エピローグ

 夏の日照りは徐々に落ち着き、少しずつ葉っぱの色が移り行く季節になった。


 三年生が引退して、若くてエネルギー溢れる部活動の声が響く体育館。その裏で、男女は向き合っていた。


「小生と付き合ってください!」

「お断りします!」


 楓がバッサリと切り捨てると、ガングロメイクの少年はうなだれた。


(あ、小生って言ってるから小生君か)


 あまりもの変容ぶりを見て、楓は舌を巻いた。


 夏休み前までは地味な格好をしていた小生君だが、今はガングロメイク それでも影の薄さは健在で、奇抜な格好で歩いていても先生に注意されることすらもないのだ。


「折角、ナイスダンディ風になってきたんですけど……」


(あ、ヒゲついてる)


 よく見ると、真っ黒な鼻の下に付けヒゲがついていた。ヒゲよりも肌が黒いせいで隠れてしまっている。


 しかしそれでもナイスダンディには見えない。それどころか、細い体も合わさってガングロギャル男のように見えてしまう。


「だったら、今度は薄幸の美少女で……!」

「……あはは」


 小生君のあまりもの執念に呆れて、思わず乾いた笑いが漏れた。


(そろそろ行きたいんだけど……)


 なんとかして逃げられないかと考えていると、声が聞こえる。


「おーい、音流いるかー?」


 振り向くと、そこには陸の姿があった。


(あれ、いつの間にか下の名前で呼んでる……?)


 後でネルちゃんに訊こう、と考えながらニンマリと笑った。


(ちょうどいいじゃん)


 小生君の背中を押して陸に差し出した。


「あ、青木……と、く、黒っ!?」


 陸は変わり果てたガングロ小生君が誰かわからず、距離を取ってしまう。


「ほら、友達でしょ。ちょっと代わりに相手してあげて」

「ちょっ、誰!? 友達!?」


 陸の反応が不服だったのか、小生君は手を上げて


「小生です!」と主張した。


 すると陸は


「ああ、小生君か」と納得したように手を叩いた。

「小生君って何ですか!?」

「ごめん、わたしも心の中で小生君って呼んでた」


 楓の余計な一言でひどくうろたえた。しかし小生君はくじけない。


「なんなんですか! 小生にも親からもらった名前があるんですよ。

 いいですか。よく聞いてください。

 小生の名前は――」


 堂々と名乗ろうした矢先だった。


「同志。大変なことになりました!」と闖入者ちんにゅうしゃがやってきた。


 音流は楓の姿を見つけると、太陽のような笑顔を向けた。


「楓さん……と、小生君ですか? こんにちは!」

「こんにちは」

「はい、小生です……」


 小生君呼びが三人になったことで、小生君はついに意気消沈してしまった。そんな陰鬱な雰囲気をよそに、音流は陸に話しかける。 


「明日から三日間も曇り続きだそうです。一大事ですよ! これは今日中に日向ぼっこ溜めしないといけません」

「日向ぼっこ溜めって……」

「食い溜めの日向ぼっこ版です」


 呆れた様子の陸をひっぱり、音流は日向ぼっこへと駆け出していく。


「では、楓さん、後でお店の方に行きますので!」

「うん、了解」


 ブンブンと手を振りながら去っていったのだが、途中で転びそうになり、陸に支えられていた。


 台風のような少女が去っていくと、小生君はやる気を取り戻した。


「せめて青木さんだけでも……って、あれ!? もういない!」


 楓はすでに校門の前まで逃げていたのだ。


(ごめんね。しつこいのは嫌いじゃないんだけど)

 

 舌を出して、イタズラっぼく笑っていた。

 




 ドアを開けると、かすかなインクと紙の香りを漂ってくる。


 人一人分しかない本棚の間を通っていくと、こじんまりとしたレジが見える。


「のど自慢大会ではありがとうございました」


 楓がお礼を告げると、神経質そうな視線が向けられた。


「なんだ、来たのか」

「はい、買いたい本があるので」


 楓は迷いない動きで、本棚から一冊の本を抜き取る。


「お前、"あの曲"は無いだろ」


 "あの曲"とは、のど自慢大会で歌ったメタルロックのことだろう。


「好きなんだから仕方ないじゃないですか」

「お前はいいかもしれないが、お前のせいで八百屋どもがロックバンドを組み始めたんだぞ」

「それは……」


 予想外の展開に、楓は面食らった。


(パワフル過ぎない?)


