第八十五話 チョメチョメ少女は遺された

 さっきまで立っていたステージ上では、今は男の子が歌っている。


 小学校低学年ぐらいの少年で、とても上手に、そして健気に歌っている。所々聴き惚れている観客がいる程だ。歌唱力だけで言えば、楓より何枚も上手だろう。


 どこかほのぼのとした雰囲気が漂う中、空気の読めない人間が騒いでいた。


「さっき歌っていた子、わたしの孫なのよ? 凄いでしょ!?」


 楓にとってはもう聞きたくない声だった。しかし今なら立ち向かえる気がしていた。


「あら、楓ちゃん。あなたやっぱり最高よ」


 祖母が媚びへつらっているのは明らかだった。


「でも、わたしと一緒に暮らせば、もっともっと素敵になれるわ」


(どの口が言ってるんだろう)


 楓は全部知っていた。腹いせにお店の妨害をしていたこと。それを邪防ごうとしたカラス兄をモデルガンで撃ったこと。


 そして思い出す。幼いころに突き付けられた心無い言葉。


『あなたが死ねばよかったのに』


 楓はありったけの想いを込めて、腕を振りかぶった。


(ああ、もっと早くこうすればよかった)


 目の前の顔を見ているだけで最悪の気分になる。でも、この気分を晴らす方法はとても簡単だ。


「ねえ、孫って言わないでくれる?」


 青木祖母は何を言われたか分からず、ポカンとアホ面をぶら下げていた。対して楓は不敵な笑みを浮かべていた。


 スパン、と。


 軽快な音が響いた。


 驚愕する祖母の頬には、赤いモミジが刻まれていた。


 反撃が来るかと思い、楓は身構えた。しかし祖母は頬を抑えたまま固まっている。拍子抜けして、これ以上追撃する気にはなれなかった。


 そのまま踵を返す。


 これだけで楓の怒りが収まったわけではなかった。しかし嫌いな顔をこれ以上見たくもなかった。


「ちょっと、楓!」

「あ、お姉ちゃん」


 心配気な表情をした君乃が駆け寄ってくる。


「無茶しないでよ」


 そう言いながら、君乃は楓の顔を抱きしめた。


「あの人、警察に通報したり、弁護士をけしかけたりしてこないかな」

「大丈夫だよ。プライドが高いから、孫に暴力を受けたなんて言いふらすわけがない」

「確かに、ありそう」

「絶対そうなるよ」


 楓には確信があった。血が繋がっているからこそ、祖母の思考を理解できてしまう。


(でも、家族じゃないし)


 血がつながっていても、何の思い出も共有していない。一緒にご飯を食べたことも無ければ、笑いあったことも、ぶつかり合ったこともない。血の繋がっているだけの、ただの他人だ。


「あの人は何しに来たのかな」

「わたしの夢を果たすために来たんだよ、きっと」


 楓がビンタの振りをすると、君乃はニヤけるように笑った。


「なんか、変わったね」


 そう指摘されると妙に恥ずかしくなって、目を合わせられなくなった。


「変、かな?」

「ううん、かっこいい。お母さんそっくりだった」

「そうなんだ」


 楓には実感がなかった。しかしトンと自分の中でピースがはまった気がした。


「教えてなかったけど、その浴衣はお母さんのお下がりなの。本当、アルバムで見たお母さんにそっくり」

「え……」


 楓は驚きのあまり、つい足を止めた。


「何で言ってくれなかったの? こんなにしちゃった……」

「だって、楓はお母さんの話になると、あまりいい顔をしないから」

「そういうわけじゃないんだけど。顔を合わせづらかっただけで」


 昨日まで、自分が殺した相手の遺影を、どんな顔で見ていいのかわからなかった。でも、今は顔を見たいと思える。


「そうなんだ」

「うん、そう」

「もっと早く、ちゃんと話しておけばよかったね」

「うん、そうだね」と言った後すぐに「でも、これでよかったのかも」と考え直した。


 君乃は楓の顔をジッと見つめ始めた。恥ずかしくなって顔を背けると、柔らかい笑みに変わった。


「遅くなったけど、言わせて。おつかれ。最高だった」

「歌? それともビンタ?」

「ごめんね、ロックはよくわからないの。ビンタはとってもいい音だったよ」

「それは残念。歌っていて楽しかったのに」


 二人はなんだか愉快な気持ちになって、クスクスと笑い合った。


「ごちそう、用意してるよ」

「うん、楽しみ」


 夏祭りの後は、家族水入らずのお疲れ様パーティーの予定だ。ついでに君乃と清水の関係を父親に認めさせる、という一大イベントもある。


(なんだか、お姉ちゃんと自然と会話出来るな)


 いつも遠慮して言えなかった言葉が、すんなりと言えてしまう。


「ねえ、お姉ちゃん。甥っ子はいつ?」


 突然の言葉に、君乃は思いっきりせき込んだ。楓はその様子を面白がりながら、背中を擦った。


「ちょっと何を言い出すの!?」

「あれ、姪っ子の方がいい?」

「そういう問題じゃない!」


 君乃の慌てる姿があまりにも面白くて、楓は満足げに笑っていた。


(昨日のわたしだったら、言えなかったかな)


 家族で一番幼いから、構ってもらえているのだと思っていたから。赤ん坊が生まれたら、その座を奪われるかもしれない、と考えていた。


(ガキかよ)


 でも今は違う。楓の胸の中には確信に満ちていた。新しい命を家族として受け入れられる、と。


 そうこうしているうちに家に――『Bruggeブルージュ喫茶』の前に着いていた。


「ただいまー」


 家に入って最初に向かったのは、仏間だった。


 線香に火をつけ、線香を立てる。そして母の遺影を見たのだが、「あれ?」と違和感を覚えた。


「ねえ、お母さんの遺影あんなに笑顔だったっけ?」。


 冷蔵庫を開けていた君乃に声を掛けすると、仏間まで駆け寄ってきて遺影を確認した。

 

「何言ってるの。何も変わってないじゃない」

「そうだっけ……?」


 小さい頃——祖母が来たトラウマの日には、もっと怖い写真に見えた記憶があった。だけど、今は笑顔に見える。


(写真が変わるわけないよね)


 そう思い直した後、手を合わせて、目を瞑った瞬間だった。


――おかえりなさい


 声が、聞こえた。モノの声のようにも、人間の声のようにも聞こえる不思議な声だった。


「え? なに? 楓、何か言った?」


 君乃が慌てている様子に、楓は目を見開いた。


「何も言っていないけど……」

「ほんとう?」と君乃は腑に落ちていない様子だ。


(え、ウソ……)


 もし聞こえたのがモノの声だとしたら、チョメチョメを持たない君乃に聞こえるのはおかしい。


(幻聴?)


 一瞬勘繰ったが、どうしてもそう思えなかった。


 また遺影を見る。


 自分と瓜二つの女性の写真。今にも動き出しそうな程、エネルギーに満ち溢れて見える。


(まさかね)


 改めて遺影を見ていると、疑問が湧いてくる。


「よくよく考えれば、なんでモナリザなんだろう」


 君乃が優しく微笑んで、答える。


「偉大なお母さんだからだよ」


 その言葉には不思議な説得力があって、思わず納得してしまった。


「お母さん――」


 君乃が拝むのに釣られて、楓もまた手を合わせる。


(おかあさん、ありがとう)


 自然と、二人の声がぴったり合う。


「「ただいま」」


 線香の煙が、嬉しそうに揺らめいていた。

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