第3話 3日目 ブルージュにて

トラベル小説


 昨日と同じようなコンチネンタルスタイルの朝食、今日はヨーグルトも食べた。どんな味かわからないので、おそるおそる口に入れたが、ストロベリー味はまずまずだった。

 9時にチェックアウトをし、近くのレンタカーオフィスへ。大手のA社だ。手続きを終えて、車に行くと、なんとメルセデスベンツが待っていた。

「これで行くの? すごい!」

「そんなすごくもないよ。日本では、500万円ぐらいで売っているスタンダードのベンツだよ。1日1万円程度で借りられるから、日本でベンツを借りるより安いし、何より安全装備がいいからね」

「駐在でいた時も、ベンツだったの?」

「いや日本車だったよ。H社に知り合いがいたからね」

 ベンツの乗り心地は最高だった。飛行機のビジネスクラスのシートを思い起こさせるぐらい快適だった。不思議だったのは、右側に座っていること。日本だと運転席なので、ちょっと違和感があった。でも、高速道路に入ったころには、対向車は左側を走行しているので、そんなものかと思うようになった。

 サングラスをかけた彼の横顔は素敵だった。スタイルは小太りなので、とてもいいとは言えないが、横顔だけは年を感じさせない初老の男性の良さを見せていた。じっと見ていたら

「どうかした? 何か顔についている?」

「いえ、そうじゃないけど・・」

何か気恥ずかしくて、素敵な顔とは言えななかった。

「まわりを見てごらん。フランスの耕作地帯に入ると、まわりが畑だらけになる。山が見えないので、地平線を感じられるよ」

 確かに、空港を過ぎると。建物が少なくなってきて、畑だらけになった。遠くに山がなく、ところどころに林があるくらいである。日本では見られないと思っていたら「北海道の景色とよく似ているね。規模は違うけどね」

日本でも見られるのかと聞いたら、ちょっとがっかりした。

 2時間ほどで国境を越えた。でも、車のスピードを落とすことなく、時速130kmのまま。どこかに監視カメラがついていて、パトカーが追っかけてくるのではないかと思っていたら、

「フランスもベルギーもEU加盟国だからフリーなんだよ。昔は検問所があって、車のトランクを開けられることもあったけどね。ベルギーに入ると、高速道路に街灯が建っているので、運転しているとすぐわかるよ」

そういえば、高速道路沿いに大きな街灯が並んでいる。

「どうしてフランスになくて、ベルギーにあるの? ベルギーは金持ちだから?」

「フランスが貧乏みたいだね。それはね。ベルギーでは霧がよくでるからだよ。視界50mでも時速100kmでとばす人たちだから、年に何回か追突事故が起きるんだよ。多い時は、50何台玉突きということもあったよ」

「なんで、そんなにとばすかな?」

「どうしてかな? スピード狂が多いからかな?」

とか何とか言っているうちに、ブルージュという街に入った。街の入り口の看板に

「Brugge 」「Bruges 」

と書いてあった。

「どうして、2つ書いてあるの?」

「よく気づいたね。上はオランダ語でブルージュ。下はフランス語でブルッヘ。どちらも公用語なんだよ。ここはオランダ語圏だからブルージュ」

「ヘー、ふたつの公用語があるなんてすごいというか、覚えるの大変そう」

「ふたつじゃなくて、みっつだよ。ドイツ寄りの地域ではドイツ語も共通語。国王の新年のあいさつは3ケ国語でするんだよ」

「国王すごい!」

「国民の多くは、英語も話すので、4ケ国語を話す人は珍しくないよ。知りあいの通訳の人は、ベルギーでは通訳のステイタスが日本より低いと、愚痴をこぼしていたよ」

「ヘー、そうなんだ。日本だったら通訳は大事にされるのにね」

 街の中央部の地下にある駐車場に車を停めて、まずはインフォメーションに行った。今夜泊まるホテルをさがすためである。彼は、そんなに時間をかけずにホテルを決めてきた。

「Hインがあいていたので、2泊申し込んできたよ。ホテルは郊外にあるので、今日は北の水の都と言われるブルージュを案内するよ。まずは腹ごしらえだ。ムール貝を食べに行こう」

