第3話「デートだね」「はいそうですね」


「――きみの妹は、もう、この世にいない……」

「毎朝、言われずとも、それは知っております」

「結婚……しよ……」

「毎朝、言われても、それは嫌です」


 寝ぼけ眼で告白してくるハロルドに、オリヴィアは、幼子に言い聞かせるようにゆっくりと返事する。


 この離宮で暮らすようになって、二ヶ月ほど。


 あれよあれよと流されて、オリヴィアは、彼と一緒のベッドで眠るようになっていた。


 一線を越えてという意味では抱かれていないけれど、毎日ハグはされている。ぎゅーされている。


 客観的に見れば、理由とキッカケはどうであれ、オリヴィアはハロルドに愛されている。らしい。


「オリヴィア……」

「服の中に手を入れるのはやめてください」

「うん……あったかい……」

「殴りますよ?」

「好きだよ……オリヴィア」

「…………」


 こんなふうに寝ぼけている時でも、うっかり間違えてでも。もしも「レイラ」と呼ばれることがあれば、それを盾に、オリヴィアは修道院へ帰ろうとひそかに企んでいた。


 が、しかし。


(あなたが求めているのはレイラであって、わたくしではない、って。それなのに……まったくもう)


 ハロルドは二月を一緒に過ごしても、ただの一度も、オリヴィアとレイラを取り違えはしなかった。


 彼にとって、レイラはもう故人で、今の想い人はオリヴィアなのだ、と。認めたくはないけれど、日々、薄々と感じさせられている。


 レイラは、もう、いない。


 まだオリヴィアは思い出せないから、真実を教えてもらえないから、どうしてレイラがいないのかはわからないけれども。


(レイラ……)


 ハロルドは、未だに、レイラのことを『もういない』『死んだ』としか教えてくれない。

 オリヴィアの記憶にない日々の間に――空白の十日間に、その面においての彼女への信頼は地に落ちたのだろう。


 オリヴィアは、レイラの死について詳しい話を聞くと、ショックで記憶を失ってしまう。らしい。


 だから、たぶん、彼女は自ら思い出さなくてはならない。妹の喪失を乗り越えなくてはならない。


 オリヴィアが変わらなければ、彼女の中では、レイラが消えた事件の真相は、ずっと闇の中だ。


 それを知れずに生きることは、拭いきれない闇を抱えて生きることに等しい。


 オリヴィアは、なんとしてでも、知りたかった。

 妹の最期を思い出したかった。


「ん……おはよ、オリヴィア」

「おはようございます、ハロルド様」

「今日はデートだね」

「はいそうですね」

「好きー……」


 ぎゅうっと抱きしめられ、胸元に顔を押しつけられ、オリヴィアはため息をつく。彼の金髪に吐息がかかる。


 最近、いつも、こんな朝を過ごしている。




 オリヴィアとハロルドは、おそろいのお忍びコーデをして、街へと出かけた。おそろいなのは彼のワガママだ。


 修道院から離宮へと閉じ込める箱を変えるだけならまだしも、断罪された悪役令嬢をこんなふうに遊びに連れていっていいのかしらとオリヴィアは心配したけれど、まあ大丈夫なことになっているらしい。


 彼と手を繋ぎ、ぶらぶらと歩く。恋人つなぎも彼のワガママで、オリヴィアは仕方なく許している。デレているわけじゃない。


「――これ、オリヴィアに似合いそう」

「そうですか?」


 露店の花飾りを髪にあてられ、「いいね」と微笑まれ。まるでヒロインのような扱いね、とオリヴィアはやや冷めた目で思った。


 彼は嬉しそうにそれを購入し、オリヴィアの髪に手ずから付ける。


 彼女の瞳の色とそっくりの――すみれの花を模した飾りを。


「……ありがとうございます」

「うんうん、よく似合うよ。とても綺麗だ」


 ハロルドとレイラがお忍びで出かけた日、オリヴィアがこっそり後をつけて見た、学院時代のふたりのデートと似たシチュエーションだった。


 菫の花にそっと片手を触れ、空色のアクセサリーを身につけたレイラの顔を思い浮かべる。胸が痛む。

 隣で笑うハロルドの姿も思い浮かんでいたけれど、たぶん、彼は関係ない。


 オリヴィアが恋しいのは、レイラだ。会いたいのはレイラ。大切なのはレイラ。


(ハロルド様なんて――あ)


