第6話「どうして死んでしまったの?」「転落」


 数日後。

 オリヴィアとハロルドは、オリヴィアとレイラの生家であるヴィルスティリアの邸宅へと向かった。


 訪問の約束を交わしたり……といったやり取りはハロルドが行なってくれ、オリヴィアは何もしていない。彼の気遣いに甘えた。


 彼からも、家からも、うっかり逃げださないように。その日まで、何もせずにダラダラと過ごした。


 彼に甘えてしまえば、拒絶できないから。

 関わらなければ、訪問の予定を消せないから。




 オリヴィア・ヴィルスティリアと、レイラ・ヴィルスティリアは、同い年の異母姉妹である。


 オリヴィアは今は亡き前伯爵夫人の子で、レイラは現伯爵夫人の子。生まれた時の立場で言えば、オリヴィアは正妻の子で、レイラは愛人の子だった。


 腹違いで同い年の姉妹という悪役令嬢とヒロインの設定は、オリヴィアの前世の家庭環境と重なる。

 妹が大大大好きで、その想いを拗らせた果てに悪事に走るというのも一緒だ。


(とは言っても、前世の妹の顔も、前世の悪事も、今となってはよく思い出せないのだけれど……)


 異世界で生活を送るにつれてか、オリヴィアの中で、前世のリアルの記憶は薄れていっている気がする。


 ゲームの物語はしっかりと覚えているのに、前世の自分や家族の記憶はぼんやりしているのだ。




(前世も、今世も、家族仲は良くなかったから、かしら……妹のことは好きだったけれど……旦那様と奥様は……)


 血の繋がった父親のことも、彼女は、お父様と呼ぶことを許されなかった。自分とは血の繋がらない夫人を、妹の母親を、奥様と呼ぶように。家では父を旦那様と呼んでいた。


 先に生まれても、愛されなかった。愛人から生まれても、正妻から生まれても。彼女の扱いは変わらない。


(いらない子なの。わたくしは)


 ハロルドと手を繋ぎ、オリヴィアは馬車から降りる。


 ――ヴィルスティリア伯爵邸。


 幼い頃から住んできた屋敷が、見慣れたはずの屋敷が、やっぱり、ちょっと怖かった。


「大丈夫かい、オリヴィア」

「……ええ、なんとか」


 ハロルドに身を預け、ぎこちなく微笑む。


 使用人たちに案内され、ふたりは応接間へと通された。


 ドキドキと緊張するオリヴィアの手の甲をハロルドが優しく撫で、気持ちを和らげようとしてくれる。


(こんなことをしていて、いいのかしら)


 オリヴィアは、ふと、自分の言動に違和感をおぼえた。


 レイラと結ばれるはずだったハロルドに甘え、愛情を享受し、これから結婚までしようとしている自分。


 悪役令嬢なのに、オリヴィアなのに、自分わたくしなのに、まるで幸せになろうとしているみたいだ。


(可愛いレイラが死んだのに、わたくしが生きているなんて許されるの……? わたくしは、生きていてもいいの? ああ、もしかして)


 殺されるのかもしれないなぁ、と朧げに感じた。


 伯爵か、夫人か、はたまたハロルドか。レイラを愛していた誰かさんに、これから自分は殺されるのではないかしら、と。


 だって――……


「オリヴィア」


「……なぁに」


「きみは、幸せになっていいんだよ。レイラだって、そう願っている」


「あら、ハロルド様は、人の心をお読みになれるのかしら?」


「……レイラの願いは、ただの遺言だけど。きみの心は、顔色や仕草からわかるよ」


「レイラはどうして死んでしまったの?」


「転落」


 転落、と。ハロルドは、たしかに、そう短く呟いた。


 オリヴィアの記憶にある限り、初めてのことだった。


(転落? それに……遺言?)