「ムール貝、楽しみだな」

ベルギーの名物と聞いていたので、楽しみだった。歩いてすぐ、ムール貝の看板のある店に入った。もう1時を過ぎているので、お客はまばらだった。彼は、白ワイン蒸しとムール貝のグラタンを注文した。飲み物は、その店のオリジナルのビールだった。私はビールは苦手だったが、ここのビールはカクテルみたいな味がして、飲みやすかった。

「ベルギーはビール大国だからね。1500以上の種類があるんだよ。大阪と京都ぐらいの広さしかないのにね」

「お昼からビール飲んでいいの?」

「ベルギーではビールなら2杯程度、もしくはワイン1杯程度は酔っ払い運転にならないんだよ。もし、それで捕まるんだったら、午後は皆酔っ払い運転になっちゃうよ」

「へー、いいのかな?」

「基本は自己責任だから、事故を起こさなければいいんだよ。事故を起こすと厳しいけれどね」

「そういうものなのね」

と言っていたら、ムール貝が出てきた。びっくり。小さ目のバケツにどっさり。50個は入っているだろうか。

「こんなに食べられるの?」

「ふつうは食べられるよ。こうやって食べるんだよ」

と彼は、空のムール貝をつまんで別のムール貝を食べるやり方を教えてくれた。食べてみると、不思議な味がした。日本で食べるムール貝とは明らかに違う。白ワインの味なのか、いっしょに煮込んだ野菜のだしなのか、今までに食べたことがない味だった。しいていえば、ツブ貝のこしょう味か? 粒も大きくないのでパクパク食べられる。止まることなく、全部食べることができた。そうしたら、彼がムール貝のグラタンを3個くれた。これもガーリックがきいていておいしかった。

「すご~くおいしい」

と言ったら、彼は

「こうやって食べると、またおいしいよ」

とフランスパンをちぎって、グラタンのソースにつけて食べた。私も真似して食べてみたら、パンにソースがしみて絶品。残ったソースを全部平らげた。

「アイちゃんの食欲はさすがだね。こちらのフリッツもどうぞ」

と言って、フレンチフライのかごを差し出した。

「フリッツっていうの? フレンチフライというんじゃないの?」

「これはベルギー発祥の食べ物で、アメリカの開拓時代、フランス語を話す人たち、実はベルギー人だったんだけれど、その人たちが食べていたので、フレンチフライと呼ぶようになったんだよ。元々はフリッツという名前」

「そうなんだ」

そう言いながら手にとって食べてみると、これまたおいしい。おいもをふかした感じで、ふかふかしている。日本のフレンチフライとは明らかに違う。マヨネーズをつけて食べるのが一番おいしかった。

「おいしかった。もう食べられない」

と言ったら、

「ベルギー人は、一日1食主義なんだよ。ほとんどの家庭が夕食を豪華にして、朝食と昼食を簡単にするの。H社がベルギーに工場を建てた時に、社員食堂を作ったんだけど、利用するのは日本人だけでベルギー人はスープしか注文しなかったんだって。それで5時になると、さっと帰って家族みんなで豪華にディナーをとるんだってさ。農業が中心だった昔は、昼食が豪華だったらしいよ。実は、駐在の時に指をけがして、入院したことがあるんだ。その時、皮膚移植をする必要があるので、手術をするために3泊4日で入院したことがあったんだけど、2日目は絶食。3日目の午前に手術をして、その時の昼食が豪華だったよ」