 ふと、お昼の明るい太陽に照らされた彼の横顔を見ていたら、幼い頃のことをぱっと思い出した。


 この世界に転生してきてすぐ、あるいは、前世の記憶を思い出してすぐのこと。


 オリヴィアと、ハロルドと、レイラは、三人一緒に遊んだことがある。いや、この表し方では足りない。


 学院に上がって、ハロルドとレイラが乙女ゲーム通りに結ばれる恋人らしくなってから、遠い思い出になっていたけれど――三人は、幼馴染なのだ。


(わたくしたち、乙女ゲームのオープニングとなる入学式の日までは――多少は、昔から、それぞれの役割らしさは滲んでいたけれど――それなりに仲良くしていたのよね)


 オリヴィアとハロルドの婚約が決まってから、一緒に遊んで、学んで、成長してきた、幼馴染。


 そこからレイラが欠けてしまったと思うと、ハロルドの隣を当たり前に我が物顔をして埋めていた彼女の不在を実感すると、さらに胸が痛くなった。


(これでは……ハロルド様だけが、何もかもを失って、損をしているみたい)


 オリヴィアと婚約をしていた頃は王太子の座にあったハロルドだが、今の彼は王太子ではない。臣籍降下し、一代限りの公爵となっている。


 この国の現在の王太子は、彼と同腹の弟王子だ。


『公の場で、婚約破棄という騒動を起こしたのだから。未来の王の座に居続けられないのは当然だろう?』と、いつかハロルドはオリヴィアに言って苦笑した。


 オリヴィアの生家とのことや王家とのこと――つまりはゲームでは描かれない現実的な後処理のこと――も、それとなく聞いてみたが、思っていたほど大変な事態にはなっていないらしい。


 彼のいわゆる〝真実の愛〟の相手はオリヴィアの妹であって、ふたりともヴィルスティリア伯爵家の娘であったから、いろいろと動きやすかったのかもしれない。


 賠償だ慰謝料だという問題に振り回されることはなく、ハロルドは、ただ王太子から公爵になった。それだけと言えば、それだけだ。


 でも、王となるべくして生きてきた彼が未来の王の座を失い、さらには、国王の決めた婚約を破棄してまで求めた想い人をも喪ったと思うと……。


(我がヴィルスティリアの家は――いえ、べつに)


 気を紛らすように、修道院に行ってから会っていない伯爵と現夫人のことをちょっとだけ考え、すぐに頭から振り払う。彼らのことは、どうでもいい。


(でも……レイラのことは、気になるから。いずれは屋敷に顔を出すことになるかしら。許されないかしら)




 彼と一緒に昼食を食べ、おやつに流行りのふわふわパンケーキも食べて。


「オリヴィア、あーん」

「恥ずかしいから嫌です無理です」

「じゃ、俺に食べさせて」

「……」

「ふふ、ありがとう。美味しい?」

「あーんは嫌ですが、とても美味しいです」

「それはよかった」


 予定を立てた時には気乗りしていなかったデートだが、存外に、いつしかオリヴィアも楽しめていた。


 久しぶりに外を出歩いた非日常は、彼女の心と頭を、いくらかスッキリともさせてくれた。


 この楽しさも、爽快感も、ハロルドのおかげだ。



「……ハロルド様?」

「うん? なぁに、オリヴィア」


 その日のデートの帰り道。夕方。かつてのハロルドが、レイラに愛を告白したような、街のひっそりした時と場所で。


 オリヴィアは、彼に頼み事をした。このくらいの甘えは、できる仲になっていた。


「――うん、いいよ」

「ありがとうございます」


 オリヴィアもちょっとだけ力を込めて彼と手を繋ぎ、歩いていく。馬車に乗る。


 デートが終わる。

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