 いや、それだけの活力が無いと商店街で生き残ってこれないか、と考えが行き着く。しかしそうなると、一つの疑問が頭をよぎってしまう。


(わたしが『人助け』する必要があったのかなぁ)


 でも何回も投げかけられた感謝の言葉を思い出して、細かいことはどうでもよくなってしまった。


「本屋さんはバンドに加わらないんですか?」

「ロックなんか歌ったら、本屋の面目がつぶれる」

「そんなことはないですよ」

「いいや、本屋が本から逃げるわけにはいかん」


(頑固だなぁ)


 楓がレジに本を置くと、隣から声がかかる。


「はて、おじいさん。こんな本あつかってましたかね」


 本屋の奥さんが突然言い出した。とても物腰が柔らかい人で、どこかお嬢様のような雰囲気がある。


 本屋さんはすぐに何かを察したのか


「確かにそうだな」と棒読みで言った。


(え? どういうこと?)


 楓が訳も分からずに顔をしかめていると、本屋さんが本をレジに通さずに紙袋に入れた。


「持っていって処分してくれ」


 お金を払ってもいないのに本を渡されて、楓は目を見開いた。


「え? いいんですか?」

「何を言ってるんだ。処分するのもできんのか」


(え、いつも万引きされると大変って……)


 一瞬言いかけて、呑み込んだ。本屋さんの奥さんが隣でクスクスと笑っていて、釣られて笑顔になってしまう。


「ありがとうございます」


 楓は深々と頭を下げた。


「この後はどこに行くんだ? 八百屋のところか?」

「いいえ、さっそくこれを読まないと。ああ、でも他に行くところがあるんです」

 

 本屋さんは自分から訊いたにもかかわらず、鼻を鳴らした。


「ねえ、いいことを教えてあげる」


 奥さんが耳打ちをしてきた。


「あの人、店では歴史小説ばっかり読んでるけど、家には恋愛小説がいっぱい積んであるのよ」


 へー、と楓は本に目線を落とす店主をマジマジと見た。視線に気づいたのか、訝しげに見つめ返してくる。


「今度、少女漫画でも持ってきますよ。おすすめのやつをいくつか」

「……そんなのいらん。本屋に本を持ちこむのは営業妨害もいいところだ」


 本屋さんはぶっきらぼうに言ったが、わずかに顔が赤くなっていた。


「最近、老眼が酷くて文字が読めなくなってきたから、助かると思うわ」


 奥さんが代わりに言うと「ごほごほごほ」と本屋が露骨にせき込んだ。


 なんだか暖かい気持ちになって、二人の老人の顔を見る。


「ありがとうございます!」


 楓は深々と頭を下げると、DIYの本を手に、本屋を後にした。




 楓が本屋に行っている間『Bruggeブルージュ喫茶』は場末のバーのような雰囲気が漂っていた


 その原因は、カウンターで倒れ込んでいる君乃だ。


「最近、楓ちゃんが相手してくれないのぅ」


 まるで十年来の恋人に捨てられたかのような悲壮感がにじみ出ている。


 君乃にとってはかなりショックなことなのだろうけど、巻き込まれた陸にとってはよい迷惑だ。


「そういうこともありますよ」となぐさめる声が隣から聞こえた。


 並んで座っている音流の真剣な表情を見て、陸はため息をついた。


「清水さんはどうしたんですか?」

「なっちゃんに呆れられちゃってええぇぇぇ」


(おい、婚約したんだろうに……)


 清水と君乃は、夏祭りの日に正式に婚約したのだ。お互いの両親公認になり、結婚の日時も色々と考えているのだという。


(知らないからな。誰かに取られても……)


 ふと一つのイタズラを思いつき、陸はグヘヘと笑った。


「好きですよ、君乃さん」


 ほんの軽い気持ちで、特大の爆弾を投下した。


 場末のバーは、一気に修羅場と化す。


「ちょっと、同志どういうことですか!? 事と次第によっては、開きにして天日干ししますよ!?」

「冗談だって!!!」


 慌てて叫んだのだが、顔を真っ赤にした音流は止まらなかった。


 音流の怒り顔が、陸のとぼけ顔に近づいていく。


「イッッッッッッ!」


 痛みを感じて、陸は大声を上げた。


 音流が陸の首に噛みついたのだ。大食いで培った力なのか、くっきりと歯型が残ってしまっている。


 音流はそれをスマホで写真に撮り、眉を吊り上げながら見せてくる。


「どうしてくれるの!?」


 陸が抗議すると、音流は毅然とした態度で返す。


「ごちそうさまです」

「いや、噛み跡がついていると困るんだけど」

「ごちそうさまです!」

「親に見つかったら大変なんだけど」

「ごちそうさまです!!」


(これ、何も聞かないヤツだ)


