第4話「オリヴィアがいちばん可愛い」
――レイラとの思い出話に付き合ってほしい。
――妹の真実を思い出すのを手伝ってほしい。
それが、オリヴィアがハロルドにした頼み事だった。
オリヴィア・ヴィルスティリアが前世の記憶を思い出したのは――ゲームに登場する悪役令嬢に転生したと自覚したのは――オリヴィアが五歳の頃のことだった。
『お姉さまっ』
チョコレートブラウンの髪をふわふわと揺らし、異母妹がぎゅっと抱きついてくる。その瞬間、オリヴィアの中で前世の記憶が蘇った。
それまでのオリヴィアとしての記憶と前世の記憶とが結びつき、ひとつの答えをパチンと弾き出す。
――ここは、あの乙女ゲームの世界だ。と。
悪役令嬢の名前は、オリヴィア・ヴィルスティリア。
そしてヒロインは、[
このゲームでは〝ヴィルスティリア〟という家名だけは固定されていて、ヒロインの名前は、指定文字数以内でならプレイヤーが自由に入力できる仕様となっていた。カタカナ推奨。デフォルト名は、メアリー。
そして、前世の彼女がプレイしていた時のヒロインの名前は――レイラだった。そう、レイラだ。
この世界の異母妹も〝レイラ〟という名前であったことから、オリヴィアは、ここは自分がやり込んでいたゲームそのものの中の世界ではないかと考えた。
もちろん、西洋風異世界ファンタジーのキャラ名として、レイラという名は珍しくも何ともない。この名でプレイしていた人間は、他に何人も存在するだろう。ゆえに他の誰かがプレイした同ゲームということもあり得る。
そういうことは理解したうえで、けれど感覚的に、きっと自分のプレイしたものだと強く思った。
今のオリヴィアは、前世の自分がどうして死んだのかも思い出せないけれど……とにかく彼女は日本で亡くなり、自分がやり込んでいた乙女ゲームの中の世界で目覚めたのだ。
――と。始めの記憶の頭の中でひとり整理して。
いつものようにハロルドと一緒のベッドに入ったオリヴィアは、「姉馬鹿ですが……」と話を切り出した。
「――姉馬鹿の自覚は、ありますが。わたくしの妹は、とっっても可愛らしい子でした」
「そうだね。小さいオリヴィアは、レイラのことをよく可愛がっていて……とっっても可愛かったな」
「…………それ、どちらを可愛いと言っているのです?」
「オリヴィアをだよ」
「聞いておりましたか? わたくしではなく、可愛いのはレイラです」
「もちろんレイラもきみに似て可愛いところがあったけど、俺にとってはオリヴィアがいちばん可愛いよ」
「……もうっ」
オリヴィアは抗議の念を表すように彼の肩をコツンと小突くも、それさえハロルドは嬉しいようだった。まったく手に負えない。
ハロルドの笑顔から目を逸らし、向き合って横になった彼の胸あたりに視線を移して、オリヴィアは話を続ける。
「わたくしとハロルド様が出会ったのは、五歳の夏のことで……その時にも、わたくしのそばにはレイラがおりましたね。覚えておりますか?」
「もちろん、よく覚えているよ。きみと出会った日のことを忘れるはずがない……っと、記憶喪失のオリヴィアにこんなことを言っては、意地悪になってしまうか。ごめん」
「いえ。べつに、気にしませんわ。そんなことより――今のあなた様は、王太子ではありませんから、いいのかもしれないけれど――それでも、ハロルド様は公爵位にあられるのですから。どうか、そんなふうにお謝りになられないでください。わたくしは、あなた様がそうされるほどの立場の女ではありません」
「夫婦というのは、対等な立場で歩むものだろう? 俺はオリヴィアと夫婦になりたいから、ほら」
「そういうことなら、勝手にしてください。もう知りません」
「あははっ、きみの美点は、変わらないな。俺を諌めてくれる、しっかりした婚約者らしい言葉も。レイラばかりを可愛がって、俺には素っ気ないところも。何も、変わらない。――あの頃のまま、三人、仲良くいられたら、よかったな」
もうオリヴィアはハロルドの婚約者ではないし、三人で仲良くできることも、きっと二度とない。
オリヴィアはそれらに何か返すことなく、ちょっと黙ってから、口を開いた。
「…………あの頃というのは、」
ゲームのスタート前――「学院入学前ですか」と問うと、ハロルドは「ああ」と重たい声で頷いた。
オリヴィアの記憶によれば、学院に入学してから、ハロルドはレイラと恋をした。浮気らしい浮気を始めた。
……けれど。
「ねえ、ハロルド様」
緊張や恐怖感をおぼえていたつもりはないのに、なぜだろう、かすかに声が震える。
このひとは自分ではなく妹を愛するはずだと、この世界で目覚めた時から知っていたはずなのに。わかっていたつもりだったのに。ああ、そうだ、きっと理由は彼のせいじゃない。
今日もレイラのせいだ。違いない。
「なんだい、オリヴィア」
「わたくしと、レイラ……どちらのことを、より、深く好いておいででしたか」
「きみの愛する、きみの家族であるレイラも、もちろん大切だったが。それでも、恋い慕うひととして想っていたのは、オリヴィアだけ。俺は、ずっと……本当に、ずっと、オリヴィアが好きなんだよ」
ハロルドの姿勢は、変わらない。修道院を訪れた日から、ずっと、オリヴィアに真っ直ぐな愛を告白してくれている。ずっと好きだったと。愛していると。
オリヴィアは、泣きそうな声で、呟いた。
「……なら、わたくしの、この記憶は、何なの……?」
こんなにも、優しくされて、慈しまれて。
彼への素っ気ない態度に慣れているオリヴィアとて、心をまったく揺さぶられないわけではない。
彼のことを信じきれないのは相変わらずだが、かといって自分の見たもの感じたものを盲信もできず。離宮に連れてこられてから、自分への信頼はほろほろと崩れている。
彼の想いを聞くたび、触れるたび、自分の記憶の中の彼と自分の目の前にいる彼とが、まるで別人のように感じられる。心変わりをしたのは彼ではなく、どこからか何かが変わってしまったのは、自分なのではないだろうかと。
レイラの死の記憶を忘れているだけでなく、もっと、大きな思い違いをしているのではないかと。
オリヴィアは、悩んでいるのだ。困っているのだ。戸惑っているのだ。
そろそろ、変わらなければと。
一歩進む決心をしなくてはと。
まだ踏ん切りはついていないけれど……。
(きっと、ヴィルスティリアの家に、だから――)
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