 転落。遺言。

 どちらも、オリヴィアの記憶にはない言葉だ。


(レイラは……転落死した、の? 遺言をのこして? それって……)


 ぐるぐると嫌な妄想が頭を駆け巡り、オリヴィアは、レイラのこと以外を考えられなくなる。


 後から思えば、ここまで、ハロルドの思惑どおりだったのかもしれない。


 彼女を冷遇してきた伯爵夫妻との会話を、彼女がよく覚えていられないように、なんて……。



 伯爵と夫人が現れ、話がサクサクと進んでいく。


 隣のハロルドが朗らかに笑い、ひどく楽しそうに結婚の話をする。

 オリヴィアは彼に導かれるままに頷き、にこにこし、彼を愛しているのだとか言いのけた。





 ――気づけば、廊下に突っ立っていた。


「あら……?」


 と戸惑っていると、ハロルドが説明をしてくれる。


 結婚の挨拶は、あっさり終わったということ。

 ふたりの婚儀は、秋頃に執り行うと決まったこと。


 そしてオリヴィアとハロルドは、今、レイラの私室の前にいるのだ――と。


「きみに、見てもらいたいものがあるんだ」


 ハロルドは神妙な面持ちで言って、レイラの部屋の扉を開けた。オリヴィアはごくりと唾を飲み込み、妹の部屋へと足を踏み入れる。


「……あ」


 レイラの部屋に、住人の気配はなかった。それなりに片付けられてはいるが、誰かの暮らしを感じさせる空気がなかった。


 主の不在を、よくよく感じさせる部屋だった。


 ――レイラは、もう、いない。


 何度も伝えられてきた現実に、あらためて、頭を勢いよく殴られたかのようだった。


「これ、を」

「これは……」


 ハロルドが指し示したのは、金製の台の上に置かれた、何かの紙と小さな石像。


(何かしら――?)


 彼の指に誘われるままに文字を追いかけ、石像を見――オリヴィアは衝撃をうけた。


 そこにあったのは、結婚の誓約を書き残した書の一種と、愛の象徴たる女神像であったのだ。


 ハロルドと、レイラの、結婚の証。


「ハロルド、様、は……レイラ、と、結婚していたの……?」


 オリヴィアの震えた問いに、ハロルドは淡々と頷く。


「冥婚という形ではあるのだが。レイラと俺は、夫婦になっている。オリヴィアとの結婚は、俺にとっては、再婚ということになるな。然るべき手順を、踏んだんだ。きみには、よくわからないかもしれないんだけど……」


「レイラは……わたくしが修道院に行く前に、亡くなって……? わたくしが修道院にいた間に、ハロルド様は、レイラと、結婚……冥婚を?」


「死亡届と婚姻届が受理された時期としては、そうだ」


「……っ、ハロルド、様」


 オリヴィアはハロルドに抱きつき、涙をこぼした。

 彼にも何かを言いたい気がしたけれど、それよりも、もっと先に訊かなければならないことがあった。


 レイラは、なぜ、死んだのか。


「オリヴィア」


「レイラは……わたくしのせいで……死んだの? わたくしが、意地悪をしたから、自殺してしまった……?」


「それは、違うよ。レイラは、自殺じゃない。きみのせいでもない」


「まだ……っ、まだ、思い出せないの……修道院に行く前に起きたことですもの、わたくしは、レイラが死んだことを当時から知っていたはずでしょう? それなのに、わたくしは、可愛いレイラのことを思い出せない……っ」


「…………ごめんな、オリヴィア。きみも、レイラも、何も悪くないんだ。ただ――」


 ハロルドに抱き返され、オリヴィアはメソメソと泣いてしまう。離宮に囲われたと自覚した日のように、空白の十日間の次の日のように。



 その日、オリヴィアは、記憶を失いはしなかった。


 レイラが転落死したこと。何かしらの遺言をのこしたこと。卒業パーティーの数日後に死んだこと。


 それらを、次の日も、その次の日も、覚えていることができた。


 彼の言葉に込められた違和感には、気づけなかったけれど――彼女は、真実に近づいている。

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