終わったら、行こうな」


「うん――」


 オリヴィアは、なんとなく、ハロルドに口づけた。


 感謝したからか。好きになりたいからか。

 亡きレイラと張り合いたいからか。


(前世でも、今世でも、わたくしは、異母妹あなたに敵わない……)


 どうして、あなたは、いつも。






 あっという間に――結婚式の日がやってきた。


 純白のドレスに身を包んだオリヴィアを、ハロルドは「とても綺麗だ」と褒めてくれた。


 式は順調に進み、ふたりは誓いの言葉とキスを交わす。


 半年前の卒業パーティー、婚約破棄の場面を演じた時から見ると信じられないことに、オリヴィアとハロルドは夫婦として結ばれた。


 幼少期から婚約してきたふたりが、波乱を経て、あるべき形に戻った。そんな物語のような結婚であった。



 新郎新婦は寄り添いあい、客に挨拶をしていく。


「――兄上」

「ああ、王太子殿下」


 同腹の弟王子を前に、ハロルドはニッコリと嬉しそうに笑った。


 その時、なぜだろう、オリヴィアの体は、ハロルドの方へさらに近づくように引き寄せられた。


 何かから守ろうとするようだった。


 ふたりはニコニコと言葉を交わしていく、が。


「ところで、レイラ嬢のことですが」


 王太子から、レイラの名が口に出された時。


 ピリリとした空気が辺りに流れた。


「レイラが、何か……?」


 とオリヴィアは首を傾げる。


 王太子は彼女を蔑むように一瞥し、話を続けた。


「冥婚を選ぶほど、兄上は彼女を愛していたのに。なぜ諦めてしまったのです? たった三年で……まるで結婚さえできれば何でも良かったみたいだ」


「王太子殿下、おやめください。その話は、あとで」


「兄上が囲っているから、夫人と話せる機会はめったにないのですよ。あとで、なんて悠長なことを言っていられません。――兄上、なぜ、レイラ嬢を死んだことにしたのです?」


「ハロルド様……?」


 話の雲行きが怪しく、不安になって、オリヴィアはハロルドをじっと見上げる。


 夫ハロルドは、どこか焦っているようだった。


「レイラの死は、俺とオリヴィアで見届けました。オリヴィアは、今、記憶を失くしていますが……レイラは、本当に、亡くなっています」


「でも、遺体がないでしょう?」


 王太子の言葉に、オリヴィアの心臓はドクンと跳ねた。


 ――遺体が、ない。


 ギリ、と歯ぎしりの音がして、見ればハロルドは弟王子を睨みつけている。


「やめてくれ、頼むから、オリヴィアに聞かせるな……」


「いつまで、そうして、黙り続けているおつもりですか。すべてを捨てて彼女を選んだ兄上が、なぜ、沈黙を貫かれるのですか」


「俺ら夫婦には、俺らの事情が……ッ、――あります、から。王太子殿下にご心配をいただくことではありません」


 バチバチと火花を散らすように睨みあうこと、数秒。


 ふたりの様子に、オリヴィアはハラハラさせられた。


 ――レイラの遺体が、ない?


 そんな衝撃的な言葉が頭の中を回り続ける。


 ぐるぐるした世界の中で、オリヴィアは、彼らの口論の終わりを見た。


 ふたりはニコリと作り笑いを浮かべて言う。


「お気遣いありがとうございました、王太子殿下。俺たちは、大丈夫です」


「左様ですか……では、お幸せになってくださいね? ハロルド兄上」



 そうして王太子は、人ごみの中へと消えていった。


「――ごめん、オリヴィア。怖がらせたか?」


「いえ、平気です……」


 また、去りゆく彼の後ろ姿を見て、オリヴィアは昔のことをちょっとだけ思い出していた。


『俺も、きょうだいと仲良くしたかった。オリヴィアとレイラみたいに……なりたかった』


 かつて、小さなハロルドは、オリヴィアにそう言って笑ったことがある。あの切なげな顔で、いとけなく。




 結婚初夜――


 オリヴィアは、初めて、ハロルドに抱かれた。


 ささやかな痛みや快楽の中で、彼女の頭には、あの言葉がゆらりとよぎった。何度も、何度も。


 ――レイラの遺体は、ない。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る