第11話 悪夢の10日目 シルトホルンにて
トラベル小説
代わりばえのしない朝食をとって、車でラウターブルンネンというところに向かった。天気は悪く、小雨が降っている。駐車場につくと、近くに大きな滝があった。でも、滝つぼがない。
「どうして滝つぼがないの?」
「途中で水が細かくなって、気体になるのが多いかららしいよ。下も岩盤で、そのまま川に流れていくんだね」
「自然ってすごいね」
ロープウェイに乗った。2回乗り換えて、シルトホルンの展望台到着。展望台は雲の上だった。でも、山は見えない。風も結構ふいている。展望台はボンドワールドという映画007関連のミュージアムになっている。映画を見た人は、おもしろいかもしれないけれど、私は007の映画を見たことがない。全然おもしろくなかった。11時を過ぎたところで、最上階の回転レストランがオープンになった。いの一番で入場。ビュッフェスタイルのレストランだ。真ん中のビュッフェコーナーはまわらないが、座席のところは、1時間で1周するということだ。すごくゆっくりなので、座っていると、動いている感覚はない。メニューは豊富だったが、なんかよく分からない料理もあった。彼は少なめの料理にシャンパンももってきた。ワイン1杯はOKというのはスイスも同じなのだろうか? 彼は外の景色を見ながら、シャンパンを時おり口にしていた。いつものうんちく話は出てこない。私があきてきたのが分かったのだろうか。山が見えないのに外の景色のどこがいいのか分からなかった。
1時間たって、
「外の展望台に行こうか?」
と彼が言ったので、トイレに行ってからついていった。そのトイレがおもしろかった。各々の個室にさまざまな絵が描かれているのだ。前衛的な絵もあれば、ロボットの絵もあった。男性トイレには女性のヌードのシルエット画があったとのこと。007のタイトルに出てくるシーンと同じらしい。男がいやらしいのはどこの国も同じか?
外に出ると、展望台までは100mの雪の尾根を歩かなければならない。ロープがはってあるが、雪が積もった45度の斜面が左右に広がっている。10m下方には転落防止用の柵があるが、低いので勢いよく落ちたら乗り越えそうだ。
何とか100m先の円形の展望台に到着。下は90度の絶壁だ。彼と写真を撮り、
「寒いから早く戻ろうよ」
と、私は帰り始めた。すると、近くにいた女性が、
「キャー!」
と、この世の終わりのような叫び声をあげた。振り返ると、そこには彼がいなかった。手すりから下をのぞきこんだが、絶壁の先には何も見えなかった。ただ、足元に彼のセカンドバッグが置いてあり、思わずそれを拾い上げた。悲鳴をあげた女性がレストランのスタッフを連れてきて、私は事務所に連れていかれた。いろいろ聞かれたが、私には何を言っているかさっぱり分からなかった。ショックで、聞き取る気にもなれなかった。2時間ほどで、ポリスらしき人がきて、警察署につれていかれた。そこで、レストラン外の防犯カメラの映像を見せられた。私が背を向けたところで、彼は相撲のうっちゃりみたいな体勢で柵を乗り越えていた。私が押したわけでないことは、これで証明されたが、事故なのか自殺なのかを聞いているようだった。でも、さっぱり分からない。
夜になって、日本人がやってきた。大使館の職員だということだ。名前を聞かれ、その時の状況を聞かれた。また防犯カメラの映像を見せられた。その大使館職員は彼の知り合いだという。
「災難でしたね。あいつはおそらく自殺です。あなたはセカンドバッグを拾っていますね。それを見せてもらえますか?」
私は隠しても意味がないと思ったので、それを出した。中からは彼のパスポートや免許証・財布・車のキー・部屋のカードキーなどがでてきた。
「シルトホルンには車で来たんですか?」
「はい、ロープウェイ乗り場近くにレンタカーがおいてあります」
「どこのレンタカーですか?」
「A社です」
「そうですか。ちょっと待ってください。確認します」
と言って、彼は部屋を出ていった。5分ほどで戻ってきた。
「確認がとれました。明日チューリッヒの営業所に戻すことになっていたそうです。
明日、係の者が取りにくるというので、キーは預かります。車の中に荷物はありますか?」
「いえ、荷物はホテルにあります」
「それはよかった。帰りの飛行機は、明日のチューリッヒ発ですか?」
「いえ、3日後のパリ発です」
「パリで車を借りて、スイスで返して、パリから飛び立つ。変な話だ。私ならパリまで車で戻る。あいつならできない話じゃない」
「彼とは知り合いなんですか?」
「昔の同僚だよ。ベルギーの大使館でいっしょだった。あいつは文科省から派遣されてきた文化広報担当だった。日本から来る文化人の対応が主な役目で、あと日本人学校の担当だった。日本人学校の音楽の先生がお琴をするので、尺八をたしなむあいつは、二人でよく演奏会をやっていたよ。それに剣道と合気道の有段者だったので、日本人学校の体育館で日本人やベルギー人に教えていたよ。ところで、あいつとあなたの関係は?」
「旅行の友だちです」
「ふーん、ただの友だちじゃないよね。あなたの目元があいつの奥さんにそっくりだ」
「そうなんですか?」(それで私を指名したんだ)
「まあいいや。詮索してもしょうがない」
そこで携帯電話が鳴った。その電話を受けると、大使館職員の顔が険しくなった。
「あいつに殺人の容疑がかかっていると連絡が入りました。日本から警察官がくるそうです。あなたに事情を聴きたいということなので、明日パリのインターポールに連れていきます」
「インターポールって、あの銭形警部がいるところですか?」
「それは漫画の話です。インターポールが聞くわけではなく、あくまでも日本の警察官が聞くことになると思います。今日はホテルまで送りましょう。ホテルの会計は大丈夫ですか?」
「大丈夫だと思います。彼は前払いと言っていました」
「あいつらしい。しっかりしている。ますます自殺の線が強いな」
ホテルに戻っても、ショックでなかなか寝られなかった。今までの彼の言動や行動が、すべて今日の自殺に結びついているようで、頭が混乱していた。
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