 陸は早々に諦めた。


「もういっそのこと、家に来て音流が説明してよ」


 陸の投げやりな言葉に、音流が目を丸くした。


「それって――」

「ねえ、そんなことよりもねぇ――」


 まだグズっている君乃と、鼻息を荒くした音流の声が重なった。その瞬間だった。


 バン、と。


 ドアが勢いよく開かれた。


 振り向くと、三人は一様にギョッとした。


 木材だ。楓が自分よりも大きな木材を担いで立っていたのだ。


「あ、えっと、お邪魔します」


 その後ろから、レジ袋を持った少女が顔を出した。その人物に、陸は見覚えがあった。


(たしか、バレーボール部の部長だったかな)


 恥ずかしいのか、顔を真っ赤にしていて、モジモジと内股を擦り合わせている。しかし、誰もその姿を見てはいない。


「なんなの、その木材は!?」と君乃が叫ぶように訊くと

「ちょっと巣箱を作ろうと思って」と楓が当然のように返した。

「巣箱!?」


 君乃はショックのあまり倒れそうになっていた。


「うん、カラスが親子三代で住み着いてもいいような、丈夫で大きい巣箱を作ろうと思ってるの」


 楓の新緑の瞳には青々しさはなく、情熱で真っ赤に燃えたぎっていた。


「じゃあ、ちょっと裏口あたりで作業してくるから」

「ちょっと、楓!? 巣箱って? え? 何をする気なの!?」


 疑問符を連呼する君乃を歯牙にもかけず、楓は部長を引き連れて奥へと消えていった。


 口が開きっぱなしの君乃と音流を放置して、陸はポツリと呟く。


「随分と両極端だなぁ」


 ふと青木父が言っていた言葉を思い出す。


(ジェットエンジン、か……)


 まさに今の楓にはピッタリの言葉だった。


(これでよかったのかなぁ)


 自然と目の前に置かれたレアチーズケーキに視線が移る。初めて食べた時よりも、ずっとずっと輝いて見える。


(今の味の方が好きだから、いっか!)


 陸はスッキリとしたレアチーズケーキを食べて、頬をほころばせるのだった。





 カラス兄は電線の上から『Bruggeブルージュ喫茶』を覗いていた。


 三人の少年少女をそれぞれ見る。


 鈴木陸。


――好きな祖父を亡くし、遺言に悩み、形見の腕時計すら失った少年。


 日向音流。


――祖父を亡くし、家庭が壊れて、心まで壊れて、日向ぼっこで死のうとした少女。

 

 そして、青木楓。


――生まれるとともに母親を亡くし、恩師の老木も倒れて、『人助け』に執着した少女。


 彼らはそれぞれ、異なる悲劇を経験してきた。


 そして誰も、その悲劇から抜け出せていない。失った人は、いないままなのだ。


 それなのに三人が三人とも、笑っている。


(オレも変わらんか)


 なんで人は死を悲しむのだろうか。遺言に苦しめられて、もう出会えない相手を想って、涙を流してしまうのか。


 もしその悲しみを乗り越えたとしても、現実は何も変わらない。


 死んだ人は死んだままだし、悲劇は悲劇のままだ。心のキズは治ることなく、死ぬまで残りつづける。


(理不尽だ)


 じゃあ、なんで悲しむのか。なんで乗り越えなくてはいけないのか。


 乗り越えた先にご褒美なんてないのに。


(いや、違うのか)


 乗り越えなくてもいい。ただほんのちょっと整理すればいい。だけど、それが凄く難しい。


 自分の中の気持ちはとても複雑怪奇で、少し見るだけで嫌になってくる。

 

 でも、きっとその奥には宝物が埋まっている。


(宝物……)


 カラス兄はいてもたってもいられなくなり、飛び立った。


 店の裏手で木材を切っている楓の前に降りると、じっとその顔を眺め始めた。


「どうしたの?」

『なんでもない。お前の顔が見たくなっただけだ』


 楓は一瞬驚いたのだが、すぐに優しく口角を上げた。


 しっとりと抱きしめて、囁くように言う。


「好きだよ」


 カラス兄は身を震わせて、ゆっくりと空を見上げた。


(きっと、全部これのせい・・・・・で、これのおかげ・・・・・・なんだろうな)


 清々しいほどの晴天が広がっている。


 空高く飛べば、どれだけ気持ちいいだろうか。


 しかし、今は飛ぶ気分になれなかった。


『なあ。妹』


 自然と呼んでしまう。


「なに?」


 楓から純粋な視線を向けられて、カラス兄は言いよどむ。


『……なんでもない』

「ふーん、そうなんだ」


 楓は唇を尖らせた後、頬ずりをした。カラス兄は受け入れて、穏やかに瞼を閉じた。


 この時間は永遠には続かない。


 そんなのは当たり前だ。


 でも、それを寂しく思う時点でもう――


「好きだよ!」


 青々しいが徐々に色づく頃。


 空がちっぽけに思える程、その笑顔は晴れ晴れとしていた。

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