「病院食でしょ。豪華なんてことあるの?」

「それがステーキだったんだよ。それもビール付き」

「すごーい」

「ところが、夕食はパンとコーヒーだけ。夜中に家に電話しておにぎりを差し入れてもらったことがあるよ。ところで、この指の皮膚、どこから移植したと思う?」

「う~ん、背中かな?」

「実はお尻なんだよ」

「えー! お尻の皮膚で私を触っていたの? やだー!」

そう言ったら彼は笑っていた。


 ムール貝の店を出て、ブルージュの中心部にある鐘楼に登った。300段を越す階段はきつかったが、彼の

「日本では体験できないことをさせてあげるよ」

という言葉にわくわくしながら登った。

 鐘楼から見るブルージュの街はきれいで、まさに中世のヨーロッパだった。遠くには高層マンションがあるが、旧市街だけを見れば、300年前の建物が多く、オレンジ色の屋根が連なり、中世の雰囲気が残っている。街中をめぐる水路に遊覧ボートがあり、

「あれに乗りたい」

と言ったら、

「いいよ。後でね。そろそろ3時だからショータイムだよ」

そう彼が言ったので、外を見ていたら、後ろから急に鐘が鳴りだした。15分ごとに街中で聞こえていた鐘の音が、すぐ近くで鳴っているのである。小さな鐘の時は、きれいに聞こえるが、大きな鐘の時は、空気がふるえるぐらいの轟音である。耳がおかしくなるんじゃないかと思った。鳴り終わると、

「どうだった? メロディのなる鐘で、カリヨンという世界遺産なんだよ」

「遠くで聞いていた方がいい世界遺産だね。耳がおかしくなりそうだった」

「これも自己責任。いやな人は登らない」

 次に行ったのは、ノートルダム教会だった。そこに赤ん坊をだいた白亜のマリア像があった。彼は、そのマリア像に向かって手を合わせ、しばらく祈っていた。ちょっと近寄りがたい雰囲気だ。お祈りが終わると

「家内がクリスチャンで、このマリア像が好きだった。かのミケランジェロの作品なんだよ」

私は芸術にうといので、どの程度いいのかわからなかったが、確かに見事な彫刻だと思った。

「第2次世界大戦の時に、ナチスに強奪されて、オーストリアに隠されていたのを、アメリカ軍が見つけだして、ここに戻してくれたんだ。ベルギー国内の芸術品は、結構そういうのが多いんだよ」

彼の物知りには脱帽である。

 その次は、お楽しみのボート遊覧である。乗り込む時に

「Where are you from ? 」

と船頭さんに聞かれた。彼が、

「Japan 」

と答えると、

「コ・ン・ニ・チ・ハ」

と挨拶してくれた。日本語がわかるのかと思ったら、それだけだった。船頭さんは、いろいろな国の挨拶をしていた。

 ガイドは英語だった。さっぱりわからないので、景色だけ楽しんでいた。段差のある三角屋根の家が多く、家々にシンボルがあった。そのシンボルによって、その家の職業や格がわかるとのこと。

 低い橋をくぐる時には頭を下げなければならなかった。水路沿いでがらくた市をやっているところもあった。街中を歩くだけでも楽しいと思った。30分ほどでボート遊覧は終了。彼はコイン1枚を私に渡して、

「船頭さんへのチップだよ。握手しながら渡すんだよ」

と言ってくれた。私が降りる順番になり、船頭さんにチップを渡そうとした時、コインを落としてしまった。それを拾って、おじぎをしながら

「サンキュー」

と言って渡したら

「Oh , japanese style . ア・リ・ガ・ト・ウ・ゴ・ザ・イ・マ・ス」

と返してくれた。彼に、

「日本人が英語で話し、外国人が日本語で話すなんて、おかしいね」

と言ったら、彼は笑っていた。

「6時過ぎたから、ホテルにチェックインするよ」

ということで、車にもどりホテルに向かった。郊外にある有名なホテルチェーンだった。なんとダブルベッド。今日こそはラブラブと思いきや、

「アイちゃん、おなかすいてる?」

「ううん、お昼食べ過ぎたみたい」

「じゃあ、バーでワイン飲もうか?」

「いいわね」

と、いっしょにワインを飲んで部屋に戻ったら

「今日は運転で疲れた」

と言って、さっさと背中を向けて寝てしまった。

「このいけず!」

と言ったけど、反応はなかった。

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